- ◆青葉に塩
- 青葉に塩を振りかけると、しおれることから、急に元気を失った様を言う。
- ◆秋の日は釣瓶落し
- つるべが井戸の中へ落ちる時は、早く落ちることから、秋は日が短く、
夕方になるとたちまち太陽が沈んで暮れやすい例え。
- ◆悪縁契り深し
- 好ましくない縁に限って、その結びつきは深く、関係を断とうとしても断ち切れないものである。
特に男女の道ならぬ関係は、いったん心を奪われると、離れようとしても、
なかなか離れられない。くされ縁。
- ◆悪妻は百年の不作
- 夫にとって、ためにならない妻を娶ると、自分が不幸せであるだけでなく、
悪い影響が子や孫の代まで残る。
- ◆朝起きは三文の徳
- 朝早く起きると、(からだの調子が良く、健康に良いから)いくらかの利益はあるものだ。
宵っ張りの朝寝坊を戒めていう。
- ◆頭隠して尻隠さず
- 悪事、欠点の一部だけ隠して、大部分は表れているのに、全く人に知れない
つもりでいるおろかさを、あざけって言う。
- ◆頭の上の蝿を追え
- 出しゃばってひとの世話をやくより、まず自分の始末をせよ。
- ◆あつものに懲りてなますを吹く
- お吸い物(あつもの)の熱いのにすっかり懲りて、冷たいなます(酢あえ)まで、
ふうふうと吹いて食べること。
一度失敗したのに懲りて、用心し過ぎることの例え。
- ◆圧倒的
- 他をしのいで優勢になる。段違いなこと、という意味。
「圧倒的勝利を得た」などのように使う。
ところが、「圧倒的に負けた」などと言う若者がいるが、この使い方は間違いで、
否定的な事柄に対する形容には使えない。
「圧倒して勝つ」なら良いが、「圧倒して負けた」ではおかしいのと同じである。
- ◆あっけらかん
- 意外な事に驚いて、口を開けてぼんやりしているさまをいう。
所がこの言葉は、おおくの人達が本来の意味を離れて使っている。例えば
「子ども達は、親から注意されてもあっけらかんとしている」のように
あっけらかんの意味を、一向に気にかけない、平然としている、などに解釈
しているのである。
これは本来の用法からいえば間違いだが、成人対象のある調査によれば、
「あっけらかん」の意味を聞く設問に、「呆然としているさま」という正しい回答は
20%にも満たなかったという。これだけ誤用されていると、既に間違いとは言えなくなっている。
- ◆あばたもえくぼ
- 愛する人の目には、相手の醜いあばたも可愛く、何でもが良く見える。
あばたは天然痘が治った後の皮膚に残る、ぶつぶつのくぼみ。
- ◆あぶはちとらず
- あぶ(虻)とはち(蜂)を一度に捕ろうとして、どちらも逃がしてしまう意味。
欲張りすぎたために損をしてしまうことをいう。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」と同意のことわざである。
最近の中。高校生は、これを虻や蜂は危険なものであるから捕ってはいけない」と
解釈したりするという。また、「あぶは、はちを捕らない」や、故意に句読点を変えた
「あぶは、ち(血)をとらない」という珍解釈もある。
- ◆雨だれ石を穿(うが)つ
- 軒から落ちる雨のしずくも、たえず同じ場所に落ち続けると、石に穴を
あけることさえある。力がなくても根気よく続ければ、しまいに目的を
果たす事が出来るということの例え。
- ◆雨降って地固まる
- 雨上がりの泥んこになった地面も、乾いて水分がなくなると、固くしまる。
ごたごたが解決した後はかえって、物事が円満におさまり、良い状態に
落ち着く事を言う。
- ◆鮑の貝の片思い
- あわびの貝殻は一枚だけであることから、男女の一方が恋慕っていても、
先方は自分を思ってくれないこと、即ち片恋に例えて言う。
- ◆案ずるより産むが易し
- あれこれ思い悩んで心配したことも、やってみると、わけなく出来る。
余計な心配をすることない。
-
[ い ]
-
- ◆言うは易く行うは難し
- 言葉で言うのは簡単だが、実際に行うとなると、なかなか容易ではない。
- ◆怒り心頭に発す
- 「心頭」とは、心の中のことで、心の底から激しい怒りをkんじる。という意味である。
現代の若者の中には、これを「怒り心頭に達す」と言う者がいる。これは「心頭」を心と頭のことと考えて、
両方に達するほどの激しい怒りと解釈したことからきた誤りのようである。
- ◆一介
- 「一介」は、価値のないつまらないものを指す言葉。「介」はごみ、ちりを意味する。従って
謙遜する時に使う言葉である。
ところが最近の学生は、「一介の大学者である先生に・・・」などと言ったりする。これは、
介を世界の「界」と混同して使ったものであろう。完全な誤用である。
- ◆生き馬の目を抜く
-
他人のすきに乗じ、素早く行動する様子。
- ◆石の上にも三年
-
冷え冷えとした石の上でも、続けて三年も座っていれば、自然に暖かみを
感じるようになる。辛くてもじっと我慢して根気よく続ければ、必ず
成功すると言う事。
- ◆石橋を叩いて渡る
-
しっかりしていて、容易に壊れそうにもない石造りの橋をたたいてみて、
安全かどうかを確かめてから渡る。
注意の上に注意して、用心深いことの例え。
- ◆一芸は道に通ずる
-
一つの技能、芸術について、最高の所まで行き着いた者、他の面でも、
物の筋道がわかるようになる。
- ◆一に看病二に薬
-
病気を早く治すには、薬の効き目を待つよりも、病人の為を思って、
行き届いた世話をすることが大切である。
- ◆一敗地に塗(まみ)れる
- これは、再起不能になるほど大敗することである。従って「一敗地に塗れたが、
すぐ再起して・・・」というような表現は完全に誤り。
「一敗地に塗れる」は、中国の「史記」に出てくる言葉で、殺されて死体からはみ出た内臓や脳みそが、
ばらばらに散らばり、泥まみれになる、という意味。
こうしたもとの意味を知っていれば、誤用に避けられたはず。前記の誤りは、
「一敗」を単に「一回負けただけ」と軽く考えたためだろう。
- ◆一文惜しみの百知らず
-
非常にケチで、一文の僅かな金を出すのも惜しみ、後で大損を招く事を知らない、愚かさをいう。
- ◆井の中の蛙大海を知らず
-
井戸の中のカエルは、広く大きい海(広い世界)があるのを知らない。
考えや知識が狭い事を言う。
- ◆鰯の頭も信心から
-
いわしの頭のようなつまらないものでも、これを信じ尊ぶと、
有難く思われる。
- ◆意に介さない
-
一向に気にかけない、という意味で、「彼は、世間の非難など意に介さず、自分の信念を貫いている」
などと使う。 この場合、「意」とは自分の意(心、気持ち)である。
ところが最近の学生の中には、「意」に同音の「異」を用い「異に介さない」と書く例が見られる。
これは異論を気にしない、という意味が頭にあったために使った誤用であろう。
- ◆医者の不養生
-
他人に健康の増進を勧める医者が、自分のからだには、案外気をつけないことから、
言うことと、行うこととが一致しないこと。
- ◆犬も歩けば棒にあたる
- 江戸いろはかるたの最初の句。一般的には、人間で歩いているうちには、思いがけない
幸運にぶつかる事もある。という意味に使われている。しかし、本来の意味は、犬もうろうろ
歩くから、棒で打たれるようなことに遭う、だった。
最近の中・高校生の中には、この句を「日本は狭い、犬が歩いてもぶつかるのだから、人間も
すぐぶつかってしまう」「歩くことが上手な犬でも、たまには棒にあたる」「いくら上手な
人でも、たまには失敗する」などと珍解釈する者もいる。
- ◆いやが上にも
- 「いや」は「弥」と書き、ますます、いよいよ、という意で、「いやが上にも」は、
それをさらに強めて、なおその上にますます、という意味になる。
ところが最近の中・高校生の多くは、この語句を「嫌でも」と解釈し「期末試験が近づいたので、
嫌が上にも勉強しなければならない」のように使うという。これは同音による混同からきた間違いである。
- ◆慇懃無礼(いんぎんぶれい)
- 表面は丁寧過ぎるぐらい丁寧だが、実は尊大で、相手を見下していることを意味する。
最近の学生は、この言葉を使って「先日はお招きした先生に対し、いろいろ慇懃無礼を致しました」
などと手紙を書くという。これは、文字づらから「失礼」をずっと丁寧に言った言葉が、
「慇懃無礼」だと勘違いしたための誤用である。
-
[ う ]
-
- ◆上を下への
- 「上を下への大騒ぎ」などと使い、人々が入り乱れて大騒ぎする様子をいう。
ところがこの語句を誤って「上や下への」という人がいる。「上や下への」では、当然過ぎて
混乱は起こらない。上にあるものが下に、下にあるものが上になるから「上を下への大騒ぎ」に
なるのである。
- ◆魚心あれば水心
-
例えば、他人が親切にしてくれれば、こちらもそれに応えて親切にする、
というように、相手の出方によって、こちらにもそれ相応の出方がある。
- ◆浮世渡らば豆腐で渡れ
-
世渡りのコツは、やっこ豆腐のように四角四面(きわめて真面目)で、
あたりがやわらかいことである。
- ◆雨後の筍
-
物事が後から後から続いて発生することを、雨あがりにタケノコが
群がって生えることに例えて言う。
- ◆氏より育ち
-
人は、家柄や血筋よりも(成長期の人間に何らかの影響を与える)
環境や教育などのほうが大切である。
- ◆鵜の目鷹の目
-
ウが魚を、タカが鳥を探し求める時のように、人が細かい所まで十分に注意して、
物を探し出そうとするようす。
また、その鋭い目つきのことをいう。
- ◆嘘から出た実(まこと)
-
最初はうそ、いつわりであったことが、思いがけず事実となって現れること。
- ◆嘘も方便
-
うそを言うのは好ましいことではないが、便宜の手段として(例えば、病人を
心配させないようにする時など)うそをつくほうが都合のいいこともあるのを言う。
- ◆独活(うど)の大木
-
ウドの茎は長く大きくのびるが、如何にも弱々しいことから、体つきは大きいが、
役にたたないものに言う。
- ◆馬の耳に念仏
-
馬に耳のそばで念仏を唱えても、何とも感じないことから、いくら主張あるいは
説明しても相手が心にとめず、効き目のない事の例え。
- ◆裏腹
- 正反対、あべこべという意味の言葉であるが、これを「病気と貧困は裏腹である」というような使い方を
する人がある。これでは病気になると貧困になりにくく、また貧困だと病気にかかりにくい、という意味になってしまう。
この場合、正しくは「病気と貧困は相関関係にある」と言うべきである。裏腹を「表裏一体」という言葉と
同じ意味と考えてしまったための間違いである。
- ◆噂をすれば影がさす
-
人の噂をすると、その人がひょっこり、そこへ姿を見せる。
-
[ え ]
-
- ◆得体の知れぬ
- 「彼は得も知れぬ人物だ。長い付き合いになるが彼の性格や能力はよくわからない」などと
言う人がいる。「得も知れぬ」では意味が通じない。全く見当がつかないという意味なら
「得体の知れぬ」である。
類似した慣用句に「得もいわれぬ」があり、「得もいわれぬ美しい女性」などと使う。
冒頭の例は、この二つを混同したための誤りであろう。
- ◆得手に帆を揚げる
-
船を進ませる時、追い風を利用して帆を張るように、良いチャンスをとらえて、
調子よく物事を行う。
- ◆江戸の敵を長崎で討つ
-
江戸と長崎とは非常に離れている事から、思いもしなかった所で、または見当違い
の所で仕返しをする。
- ◆蝦で鯛を釣る
-
エビをえさにして、味の良い鯛を釣る。僅かな資本や労力で極めて大きい利益を
得ることをいう。
- ◆縁の切れ目は子でつなぐ
-
夫婦の間で別れ話がもちあがった場合、コブつきでなければ、早くかたがつきやすいが、
子どもがあると、子への愛情にかれれて、破局まで行かず夫婦の関係がつなぎ保たれる
のをいう。
- ◆縁の下の力持ち
-
世間からは認められないが、影にあって、苦労して力をつくすこと。
-
[ お ]
-
- ◆おあいそ
- 「おあいそ」とは、料亭の女将などが客に対して「勘定のことを言うのは、愛想づかしな
ことですが」と言った言葉に中の「愛想づかし」からきている。
最近、赤提灯の飲み屋などで、客の方から「おあいそしてくれ」と言っている人を良く見かける。
これは本来大変おかしいことで、「おあいそ」はあくまでも店の側が言う言葉である。
客は「勘定を頼む」「お勘定を」などと言うのが正しい。
- ◆大使いより子使い
-
まとまった多額の支出よりも、普段のこまごました支出のほうが、全体の金額では
かえって多くなることを言う。
- ◆大船に乗ったよう
-
小さい船より大きい船のほうが、ゆれることも少ないし、まずまず安心して乗れる
ということから、頼りになるものがあって、安心した気持ちでいられること。
- ◆大風呂敷を広げる
-
実現しそうもなことを、おおげさに言うこと。
ほらを吹くこと。
- ◆男やもめにウジがわく
-
妻を失った一人暮らしの男は(掃除、洗濯、炊事など)身のまわりの世話をしてくれる人が
いないので、(ウジがわくのではないかと思われるほど)不潔になりやすいことを言う。
- ◆教え子
- 「私は中学時代、山田先生の教え子だったので、ずいぶん厳しい指導を受けました」などと
言う人がいるが、これはおかしい。この「教え子」は、「斉藤君は私の教え子で・・・」のように、
教えた側の人が使う言葉である。教わった側からは「山田先生に教えをうけた者で・・・」のような言い方
が妥当である。
- ◆お仕着せ
- 季節に応じて雇い主が、使用人に衣服を与える事。てんじて、決まりきった事柄を言うようになった。
ところが、現在では、この言葉を押し付ける事、無理にさせること、と解釈する人が多い。文字まで
「お仕着せ」と書く人がいるという。上の人が決める事は、庶民にとって押し付けがましく感じることは
確かで、そこから生じた誤りといえよう。
- ◆おすそわけ
- 「すそ」とは、着物の「裾」のことで、着物の裾が長くて余っている事から、余り物を分け与える
という意味。したがって目上の人に対しては使えないことばである。「先生におすそわけした」
などと言ったら誤りになる。
- ◆落ち合う
- 両者が場所をきめ、そこに行ってから一緒になる、という意味で、双方にあらかじめ約束が
出来ている時に使う言葉。従って、「駅で落ち合って買い物に行こうよ」と言えば正しい使い方だが、
、「デパートの中で偶然落ち合った」などと言うのは誤りである。
- ◆鬼に金棒
-
普通でさえ力が強い鬼に鉄の棒を持たせる意味。
強い上にも強さが増す例え。
- ◆鬼の居ぬ間に洗濯
-
気兼ねしなくてはならない人、または、怖い人がいない間に、のびのびと思う存分楽しむ事に言う。
- ◆鬼も十八、番茶も出花
- 鬼のような醜い顔の娘でも、年頃になるとそれ相応に美しさが出てきて見られるようになる。
番茶でも出始めは味や香りが良いように、という意味である。(出花は出端とも書く)。
所が、これを「娘十八、番茶も出花」と言っている人がいる。このことわざは、鬼のような娘でも・・・
という強調があってこそ成り立つもので「娘十八」では当たり前すぎてしまって、ことわざにならない。
ただし、「鬼も十八」は女性の美醜にふれているわけだから、容貌に恵まれない女性を傷つけないように
との配慮から「娘十八」になったと考えられなくもない。
- ◆おぼれる者はわらをもつかむ
- 水におぼれるような急場の災難に遭うと、わらのような頼りにならないものにでも
頼ってしまう。即ち、急場の時は、どんなものにも頼る、という意味。
従って、ものを頼む相手に対して「おぼれる物はわらをもつむと言う気持ちで、ご相談にきました」
などと言ったら、誤りであるし、大変失礼なことになる。
- ◆汚名をそそぐ
- 立派なことをすることによって、悪い評判を消し去る、と言う意味。所が最近この言葉は
あちこちで、「汚名挽回」と間違って使われている。「挽回」は、とりかえす、回復、という
意味であるから、「汚名挽回」では、汚名を再び取り返すと言う意味になってしまう。
これは似た語句に「名誉挽回」があり、この二つを混同したための誤りであろう。
- ◆思う念力岩をも通す
-
ひとすじに心をこめて行えば、やってやれないことはない。
- ◆親ずれより友ずれ
-
子どもの人柄が良くも悪くもなるのは、親の影響よりも、友達にもまれて、
様々な影響を受けることのほうが大きい。
- ◆親に似ぬ子は鬼子
-
親に似ない子は人間の子ではない、鬼の子である。
子は必ず親に似るものである。
- ◆親の光は七光
-
親の築いた社会的地位などのお陰で、子どもが利益、恩恵を受ける事。
-
[ か ]
-
- ◆快刀乱麻を断つ
-
よく切れる刀で、もつれた麻を切る。複雑な問題を手際よく処理すること。
- ◆蛙の子は蛙
- 子供の才能や性質は親に似るものであるから、凡人の子供はやはり凡人であるという意味。
従って、「蛙の子は蛙で、親が出来ないことを子供にやれせようとしても無理だ」と言えば
正しい使い方だが、相手を褒めるつもりで、「蛙の子は蛙、お父さんに似て優秀な息子さん」などと言ったら
、実は大変失礼にあたるわけである。なお褒め言葉としては、「この親にしてこの子あり」と言うのが
正しい。
- ◆顔色をうかがう
- 相手の機嫌の良し悪しを表情からそれとなく探ることを言う。最近の若いサラリーマンは、
「彼はあいての顔を覗って仕事をしている」などと言ったりするが、これは誤り。
「顔をうかがう」とは、顔を見たり、のぞいたりすると言う直接的な行為さすもので、
相手の機嫌を探るという意味は全く含まれていない。
- ◆壁に耳あり障子に目あり
-
何処で誰が聞いているか、見ているかわからない。隠して、人に知られないようにしても、
秘密が外にもれやすいことを言う。
- ◆果報は寝て待て
-
幸運(しあわせ)であって欲しいと思っても、人間の力ではどうにもならないから、
気をもまずに、時機のめぐってくるのを待っておれ。
- ◆枯木も山のにぎわい
- 例え枯木でも。山を賑やかにする事にすこしは役立つ、と言う意味。従って、何かの
会議に老人たちがやってきて、自分たちがへりくだって「枯木も山のにぎわいになると思って
参加しました」と言えば正しい使い方だが、老人の集まりに招待された若者が、賑やかな事を
表現したいと思って「本日は枯木も山の賑わいで・・・」などと言ったら失礼なことになる。
- ◆亀の甲よい年の効
-
長老の多年の経験は値打ちがあり、尊ぶべきである事の例え。
- ◆かわいい子には旅をさせよ
- 子供が可愛かったら、旅に出して世間をよく知らせるのが良い。と言う意味。若いうちに
人生の苦労をさせる方が良いといった教訓に用いられる。
これについて最近の青少年たちは、そっくり逆の解釈をしたりするという。
例えば「可愛い子は、遊ばせておいてやる方が良い」
「子供には好きなことをさせてやるやるのが一番よい」など。
「旅」を旅行、行楽、遊び、と解釈しているわけである。
- ◆可愛さ余って憎さ百倍
-
可愛いと思う心が強いほど、いったん憎いとなったら、その憎しみの
気持ちは一段と甚だしくなること。
- ◆堪忍袋の緒が切れる
-
怒りを抑えて我慢をしたが、もうこれ以上耐え忍ぶことの出来ない事を
例えて言う。
- ◆侃侃諤諤"(かんかんがくがく)
-
「今日の会議はずいぶん荒れたね。喧喧諤諤(けんけんがくがく)の討論だった」
などと言う人がいるが、喧喧諤諤という言葉はなく、明らかに誤り。
正しくは「侃侃諤諤」(かんかんがくがく)という。
これは、遠慮することなく盛んに議論する、正論を吐く、という意味。
類似した言葉に「喧喧囂囂」(けんけんごうごう)というのがあり、
多くの人達がしゃべってやかましいさまをいう。
おそらく、前述の例は侃侃諤諤と喧喧囂囂の二つを混同したものであろうが、
知識人にも意外に多くみられる誤用である。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
- ちょっと整理 :
- 侃侃諤諤(かんかんがくがく)=議論する
- 喧喧諤諤(けんけんがくがく)=という言葉はない
- 喧喧囂囂」(けんけんごうごう)=やかましい
- ◆間髪(かん はつ)をいれず
- 間に髪の毛一本も入れる隙間もないこと、つまり、すぐに、直ちにという意味。
この語句を「間髪を移さず」と間違って覚えている人がいるが、間髪は移すことができるものではない。
これは似た語句に「時を移さず」があり、何かが行われた後、直ぐに次のことを行うときなどに使う。
この二つを混同して「間髪を移さず」になってしまったのであろう。なお、「間髪」を「かんぱつ」と
読む人が多いが、これは間違いで、「かん、はつ」と区切って読むのが正しい。
-
[ き ]
-
- ◆気がおけない
- 「彼とは付き合いが短いので、気が置けない」などと言って、「気がおけない」を気が許せない、
油断できない、付き合いにくいなどと、間違って解釈している人が多いという。
「気をおく」は、心配すると言う意味。その逆の「気がおけない」は、心配する必要がない、
と言う意味になる。これは、「・・・ない」と言う否定の形から、全体の意味が否定の意味に
間違って解釈された礼といえる。
- ◆雉も鳴かずば射たれまい
-
山野に住むキジも、鳴かなければその居所を人に知られず、射たれることも
なかったろうに・・・。余計な事を言って災難にあわないように、
言葉にきをつけよ、ということ。
- ◆木に縁りて魚を求む
-
手段・方法を誤って、求めようとしても得られず、しようとしても出来ない
(目的を達せられない)ことの例え。
- ◆窮すれば通ず
- 事態が行き詰ると、かえっていい知恵が浮かび解決の道が開ける。と言う意味。
この「窮する」を「貧乏する」と解釈し、「貧すれば通ず」と言う人がいるが、これは誤り。
「貧すれば鈍する」というくらいで、いくら貧乏しても通じはしないだろう。
- ◆窮鼠猫を噛む
-
追いつめられたネズミは、逆に猫に食いつく。どうしても逃れられない
困難な場合に死に物狂いで抵抗すれば、弱いものが強いものを負かすこともある。
- ◆兄弟は他人の始まり
-
血をわけた兄弟も、利害や結婚などでいがみあったり、年と共に疎遠になったり
するものだ。
- ◆漁夫の利
-
ハマグリとシギが互いに争っている隙をねらって、漁夫が双方とも捕らえたということから、
そのことに直接関係のない人が横合いから出て、利益を奪い取ること。
- ◆去来する
- 行ったり来たりすることの意味で、「心中に去来する」「脳裏に去来する」などと使う。
ところがこれを「飛行機で東京と札幌とを去来した」などという人がいるが、これは、現在では
誤用とされる。
「去来」とは、過去と未来が浮かんでは消える様子を言ったもので、実際に行ったり、
帰ったりすることには「往復」を使うべきである。
-
[ く ]
-
- ◆臭い物に蓋をする
-
みっともない事や不正の事実を隠して、その場だけ人に知られないようにすること。
- ◆草木も眠る丑三時
- 全てのものが寝静まり、夜がふけわたった午前2時ごろをいう。ところがこれを、「草木もなびく
丑三時」と謝って言う人がいる。「草木もなびく」とは、盛んな権勢を誇り、すべてのものを従いつかせることを
いったもの。民謡の「佐渡おけさ」に「佐渡へ佐渡へと草木もなびく」とあり、この歌の文句から「草木」
と「なびく」とが密接に結びついてしまったために起こった誤りであろう。
- ◆苦汁をなめる
- 苦い経験をすることに意味であるが、この「苦汁」に同じ発音の「苦渋」を用い、「苦渋をなめる」と書く人
がいる。「苦渋」は、物事がはかどらず、苦しみ悩むことの意で、苦い汁のように実際に舐めることは出来ない、
これは同音で意味も似ていることからきた誤用である。
- ◆口は禍のもと
-
かるがるしく、おしゃべりすると、とかく禍のもととなる。
「禍は口から」とも言う。
- ◆口三味線に乗せる
-
口で三味線の音色や曲を真似る事から、口先でだます事に例えて言う。
- ◆口も八丁、手も八丁
-
しゃべる事も、することも、普通の人より達者なこと。
悪意ある言い方。
- ◆腐っても鯛
-
たとえ腐っていても、鯛は魚の王様であり、普通の魚とは違って価値がある。という意味。
もともと優れたものは、どんなに落ちぶれても、全くすたれる事はないことをいう。
ところが最近の若年層の中には、面白い解釈をする。
「鯛は腐ってからの方がおいしい」
「腐っている鯛でも、もったいないから食べた方が良い」
「嫌なことがあって、その人が腐っている時でも、鯛を食べれば元気になる」
という飛躍した解釈をする人もいる。
- ◆玄人はだし
- 専門家もとても及ばない、という意味で、玄人が慌てて履物も履かず、はだしで逃げたくなるほど優れている
素人のことを言ったもの。「はだし」には、とてもかなわない、負ける、という意味がこめられている。
これを「素人はだし」などと間違って使っている人がいるが、素人がはだしで逃げても誰も驚かないのである。
なお、専門家に近い「素人離れしている人」という。
- ◆君子は豹変する
- 「易経」の「君子は豹変す。小人は面を革む」から出た言葉。一般には、聖人と言われるような人が酒を
のみ、「君子豹変して痴漢になる」などと、悪いことに使われ勝ちだが、これは実は間違った使い方なのである。
本来は、教養ある人は過ちと知ったら、すぐにそれを改めるもので、その変化は、豹の斑紋(はんもん)
が目立つように一変する。すなわち、悔い改める事の素早さを言ったもので、良い意味のことばだったの
である。
-
[ け ]
-
- ◆芸は身を助ける
- 近年は良い意味に使われ勝ちだが、本来は、「芸が身を助けるほどの不幸せ」ということである。
「たいこ持ち上げての末のたいこ持ち」と同様で、放蕩息子の若旦那などが、花柳界へ入りびたりで女
遊びをしながら、唄や三味線を覚えた。しかし、親から勘当されて生活に困り、習い覚えた唄や三味線で
食いつないでいる、などと言う時に使うべきことわざだったのである。
- ◆怪我の功名
-
これといった考えもなく行ったこと(しくじったと思ったこと)が、
かえって、よい結果になること。
- ◆喧嘩両成敗
-
けんかをした者は、理由のいかんを問わず、両方とも処罰する。
-
[ こ ]
-
- ◆恋に師匠なし
-
恋の道は、別に手引きをしてもらわなくても、当人が自然に覚えるものである。
- ◆好事魔多し
-
良いことには、ともすると妨害(じゃま)がはいりやすい。
- ◆後世畏(おそ)るべし
- 「論語」の「恒星可畏」から出たことば。「後世」とは、後からうまれた者、若者のことで、若者が
伸びる勢いには恐るべきものがある、という意味。
青年の将来性に目を向けたことばであるが、最近では「後世恐るべし」という誤用がよく見られる。
これでは、将来の世が恐ろしい、末恐ろしい子供だ、などの意味になってしまう。
- ◆郷に入っては郷に従え
-
人はその土地に入ったら、その土地の習慣に従うのがよい。
- ◆好物に祟りなし
-
好きなものは食べ過ぎても、それほど害にならない。
- ◆弘法にも筆の誤り
-
弘法大師のような能筆家でも、時には書き損なう事がある。学問・技芸のすぐれた人でも
間違うことがあるのを言う。
- ◆後悔先に立たず
-
事が終わってしまった後で(失敗などを)あれこれと残念がっても手遅れで、取り返しが付かない。
- ◆古式床しき
- 「床しき」とは、心がひかれる、上品である、という意味で、「古式床しき結婚式」「古式床しい催し」
などと言うのが正しい使い方。
所が最近「古式豊かな結婚式を挙げました」などという媒酌人がいるという。この間違いは、
似た言い方に「古式床しく、馬上豊かに」「古代色豊かに」などがあり、これらの混同から
起こったものであろう。
- ◆木端
- 木の削りくず、木片のことで、転じて取るに足りないもの、という意味。従って「木端みじん」
「木端役人」などと使えば正しいが、最近はこの「木端」に同音の「木っ葉」を用い、「木っ葉みじん」
「木っ葉役人」と誤用する人がいるという。「木っ葉」は、ただの木の葉で、取るに足りないという意味はない。
- ◆ことばを濁す
- はっきりと言わない、あいまいな言い方をするという意味。ところがこれを、「A君は口を濁すので、
本音がわからない」という人がいる。「口」には「口を出す」「口が軽い」など、「ことば」「おしゃべり」
を意味する慣用句が多い。そういうところから生まれた誤用であろう。「口を濁す」では、実際に口を
汚す意味にとられてしまう。
- ◆子はかすがい
- 子供は夫婦の間を結ぶ留め金のようなものであり、仲の悪い夫婦も子供への愛情によって縁がつながれる、
という意味。かすがいは漢字で「鎹」。木材と木材の合わせめをつなぎ留める時に打ち込む、両端が曲がった
釘状の道具である。しかし、最近の青少年の間では「かすがい」の意味がわからず、誤って用いられる例が
多いという。
「かすがい」を「貸すがよい」と考えたり、ちり・かすの「滓」だと思ったりしている。
そのため「子供は他人に貸すと立派になるものだ」「子供は滓のほうがよく、親より偉くなることは
ないものだ」などの珍解釈がある。
- ◆紺屋の白袴
-
紺屋(染物屋)が布を染めるのはお手のものであるはずなのに、いつも自分がはいている
袴は白い生地のままであった、ということから、他人のためにばかり忙しくて、
自分のことをする暇がないのに例えて言う。
- ◆故郷へ錦を飾る
-
故郷を離れた土地で苦労していた人が成功して故郷へ帰る事。
- ◆五十歩百歩
-
いくらか差はあるが、大きな違いはなく、似たり寄ったりであること。
逃げた点ではどちらも同じであるのに、50歩逃げた兵が100歩逃げた兵を
臆病だと笑ったという、中国の例え話による。
- ◆小姑一人は鬼千匹にむかう
-
夫の兄弟・姉妹は嫁にとってはやっかいなもので、その一人は鬼千匹にも相当
するということ。
- ◆転ばぬ先の杖
-
失敗しないように、前もって準備をしておく(気をつける)ことをいう。
- ◆転んでもただは起きぬ
-
欲が深く、その上に抜け目がなく、どんな場合でも利益をつかもうとすることの例え。
- ◆子をもって知る親の恩
-
子どもを育てる立場になって、自分の親の有り難さを深く心にしみて感じる。
-
[ さ ]
-
- ◆細君
- 本来は、夫が自分の妻を謙遜して使ったことばで、自分の妻に対してだけしか
使えなかったもの。
「細」には、小さい、つまらないの意味がある。ところが最近では、
「君の細君元気」などと同僚に言っている人がいる。本来なら他人から言うと失礼にあたる
のだが、いつの間にか他人の奥さんに使っても間違いではなくなってきた。
なお「細君」を「妻君」と書く人もいるが、現在ではどちらとも正しい。
- ◆才子、才に倒れる
-
頭がよく、知恵のすぐれた人は、自分の才に自信を持ちすぎて、かえって失敗する。
「才子、才に溺れる」とも言います。(同義語)
- ◆左顧右眄(さこうべん)
- 左をみたり右を見たり、周囲の様子をうかがってためらうこと。国語辞典の多くは、
このことばを引くと、右顧左眄(うこうさべん)を見よ、としてある。つまりどちらでも
よいわけだが、正式には辞書の逆で「左顧右眄」の方が正しい。「顧」は、上からかえるみる
ことで、下の者を見下ろす意味を含み、「眄」は、上の者をちらちらうかがう、という意味
を持つ。
ところで、昔は、年上の者や目上の者が右に座り、若い者や目下の者が左に位置した。そこで
中間に座っている者が左をみて目下の様子をうかがい、右を見て目上の顔色をうかがって、
なかなか自分の決断を下さない時に「左顧右眄」と言ったのである。
- ◆先んずれば人を制す
-
人より先に事を行えば(他人を抑えることによって、自分の方が有利になり)
利益・勝利・成功を招くものである。
- ◆酒は百薬の長
-
度を越さず、ちょど良い程度に飲めば、どんなに良く効く薬よりも、
酒が一番健康に良いということ。
- ◆触らぬ神に祟りなし
-
関係しなければ、わざわいを招くことはない。だから余計な世話を
やかずに知らん顔をしているほうがましだ。
- ◆三十六計逃ぐるにしかず
-
どうにもうまく処置が出来ないときは、その場から逃れて、身の安全を
はかるのが最上の策である。事柄がこじれそうな時は、逃げ出すのが
一番良い。
- ◆山椒は小粒でもぴりりと辛い
-
からだは小さいが、気概・手腕・力量などはたいしたもので、
侮ることが出来ない例え。
- ◆三人寄れば文殊の知恵
-
特にすぐれたところのない人間でも、三人も集まって考えれば、なみすぐれて
良い知恵が浮かぶものだ。
文殊は知恵をつかさどる菩薩。
-
[ し ]
-
- ◆地獄の沙汰も金次第
-
どんなに難しいことでも、金さえあれば、思うままになることの例え。
- ◆私淑(ししゅく)
- 「私」は、ひそか、「淑」は、よいという意で、ひそかにある人を師として尊敬し
学ぶことを言う。従って、尊敬する人が故人であったり、遠方にいて直接教えろ受ける事が
出来ない場合に用いることばなので、「私は、○○先生に私淑して、いろいろご指導を
受けました」というのは間違いである。また、「ひそかに私淑する」という言い方も「ひそかに」
と「私」が重複することばとなるので、完全な誤用である。
- ◆親しき中にも礼儀あり
-
あまり仲が良過ぎると、つい相手の気分が悪くなるようなことを言ったりして、
仲が悪くなることがあるから、親しい間柄でも礼儀は守らなければならない。
- ◆舌先三寸
-
「彼は話術の名人だ、口先三寸で聴衆を魅了してしまう」
などと言う人がいる。この場合、「口先三寸」は「舌先三寸」の誤りである。
「口先」は口の先端であり、実のないうわべだけのことば、という意味。
特に「三寸」とは結びつかない。
「舌先三寸」なら、「わずか三寸ほどの舌」という意味になり、たった三寸の舌でも使いようによっては、
人を感動させたり、欺いたり、世を惑わせたりすることも出来る。ということになる。
- ◆舌の根の乾かぬうち
- 立派なことを言ったばかりなのに、すぐそれに反する言動をする、という意味。
これを「舌の先が乾かぬうち」と言う人がいる。ことばは舌の根から発せられるもので、
舌の先から出るものではない。これは「舌先三寸」との混同からきた間違いだろう。
- ◆舌は禍の根
-
わざわいは多く、ことば(ものを言うこと)によって起こるものであること。
- ◆釈迦に説法
-
仏教を始めた釈迦に、仏教の教えを説き聞かせる。
知り尽くしている者に事を説く愚かさをいう。
- ◆弱冠
- 「礼記」(らいき)の「二十歳を弱という、冠す」が出典。「弱冠」の「弱」は男子
の二十歳を、「冠」は元服を表している。転じて、年の若いことをいう。
このことばを「弱冠十八歳」「弱冠四十歳」などと用いる人がいるが、本来の意味からすれば、二十代に
限って用いるのが正しい。
なお若い人という意味で「若冠」と書くのは誤りである。
- ◆蛇(じゃ)の道は蛇(へび)
-
同類のものは互いにその事情に通じているということ。
- ◆重箱の隅を楊枝でほじくる
-
隅から隅まで、非常に細かい点まで根ほり葉ほり知ろうとすること。
- ◆柔よく剛を制す
-
水が硬い石を砕くように柔なものはかえって硬いものを押さえる。
弱いものが逆に強い者に勝つことに言う。
- ◆朱に交われば赤くなる
-
人は付き合う友の影響で、良くも悪くもなる。
良友と交われば善くなり、悪友と交われば悪くなる。
- ◆食指が動く
- 食指とは、人差し指のことで、「食指が動く」は、食べたいと思う気持ちが起きる。
また、ある事を求めようとする心が起こること。
このことばは、「左伝」の鄭の公子の子宋が、自分の食指が動いたのを見て、ご馳走が食べられる前兆だと
言ったことに由来する。
これを「食指をそそる」「食指を伸ばす」などと誤って言う人がいる。前者は「食欲をそそる」
、後者は「触手を伸ばす」との、それぞれ混同による間違いと考えられる。
- ◆小事は大事
-
ちょっとした小さいことも、気をゆるすと大事なことになるから、それほど
重要でないことでも、よくよく注意せよ。
- ◆上手の手から水が漏る
-
手際の良い人でも、やり損なうことがあるのに言う。
- ◆助長
- 助けて成長させる、生長を助ける、と言う意味で、「仕事を助長する」
「健康を助長する」などと、よいことに使われている。しかし、本来は、無理に
力を添えて、かえって害になる、元も子もなくなるといった悪い意味をもっていたのである。
出典は「孟子」で、宋の国の一人の農民が苗を早く育てたい一心から、早く伸びろ、伸びろと
苗を一本一本引っ張ったのだが、そのため、その男の苗は一本残らず枯れてしまったという
。「助長」ということばは、故事から離れて、近年は文字そのものの意味で使われるようになったようだ。
- ◆小の虫を殺して大の虫を助ける
-
大きい(重要な)ものごろを成し遂げる為には、小さい物事を犠牲にする。
- ◆知らぬが仏
-
知っていれば腹もたつが、事情を知らない為に、かえって(仏のような温厚な心で)平気でいられる。
その人だけが、知らずに気にしないでいるのを、あざけって言う。
- ◆死んだ子の年を数える
-
死んでしまった子が、今生きていれば何歳になっていると、考えてみた
ところで、今となっては、仕方がないことから、過ぎ去って取り返しの
つかないことを、あれこれと悔やむ例え。
- ◆死んで花実が咲くものか
- 「花実」とは、花と実、つまり名と実のことで、「花実が咲く」とは栄誉をかち得ること。
生きていてこそまた幸運がめぐってこよう、死んでよい事があるはずがない、という意味。
類似のことわざに「死んで骨は光るまい」というのがある。ところが最近では「死んで
花見がなるものか」などという人がいる。「花見」だと、死んではお花見も出来なくなる
と言う程度の意味になる。一見、間違いのないようにみえる言い方でも、その意味には
大きな違いがある。
-
[ す ]
-
- ◆水魚の交わり
- 水と魚は切っても切れない関係であるところから、非常に親しい付き合い。
- ◆好いた同士は泣いても連れる
- 互いに好きで一緒になった男女は、どんな苦労をも乗り越えて、共に暮らす。
- ◆酸いも甘いもかみわける
- 経験が豊富で、よく世事・人情に通じていることをいう。
これを誤って「酸いも辛いもかみわける」という人がいる。「酸い」と「甘い」という
反対語を組み合わせてはじめて、右から左まで、上から下までよく知っている、
という意味になるわけで、「酸い」と「辛い」では、同じ方向しか知らない偏った人物に
なてしまう。
これは似た語句に「辛酸をなめる」があり、つらい経験をした時などに使う。
この言葉と混同してしまったものだろう。
- ◆好きこそ物の上手なれ
- 好きで興味を持てればこそ、思わず熱中して努力するので、だんだん上達して
うまくなる。
- ◆雀百まで踊り忘れず
- 幼い時に覚えた習慣は、年をとっても変らないことに言う。
- ◆捨てる神あれば拾う神あり
- 世の中は広いもので、あいそをつかして取り合わなくなる人がある一方では、
今まで認められなかった者を取り立てて使ってくれる人もある。
- ◆住めば都
- 住み慣れれば、例えどんな所でも住み心地が良くなる。住めば、そこがその人にとって
の都になる、という意味。
ところがこれを現代の若者たちは「住むのなら都(都会)だ」
と解釈したりする。これは都会に憧れる若者が言い出した解釈なのであろうか。
- ◆寸鉄人を殺す
- 警句(深い意味のこもった簡素な句)で人の急所をつく。
-
[ せ ]
-
- ◆精根がつきる
- 物事をする心身の力と根気がなくなる、という意味。この「精根」を同音の「精魂」と誤って
「精魂が尽きる」だと思っている人がいる。「精魂」は「精神・魂」の意であるから、「精魂が尽きる」では
、人間の生命がなくなってしまうことになる。
- ◆清水(せいすい)に魚(うお)棲(す)まず
- すき通ってきれいな水に魚はすまない。
あまりに心が清らかで、欲がなさ過ぎる人には、かえって人が寄り付かない事のたとえ。
- ◆青雲の志
- 社会的によい地位につき、世間に有名になろうとする、こころざし。
- ◆せかれて募る恋の情
- 恋心は、二人の仲を邪魔する者があると、恋しさがますます激しくなる。
- ◆赤貧洗うが如し
- 「赤貧」の「赤」は、何一つないの意で、非常に貧乏で家に何もないさまを言ったもの。
これを「清貧洗うが如し」と言う人がいる。「清貧」とは、行いが清らかで、その結果
貧しい暮らしをしている、という意味で、「清貧に甘んじる」という使い方が正しい。
同じ貧しさでも何一つ物がないというのが、「赤貧」なのである。
- ◆世間ずれ
- 「ずれ」は、「擦れ」と書き、「人擦れ」「悪擦れ」などと、悪い意味に用いられる
ことの方が多い。「世間ずれ」は世間へ出て他人からの影響を受けて人柄が悪くなることを
言う。
ところが最近の若い人達は、「毎日家の中ばかりいると世間ずれしてしまう」と言ったり
する。これは「世間ずれ」を「世間からずれる(外れる)」即ち、世の中から遅れること、と誤解
した結果生まれた間違いである。
- ◆背に腹はかえられぬ
- 目前の大事の為には、ほかのことを犠牲にするのもやむをえない。
- ◆銭金囲うても姫囲うな
- 金銭などの財貨を蓄えるのは良いが、女をかこうのは、くだらないことである。
- ◆せわしない
- 心が落ち着かない、忙しいの意味であるが、「せわしない」の「ない」を最近の青少年は、
否定や打消しの「ない」と考え、「せわしくない」つまり、忙しくない、と誤って
解釈していると言う。「せわしない」の「ない(甚)」は、はなはだしい、と言う意味を
持つ接尾語なのである。
- ◆前車の轍を踏む
- 前の人と同じ失敗を繰り返すことのたとえ。
- ◆全然
- 本来は、「全然知らない」「全然面白くない」などと下に打ち消し語を伴って否定的
な意味に使われるもので、全く、まるで、の意味を持っている。それが最近では「全然愉快」
「全然すばらしい」などと「とても」「非常に」などと同様、肯定的な意味に使う人が
多くなってきた。
最初は「断然」との混同から起きた誤用だったかと思われるが、今や否定を伴わない
使い方も市民権を得つつあり、間違いとはいえなくなってきている。
- ◆船頭多くして船山に上る
- 物事を進める時に、指図をする人が多すぎて、かえって統一がとれず、
目的とは違った方向にそれてしまうことに例えていう。
-
[ そ ]
-
- ◆糟糠の妻
- 「後漢書」に出てくることば「糟糠の妻は堂より下さず」に由来する。「槽」は酒の粕、
「糠」は米のぬかで、「糟糠」は粗末な食事のこと。貧乏な時から苦労を共にしてきた
妻は、自分が出世した後も大切にしなくてはいけない、と言う意味。
ところが、最近の若者は、「糟糠」の意味がつかめないので、誤って解釈しがちだという。
「糟糠」を「糠みそ」と考え、「糠みそくさい妻」だと思っているのである。貧乏すれば
所帯じみて糠みそくさくなる人が多いことから生れた誤りなのであろうか。
- ◆総領の甚六
-
最初に生まれた子は、ほかの兄弟に比べて、おおようで、ぼんやりしているということ。
- ◆俎上(そじょう)の魚
-
まな板の上に乗せた魚。抵抗も無駄な無力な状態をいう。
- ◆育ちははずかし
-
人がどのように育てられたかは自然に言葉や動作に表われ、隠す事が出来ないということ。
- ◆袖ふれあうも他生の縁
- 「電車で隣の人に足を踏まれたが、これも”袖ふれあうも多少の縁”だよ」などといったりする。「多少の縁」
では、ほんのわずか縁があるだろう、の意になってしまう。正しくは、「他生の縁」である。
他生の縁とは、仏教後で前世又は来世における因縁をいう。従って、互いに見も知らぬ人とちょっとした
交渉を持つのも前世からの因縁によって結ばれている為である、の意。
なお、「袖ふれあう」の部分は「ふりあう」「すりあう」などの表現もあり、また
古くは「他生の縁」は「多生の縁」とも書いた。
- ◆添わぬ仲が花
- 夫婦として一緒に暮らす前の、恋仲の時代が花の香りのように甘く、華やかで、最も楽しいということ。
-
[ た ]
-
- ◆大器晩成
- このことばは、「老子」の「大方の隅なし、大器は晩成す」に由来する。大きな
器物が簡単に出来ないように、大人物もそう簡単に出来上がるものではない。
将来性のある人物を長い目で見てやろう、という慈愛のこもった意味である。
現在では、本来の意味で使われることもあるが、「君は何をやっても芽が出ないが、
大器晩成のタイプだろうから悲観する事はない」というような慰めの言葉として使ったり、
のっそりしていて、昇進が遅い人を軽く揶揄したりするときにも使われるようになっている。
- ◆第六感
- 五感(視角、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)以外の感覚、第六番目の感覚のこと。
この言葉を「彼は六感が鋭いから・・・」のように使う人がいるが、これは間違いである。
「六感」では、六つの感覚という意味になってしまうので、必ず「第」をつけなければいけない。
これは、第三者(当事者以外の者)と三者(三人の者。三つのもの)の違いと同じことである。
- ◆高嶺の花
- 眺めているだけで、手に取る(手に入れて自分のものとする)事の出来ないものの例え。
- ◆竹屋の火事
- 続けざまに激しく怒るのを、竹が燃える時にポンポンとはじける音に例えて言う。
- ◆他山の石
- 「詩経」の「他山の石、以って玉を攻(みが)くべし」が出典。最近は、「他山の石」を、
他の山の石っころ、つまり、自分にはあまり関係のないこと、と解釈している人がいるが、これは
明らかに間違いである。本来の意味は、例えよその山から出た粗悪な石でも玉を磨く砥石にはなる。
つまり、自分より劣っているほとの言行でも、自分の才能を磨く反省の材料にはなるものだ、という
意味だったのである。
- ◆畳の上の水練
- 畳の上で水泳の練習をするようなもので、理屈や方法だけ詳しく知っているが、
実際に役にたたないことの例え。
- ◆立つ鳥跡を濁さず
- 立つ鳥とは、立ち去って行く鳥のこと。ある場所から立ち去る時に、跡が見苦しくないように
気をつけるべきである、と言う例えである。これを、「飛ぶ鳥跡を濁さず」という人がいる。
「飛ぶ鳥」では、一度飛んでいってすぐまた戻ってくる事もある。あくまでも「立つ鳥」でなければならない。
鳥は飛ぶものであるという先入観の為であろうか、このような間違いは以外におおいものである。
- ◆矯(た)めるなら若木のうちに
- 枝ぶりの曲がっているのを伸ばすには、その木があまり伸びきっていないうちが良いのと
同調に、ひとの欠点や悪い習慣を正しくなおし、しつけをするのは、年をとってからでは
もう手遅れで、若いうちが良い。
- ◆男子家を出ずれば七人の敵あり
-
男が社会に出て活動するには、仕事のために外部との交渉があるので、多くの敵をつくりやすい。
- ◆立て板に水
-
立てかけてある板に水を流すように、ものの言い方が鮮やかで、途中で引っかかったりしない例え。
- ◆蓼(たで)食う虫も好き好き
-
辛みがあるタデの葉を食う虫もあるように、人の好みは様々であること。
- ◆棚から牡丹餅
-
棚からおいしいぼた餅(おはぎ)が落ちてくる。思いがけない幸運が訪れる例え。
- ◆旅は道連れ世は情
-
旅をする時は、一緒に行く人があるのが心強く、世の中で暮らしていくには、
互いに思いやりの心を持つことが大切である。
- ◆断固として
- どんな事があっても、きっぱりと事を行う、という意味。積極的行為につける副詞で
「断固として戦う」「断固として行く」などと言うのが正しい使い方である。
ところがこの言葉を「断固として嘘はつかない」「断固として行かない」などよ、否定的、
消極的な動詞に付けて間違って使用している人がいる。これは、打ち消し語をつけて使う、決して
、必ず、という意味の言葉「断じて」と混同した結果生まれた誤りであろう。
- ◆断じて行えば鬼神もこれを避く
-
かたく決心して行えば、どんな障害も乗り越えられ、鬼神(協力な者)もおそれてこれを
よけるから、その志を貫くことができる。
- ◆単刀直入
- 単身で敵陣に切り込むという意味から、前置きを言ったりせず、直接問題の要点に触れる事を
さす。この「単刀」を同音の「短刀」と誤って、「短刀直入」だと思っている人がいる。「短刀」は、
短い刀。「短刀直入」では、人を直接突き刺す事になってしまう。
-
[ ち ]
-
- ◆沈黙は金なり
-
くだらないこと、余計な事を、ぺちゃくちゃしゃべらないで、落ち着いて黙っている方が、
金のように値打ちがあるのです。
- ◆知恵者一人馬鹿万人
-
ものの道理が解らない人が多いのに比べて、知恵がすぐれた人は少ないということ。
- ◆近い者に金は貸さぬもの
-
親しい人や身寄りに貸した金は、催促して取り立てるのは具合が悪いし、煩わしい
問題が起こりがちであるから、貸し借りはしないにこしたことはない。
- ◆竹馬の友
-
一緒に竹馬に乗って遊んだ、幼い時代の友達
- ◆長者富に飽かず
-
多くの財産がある人でも、もうこれで十分に満ち足りているというものではなく、
浴にはきりがないこと。
- ◆長者の万燈より貧者の一燈
-
貧しい人の僅かな志(厚意)は、誠意のこもっている点で、たくさんの志よりも
勝っている。形式よりまごころの尊さをいう。
-
[ つ ]
-
- ◆追従(ついしょう)も世渡り
-
日と機嫌をとっておべっかいを使い、おせじを言うのも、世間で暮らして行く為には
やむを得ない手段である。
- ◆追従(ついじゅう)する
- 人のあとにつき従うことの意味。「あなたは社長の力に追従して仕事に励んでいる
模範的な社員だ」という言い方はあるが、この「追従」を「ついしょう」と発音したら
間違いになる。「追従(ついしょう)」とは、こびへつらいこと、つまり、ごますり者、
おべっか使いの意味になってしまうのである。
しかし、「追従(ついじゅう)」も「欧米文化に追従する」「他の追従を許さない」などという使い方が
正しく、追従する側にとっては、あまり良い意味はもたない。
- ◆使うものは使われる
-
人に言いつけて用事をさせる(人を働かせる)者は、他人に使われる者より
一段と気苦労が多いということ。
- ◆月とすっぽん
-
比べ物にならないほど違う(へだたりが非常に大きい)ことの例え。
- ◆月夜に釜を抜かれる
-
月の明るい夜に釜(飯を炊く釜)を盗まれる。
大したことがない油断して、その隙に付け入られること。
- ◆月夜に提灯
-
月の明るい晩に提灯にろうそくをともしても、ぼんやりしてはっきりしないところから、
無駄なこと、また必要がないことの例え。
- ◆角を矯(た)めて牛を殺す
-
牛の角の形を治そうとして、思わず牛を死なせてしまう、ということから、
少しの欠点や傷を治そうとして、そのやり方が度を過ぎたために、かえって
その物事をダメにしてしまう事。
- ◆爪に火をともす
-
ろうそくの代わりに、爪に火をつけるほど、ケチであること。
- ◆爪の垢を煎じて飲む
-
すぐれた人の影響で、自分もそれにあやかりたいとする例え。
- ◆爪を研ぐ
-
大きなたくらみ、又は、望みを果たそうとして機会を待つ。
- ◆面の皮千枚張り
-
顔の表皮を何枚も重ねて張ったように、恥しらずで厚かましいこと。
- ◆面の皮を剥ぐ
-
厚かましく、恥知らずの者をひどい目にあわせる。
- ◆釣り合わぬは不縁のもと
-
結婚する男女の家柄、境遇などが(あまりにかけ離れて)つりあわないことは、
離縁など思わしくない結果を招くことになる。
- ◆釣り落とした魚は大きい
-
もう少しで手に入るところだったのに、その矢先にとりにがした(失った)
ものはきわめて残念で、なかなか思い切れない。
-
[ て ]
-
- ◆亭主の好きな赤烏帽子(あかえぼし)
-
烏帽子(かぶりものの一種)は黒塗りが普通であるから、一家の主人が好む事は、
例えどんなに変ったことでも、家族はこれに調子を合わせ、従わなければならない事。
- ◆泥中の蓮
-
よごれた環境にあってもその影響を受けることなく、潔白(けがれのない)
を保つものの例え。
- ◆手書きあれども文書きなし
-
上手に文字を書く人はたくさんあるが、上手に文章を書く人は少ない。
- ◆敵は本能寺にあり
-
明智光秀が備中の毛利氏を攻めると見せかけて、にわかに方向を変えて、
京都の本能寺の織田信長を攻めたことから、ほんとうの目的は別の
ところにある、ということ。
- ◆鉄は熱いうちに打て
-
鉄で器機や器具を作るのに、鉄を熱して熱いうちに打ちきたえるところから、
立派な人間にしようと、練り鍛えるには、まだ私欲がなく純真さを失わない
(まじけがない)うちがよい、ということ。
- ◆出る杭は打たれる
- 「杭」は、地中に打ち込む長い棒のことで、見印や支柱にするもの。従って、ここでは
出立つものの例として使われている。ところが、最近の学生は、「出る釘は打たれる」と言ったりする。
「釘」は「杭」とは違って、あまり目立たない。これは完全な誤用である。
- ◆天高く馬肥ゆ
-
大空が澄み渡って、馬も(人も)ふとって、たくましくなる。暑くも
寒くもなく、秋は、快適な季節であることに言う。
- ◆天地無用
- 上下を逆さまにしないで下さい、という意味で、包装した荷物の外側に
書かれることが多い。ところが最近の若者は、この言葉を「天も地も無い用」と読み
、上下に関係なく、さかさまにしてもよい、と正反対に解釈しているという。
「無用」には、無駄、用事がない、の他に、「小便無用」のように、してはいけない、
という制止・禁止の意味もあるのである。
- ◆天は自ら助くる者を助く
-
他に頼らず、自分の信じる通りに一心に努め励むなら(天はそういう者に
手助けして)自然に幸福がやってくる。
-
[ と ]
-
- ◆十日の菊、六日の菖蒲(しょうぶ)
-
九月十日(菊の節句の翌日)のキク、五月六日(菖蒲=端午=の節句の翌日)の
ショウブの意。
時機におくれて役にたたない物事のたとえ。
- ◆遠くて近きは男女の仲
-
男女の仲は思いのほか結ばれやすいものである。
- ◆遠くの親類より近くの他人
-
いざという時、遠い所にいる親類よりも、近くに住む他人のほうが、
何かにつけて,頼りになる。
- ◆同工異曲
- 「あの作家の作品は同工異曲の小説ばかりでつまらない」この場合
「同工異曲」を"焼き直し"と同じように悪く評価するために使っていることが
問題。本来の意味は、ほめことばである。音楽、小説、詩歌などの作品の細工や
手際の優秀さ(出来栄え)は同じだが、趣が異なって素晴らしいという場合に
使うのが本当である。
ただし、国語辞典にも「見かけは違っているが、内容は同じ」という意味が出ているし、
最近では、冒頭の言い方をしても必ずしも間違いとは言えなくなって来ている。
また「同攻異曲」と書いている例がみられる。本来の意味から考えると、この方が
ぴったり合っているように思えるが、これは完全な誤りである。
- ◆登竜門
- 「後漢書」に出てくることば。「竜門」とは、中国の黄河の上流にある急流の名前で、
鯉がここを登ることが出来れば、竜になるという伝説から来ている。
一般には、立身出世につながる難しい関門、という意味で使われているが、本来は、
難しい関門を突破する事が登竜門(竜門を登る)だったのである。
したがって、一般的に言われている「○○大学はエリートへの登竜門」「登竜門をくぐる」
「登竜の門」などは、本来の意味からするといずれも間違いということになるのである。
- ◆時は金なり
-
時というものはお金と同様に貴重であるから、無駄に使わないで、
よく励み努めなければならないということ。
- ◆毒を以って毒を制す
- 毒を消す為に他の毒を用いる。悪人(悪事)を取り除くのに悪人(悪事)
を使いことの例え。
- ◆年寄りの冷や水
- 老人が自分の年を考えず(若い者に負けないつもりで)見ていても
はらはらすようことをする例え。
- ◆隣の花は赤い
- 他人の持っているものが、自分のものよりいいように見えて、羨ましい
ことの例え。
- ◆鳶(とび)が鷹を生む
- 特に優れたところがない親が、立派な子供を産む例え。
- ◆捕らぬ狸の皮算用
- まだタヌキを捕まえないうちから、その皮がいくらで売れるだろうかなどと
計算するということから、物事の確定する前からあてにして心待ちに待つことの例え。
- ◆取りつく島もない
- 「島」は場所、頼り、という意味で、取りすがるような頼りにするものが何もない事を言う。
ところが現代の若者達は、相手が忙しそうにしているので、自分が何か相談しようと
思っても、相手に暇がない。即ち、「取り付く暇もない」などと使っているという。
これは、「島」と「暇」が似た発音である事から来た誤り。
ことばを活字を見ておぼえるのではなく、耳から聞いて覚える時、このような
誤りが起こり勝ちである。
- ◆泥棒を捕まえて縄をなう
- ふだん注意を怠って、今にも事が起こりそうになってから、あわてて準備
するのにいう。
- ◆どんぐりの背比べ
- これといって優れた点もなく、皆平凡で、大した違いがないのを言う。
- ◆飛んで火に入る夏の虫
- 自分から進んで、身をわざわいの中に投ずる人の例え。
- ◆とんでもない
-
相手からほめられ、謙遜してそれを打ち消すときに「とんでもない」を丁寧に言ったつもりで、
「とんでもございません」と言う人がいる。
例えば、「すてきなバッグですね」
「とんでもございません、10年前のものです」などと使う。
しかし、これは間違いで、「とんでもない」は、「とんでもな・い」という形容詞なので、
「とんでも」だけをとり出し「ございません」をつけることはできないのです。
「とんでもない」を謙遜して言う場合は、「とんでもないことでございます」が正しい使い方となります。
-
[ な ]
-
- ◆無いが意見の総じまい
- 酒や女におぼれた者に、意見しても、効き目がないが、いづれ多くの金を
その為につぎ込んで、無一文になれば、そのときが最後の意見と同じで、
自然に品行がおさまるということ。
- ◆無い袖は振れぬ
- 親切な気持ちはあっても、現に自分のものとして持っているもの(金銭)
がなくては、どうにも仕方が無い。
- ◆ない知恵は絞れぬ
- 「難しい問題で解くことが出来ない。ない知恵は振れぬ、だよ」などという人が
いる。これは誤りで、「ない知恵は絞れぬ」と言わなければいけない。
「知恵」は例えあっても振れるものではない。似た語句に「ない袖は振れぬ」があり、力に
なってやりたくても、自分にその力がないという時に使う。前述の誤り、このことばとの
混同からきたものであろう。
- ◆無いもの食おうが人の癖
- どっさりあるものは、大して欲しいと思わないが、ほんの少ししかないものや、
少しも無いものは、余計に欲しがるのが世の人の慣わしである。
- ◆長い物には巻かれよ
- 勢力のある人や目上の人には反抗しないで、言われた通りにするほうが
得だ、ということ。
- ◆流れに棹さす
- 棹を水底に突いて舟を進める意から、時流にうまく乗り、目的に向かって順調に
進む、と言う意味。
夏目漱石の「草枕」の冒頭に「情けに棹させば流される」とあるのは有名。ところが
最近、この「流れに棹さす」が、舟を止める為に棹をさす、とも考えられる事をや
類似語に「水をさす」があることから、「時流や大勢に逆らう」と誤った解釈をする人
が多くなっている。
- ◆泣きっ面に蜂
- 泣き顔を蜂が刺す。不幸せ(不幸・不運)の上に、不幸せが更に加わること。
- ◆泣く子と地頭(じとう)には勝てぬ
-
泣いて言うことをきかない子どもと、権力を持つ横暴な地頭(昔の役人の職名)には、
こちらがどんなに正しいことを言っても、もっともだと認めてもらえない。
理屈の良し悪しに関係なく、勝つ見込みのないたとえ。
- ◆無くて七癖
- 人には誰でも多かれ少なかれ、くせがある、ということ。
- ◆仲人の嘘八百
- 結婚の仲立ちをする人は、とかくウソを並べ立て、実質以上に大げさに
言うから、当てにならないのを言う。
- ◆情けは人のためならず
- 本来の意味は、人に情けをかけておけば、めぐりめぐって自分にもよい報いがある。
情けをかけるのは、あいての為になるだけでなく、自分の為でもあるので、人には
親切にせよ、ということである。
ところが、現代の若者は、このことわざを逆の意味にとるという。情けをかけることは、
その相手を甘やかす事になり、決して良いことではない、だから、人に情けをかけるものではない
、と解釈するというのである。
- ◆七転び八起き
- 七度転んで八度起きる。何度失敗しても心がくじけず、立ち上がって
奮闘すること。
- ◆七度尋ねて人を疑え
- 捜しているものが見つからない時、あらゆる手立てを尽くした最後に、
疑いを持つのは、まあやむを得ない場合があるにしても、最初から
人を疑うのは良くない。
- ◆なめくじに塩
- ナメクジに塩をかけると、ちじんで小さくなるところから、非常におそれて、
身をすくめること。また、失望したり予期に反することに出会ったりして、
元気がなくなる例え。
- ◆習うより慣れよ
- 教えを受けたり、本を読んだりしてなお覚えられなかったことも、
度々経験してそのことに慣れ親しむなら、自然に良く理解して自分のものと
することができる。ということ。
- ◆ならぬ堪忍するが堪忍
- (辛さ、苦しさを)もうこれ以上我慢出来ないところを、ここが
我慢しどころだと思って、じっと耐え忍ぶのが真の我慢である。
-
[ に ]
-
- ◆二階から目薬
- 二階にいる人が階下の人に目薬をさすように、思うようにならずに
いらだたしいこと。また効果のないことの例え。
- ◆憎まれっ子世にはばかる
- 他人に好意を持たれず、嫌われるような者がかえって世間では、
誰にも遠慮しないで勢力を振るっている。
- ◆二足の草鞋(わらじ)を履く
- 同じ人が、両立しないような二つの職業・立場を兼ねること。
- ◆似た者夫婦
- 夫婦は性質・好みなどが互いに似ていると言う事。また性質・好みが
似ている夫婦。
- ◆二度教えて一度叱れ
- 過失を責めるにしても、最初から口やかましく叱りつけないで、良く
言い聞かせて、解らせることが大切である、と言う事。
- ◆二兎を追う者は一兎をも得ず
- 一度に二匹の兎を追いかけも、結局はどちらも逃げられてしまうことから、
同時に二つの目標を達しようとすれば、その一方さえうまくいきそうにもない。
- ◆二の舞を演ずる
- 「親子だから悪いことは似るものだ。親父の二の舞を踏んでしまった」という人が
いる。先人の失敗を繰り返す事やその真似をしてしまうことを言いたいのであろうが、
それなら「二の舞を演ずる」という言い方が正しい。
別のことばで「二の足を踏む」という言い方があり、しり込みをする、踏む出す事を
ためらう、という意味を持つ。この二つを混同して「二の舞を踏む」になったものだろうが、
これは明らかに誤用である。
- ◆女房と畳は新しい方がよい
-
結婚したての妻は、いきいきしているし、新しい畳は青々していて気持ちが良い。
どちらも新鮮味があって良い。
- ◆人間至る所青山あり
- 人間はどこで死んでも骨をうずめる所(青山)ぐらいはある。遠大な望みを
達するためには、故郷を離れて大いに活躍すべきだと言う事。
- ◆人間万事金の世の中
-
人々が生活しているこの世の中は、すべての事が金によってどうにでもなる。
-
[ ぬ ]
-
- ◆糠に釘
- いくらやっても手ごたえがない例え。いろいろ忠告しても効果のないことに言う。
このことわざを最近中・高校生は、「糠みそに釘」などと言っているという。
糠みそに釘を入れれば、茄子が紫色に美しく浸かるとはいうが、手ごたえがない、という意味
にはならない。これは、糠みそは知っていても、そのもとになる米ぬかを見たことがない
現代っ子が多いことから来た誤りであろう。
- ◆抜け駆けの功名
- すきに乗じて、また、人をだまして手柄をたてること。
- ◆盗人を捕らえて見ればわが子なり
- 思いもよらないことで、どうして良いかその処置に困ること。
また身近の者であっても、心を許せないことに言う。
-
[ ね ]
-
- ◆猫に小判
- 猫に小判を持たせても、値打ちが解らない事から、何の甲斐もないこと。
似た言葉に「豚に真珠」
- ◆濡れ手で粟
- 濡れた手で粟をつかむと、粟粒がくっつきやすいので沢山つかめる。苦労しないで
多くの利益を得る、という意味。
ところが最近の学生の間では、「あわ」を洗剤の「泡」だと思い、何度やっても無駄なこと
、と間違って解釈するという。これは、粟など見たことも食べたこともない現代っ子が
生み出した珍解釈といえよう。
- ◆熱に浮かされて
- 高熱のために常態をを失う、という意味。「熱にうなされて」という人がいるが、
これは誤りである。うなされるとは、恐ろしい夢を見て思わず声を立てることで、熱が出なくても
うなされる事はある。この誤用は、「夢にうなされる」との混同から起きたものであろう。
-
[ の ]
-
- ◆脳ある鷹は爪を隠す
- 有能な鷹は、獲物に攻めかかる直前まで爪を隠して、相手に気付かれないようにする。
ということから、実力のある人物は、やたらにそれを自慢するように、
外部に表さない例え。
- ◆残り物に福がある
- 余って、後に残った物の中には、思いの他良いものがある。
- ◆喉元過ぎれば熱さ忘れる
- 苦しかったことも、過ぎ去ってしまえば、(何事もなかったかのように)
すっかり忘れるものだ。
- ◆乗りかかった舟
- 乗って漕ぎ出した舟、ということから、ことのなりゆきが、今となっては
中途で止める事の出来ない勢いであることの例え。
-
[ は ]
-
- ◆敗軍の将は兵を断ぜず
- 失敗した者は、その事柄についてとやかく言う資格はない。
- ◆排水の陣
- 川や海を背にした場所に陣を構える意で、もうこれまでと覚悟を決め、
全力を尽くしてことに当たる事。
- ◆這えば立て立てば歩めの親心
- 親がわが子の成長を今か今かと待ち続ける心をいう。
- ◆掃き溜めに鶴
- ゴミ捨て場に、すっきりとして清らかな鶴がいる、ということから、
まわりの環境に似合わしくない場所に、ひときわ優れたものが交じっている
例え。
- ◆馬脚を現す
- 隠していたことや、うわべを飾っていた本性が表われる。またみっともない
欠点(失敗)が表向きになる。
- ◆伯仲の間
- 良く似ていて優劣の差が着けにくいこと。
- ◆肌に泡を生ず
- 恐ろしさ、寒さなどにぞっとして、肌(毛穴)がアワつぶのようにふくれる。
- ◆破竹の勢い
- 竹を割る時、始めの筋を割れば、後はわけなく裂けることから、
勢いが激しく、押さえとめる事ができない様子。またその勢い。
- ◆八方美人
- 誰に対しても如才なくふるまう人、という意味。これを、褒めことばだと思い、「あなたは
八方美人で誰からも好かれえt・・・」のように使う人がいるが、これは間違い。
「八方美人」には、どっちに対してもいい顔ばかりして、という批判の意味が含まれているのである。
- ◆洟(はな)も引っかけない
- 「あいつは馬鹿な奴だ。もうこれからは鼻にもかけないよ」など、「鼻にもかけない」
という言い方が一般に使われているが、これは間違い。相手にしない、取り合わないという
意味で使うなら、「洟も引っかけない」が正しい。
洟は鼻から出る汁であり、鼻水もかけるのも嫌だという意味。「鼻にかける」は、
得意がる、自慢する、という意味だから、「鼻にかけない」という言い方は基本的に
おかしい。
- ◆花より団子
- 花を観て風流を楽しむよりは、食べる事の出来る団子の方が良い、ということ。
- ◆腹八分に医者いらず
-
腹がいっぱいになるほど食べず、いつも八分目ぐらいにひかえめにしておくと、
からだの調子がよく健康で、医者の世話になることはない。
- ◆腹をすえる
- いざというときの覚悟を決める、という意味。これを、「腹をくくって難事業に着手
した」というような言い方を人がいる。これは「腹に帯をしっかり締めて」というニュアンスで
使ったのであろうが、間違いである。
ただし、この誤用は、テレビドラマなどでもよく使われており、いずれ市民権を得てしまうかも知れない。
- ◆早合点の早忘れ
-
ろくに聞かないうちに、もうわかったと思い込む人は、忘れるのも早くて、頼りにならない。
- ◆針ほどのことを棒ほどに言う
- 物事を実質以上に誇張して言うこと。針小棒大。
- ◆犯罪
- 罪を犯すこと、の意味であるが、このことばは話しことばとして使われる時、
「犯罪を犯す」のように重ねことば(重言)になることが多い。これは「犯罪」をそのまま
使って動詞にすることができないことから「犯す」と、また同じ語を繰り返してしまったのであろうが、
誤用である。正しくは、「罪を犯す」と言うべきである。なお、同じような重言に
「被害を被る」がある。
-
[ ひ ]
-
- ◆贔屓(ひいき)の引き倒し
- ひいきをしすぎて、かえってその人を不利に導き、迷惑をかけること。
- ◆引かれ者の小唄
- 刑場へ引かれていく罪人が、やけくそになって何となく小唄を歌う、
と言う事から負け惜しみに、無理やりに強がりを言うこと。
- ◆日暮れて道遠し
- やりたい事がたくさんあるのに、老年の今となってはもう、その目標に
近づけることは容易ではない。
- ◆匹夫の勇
- いろいろと思い巡らした考えも無く、ただ物事に激しやすいだけの勇気。
- ◆一つ釜の飯を食った仲
- 他人ながら苦しみと楽しみを共にした親しい付き合いの関係にあることを言う。
- ◆人は見かけによらぬもの
- 人の性質や行いは、ちょっと外から見ただけでは判断することができない。
- ◆人のふんどしで相撲をとる
- 他人のものをうまく利用して、自分の都合がいいようにすること。
- ◆人の噂も七十五日
- 噂が人の口から口へと伝わるのは早く、あっという間に世間の評判になるが、
しかし長続きはせず、七十五日も経てば、自然に忘れされれてしまうものを言う。
- ◆人の口には戸が立てられない
- 世間の口はうるさいもので、とかくの評判や取りざたは防ぎようがない。
- ◆人は一代名は末代
- 人の肉体は、死んでしまえば一代限りで、消えてなくなるが、善い行いを
すると、栄えある名誉は永く後の世まで残る。
- ◆人を呪わば穴二つ
- 人に害を与えれば(その報いとして)自分もまた害を受ける。
- ◆火の無い所に煙は立たぬ
- 根拠となる事実が無ければ、噂は立たないことを、火の気の無い所から、
煙が立ち昇るはずが無いことを例えて言う。
- ◆百聞は一見に如かず
- 百度人から聞くよりは、一度実際に自分の目で見て、(確かにそうだと
認め)た方がよくわかる。
- ◆ひょうたんから駒が出る
- あの小さな口から急に何かが飛び出してきたら、びっくりしますね。
意外なところから意外な物が現れる事を言う。
また、冗談に考えていたり、言ったりしていたことが、本当になってしまう事を言う。
- ◆貧すれば鈍する
- 貧乏すると、生活の方にあれこれと気を使って苦労するので、才女の働きが
鈍くなる。
- ◆貧乏暇なし
- 貧乏な人は絶えず生活に追われているので、仕事がなくて手があいているという
事は無い。
-
[ ふ ]
-
- ◆夫婦喧嘩は犬も食わぬ
- 夫婦喧嘩はその時だけで、互いに譲り合ってすぐ仲直りするから、
他人が立ち入ってかかりあうものではない、ということ。
- ◆夫婦喧嘩も無いから起こる
- 家計が苦しいと、取るに足りないことも夫婦喧嘩の種になる。
- ◆笛吹けども躍らず
- (すっかり準備をととのえて)人に働きかけても、また、おだてても、
これに応ずる様子を見せない。
- ◆河豚(ふぐ)は食いたし命は惜しし
- 美味しいふぐ料理を食べたいが、(いい加減が調理法だと)無毒にあたる
おそれがあるので、食べるのを差し控える。ある行動をしたのだが、危険が
伴うので、思い切って決心することが出来ない例え。
- ◆船は帆でもつ帆は船でもつ
- 帆がないと船は進まず、船があって始めて帆も利用価値がある。世の中は
互いに助け合って、うまく行くようになることを言う。
-
[ へ ]
-
- ◆下手の考え休むに似たり
-
「君は麻雀が弱いね。下手な考え休むに似たりだよ」などと言う。
「下手な考え」は誤りで、「下手の考え」が正しい言い方。
良い考えも出ないのに、考えるだけ無駄だと相手をやっつける時に使われる言葉。
「下手な考え・・・」というと、上手な人でも
《時と場合によって下手な考えをすることがある》という意味になって、
もともとの意味とは違ったものになってしまう。
- ◆下手の長談義
- 話し方がうまくない人の話は、だらだらと嫌気のさすほど長たらしい。
- ◆弁慶の泣き所
- そこを蹴られると、弁慶ほどの豪傑でさえも痛がって泣く、ということで、向うずねの
別称。精神的なことを含めた急所。
-
[ ほ ]
-
- ◆坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
- その人が憎らしくてたまらないと、その人に拘わりのあるものは、何から何まで
全て憎く思われる。
- ◆仏の顔も三度
-
これは、狂言の「貰聟」(もらいむこ)にある。
「仏の顔も三度なづれば腹を立つと申すが・・・」に由来している。
どのような温厚で立派な人でも、何回もからかったり不義理を繰り返せば、ついには怒る、という意味。
「三度」を、三度めまではよいのか、二度まではよくて三度めはだめか、とこだわる人がいるが、
これは三回という回数をさしているのではなく、「たびたび」というほどの意味である。
- ◆骨身
- 骨と肉、という意味。転じて「全身」をさすことば。「骨身を惜しまず」などと使う。
これを「身にこたえる」「身を惜しまず」などと言う人がいるが、誤りである。
「身」だけでは、全身の意味にならず、半分しか「こたえて」いない、「惜し」んでいない
ことになってしまう。なお、「骨身を削る」「骨身に染みる」も全く同様のことば。
- ◆惚れた腫れたは当座のうち
- 好きでたまらない、大好きよと甘えているのは、結婚したてのころ少しの間で、
やがて生活の苦労の為に、そんな甘いムードに浸ってはいられなくなる。
-
[ ま ]
-
- ◆蒔かぬ種は生えぬ
- 例えば、働かなければ報酬は得られないし、悪事の報いとして不幸に悩まされるように、
原因がなくては結果は生じない。
- ◆負け惜しみの減らず口
- 負けたのを悔しがって、理屈をつけて、人に憎まれるような口を利くこと。
- ◆馬子にも衣装
-
身分の低いものでも身なりをととのえれば、衣装次第で一応は立派にみえる。と言う意味。
身内が謙遜して使ったり、他人が陰口として使う言葉である。
ところがこの言葉を「お宅のお嬢さんは、和服が似合いますね。
まごにも衣装とは良く言ったものですね」などと,ほめ言葉だと思って使っている人がいる。
これでは無知を笑われてしまいます。
「まご」は「孫」ではなく馬子のことなのである。
「馬子」とは、人を乗せた馬を引くことを、職業にしている人のことです。
- ◆待てば海路の日和あり
- 今は思うままにならなくても、諦めず、いらいらせずに待っていれば、
その内に幸福がやってくる。
- ◆的を射る
-
「あなたの言うことは確かに的を得たご意見だ」と言う人が居るが、「的を射る」が正しい。
これは、「的を射る」と「当を得る」という言葉の意味が似ているため混同してしまったもの。
「的を射る」は、正しく要点をとらえること。
「当を得る」は、道理にかなうと言う意味である。
-
[ み ]
-
- ◆木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊になる
- 他人を探しに行った人が、そのまま同じように探される立場になる。
また、意見に行った者が、相手に調子をあわせ、同じ意見になってしまう。
- ◆水は方円の器に従う
- 水が、容器の形に従って流れ動き、円くも四角にもなるように、人は、交際している
友達の善悪によって、良くも悪くもなる。
- ◆みそをする
- おべっかを言う、こびへつらうなどの意味。昔、味噌は個々の家で大豆の粒をすりつぶして
造ったもので、労働を提供することを比喩した言い方として「みそをする」ということばがあり、
そこから冒頭に示した意味が派生したのである。
しかし、最近では、自家用の味噌を造るなどほとんどなくなってしまった。同じする行為でも
胡麻の方は、今でもすって料理に使われている為「ごまをする」という言い方の方が一般的
になっている。従って、「みそをする」「ごまをする」はどちらも正しいことばなのである。
- ◆三つ子の魂百まで
- 幼い時からその身にそなわった性質は、年をとっても変らないことにいう。
- ◆耳ざわり
-
「耳ざわり」は「耳障り」と書き、障害になる、邪魔になるの意味で、耳に聞いて不快に感じる、
という意味である。
ところが、最近の若者の多くは、「耳ざわりがいい」という使い方をする。
これは、単に触れたときの感じを示す「肌触り」「手触り」などの
「触り」と「耳触り」の「障り」を混同した結果起きた誤用である。
同じように「目ざわり」も「目障り」と書き、悪い意味をもっている
- ◆未亡人
-
「未亡人」は、もともと夫を失った妻の自称。
夫の死に対し、本来は自分も死ぬべき身なのに、まだ生きている、
「未(いま)だ亡びざる者」ですと、謙遜の気持ちを込めて使った言葉だったのです。
ところが最近では、「あなたは未亡人になってから美しくなられましたね」
などの使い方が一般的になっています。
他人が言うと失礼にあたるはずなのだが、実際には自称であったことばが、
いつの間にか完全に他称に変化してしまい、いくらか敬称のニュアンスさえ含むようになっている。
日本語むちゃくちゃな使われ方になってしまっていますね。
-
[ む ]
-
- ◆昔とった杵柄
- 昔きたえた腕前。以前によくやって、今でも上手く出来ることをいう。
- ◆昔のことを言えば鬼が笑う
- 過ぎ去ったことを、何のかのと言っても効き目がない。
- ◆娘三人持てば身代が潰れる
- 女の子が三人もいると、嫁入りの費用がかさんで、財産が残らないということ。
- ◆娘一人に婿八人
- 一つの物事に対して、希望者が沢山ある例え。
- ◆娘を見るより母を見よ
- 娘をもらう時に、母親の人柄を見れば、娘の性質や品位が判ることをいう。
- ◆無理が通れば道理が引っ込む
- 道理に外れたことが行われる世の中では、道理に叶ったことが行われなくなる。
-
[ め ]
-
- ◆目明き千人盲(めくら)千人
-
世の中には、ものの道理のわかる人もあるが、いくら説き聞かせても、判らない人も
以外いに多いものである。
- ◆名所に見所なし
- 景色や旧跡などで名の知れた土地で、見る値打ちがあるような所は、そう多くはない。
評判と実際が伴わないことの例え。
- ◆名物に旨い物なし
- その土地の名産と言われるもので、味が良いものは、そう多くはない。
評判と実際とがかけ離れている例え。
- ◆目くそ鼻くそを笑う
-
自分の欠点には気付かず、他人のことをバカにして笑うこっけいさの例え
- ◆盲(めくら)蛇(へび)に怖(お)じず
-
目が見えない人は、蛇がいても平気でいられるように、ものを知らない人は、どんなことにも恐れない。
- ◆目には目 歯には歯
- 相手が仕掛けてきたのと同じ手段で対抗する例え。(マムラビ法典にある)
- ◆目の上の瘤(こぶ)
- 自分よりも才能、地位などが上で、何かにつけて邪魔になるもの。
- ◆目は口ほどに物を言う
- 心の中の感情は、口に出さなくても、すぐ目の表情に表われる。
-
[ も ]
-
- ◆餅は餅屋
-
商人にしても技術者にしても、物事にはそれぞれの専門があること。
その事がらに通じていない人は、専門家には及ばないことをいう。
- ◆門前雀羅(じゃくら)
- 「客がひっきりなしにつめかけて、門前雀羅を張るような大盛況」という使い方をする人が
いる。これは完全な間違いで、正しい意味は正反対である。
「史記」の著者 司馬遷の文に、ある人物が、身分の高い官吏になったら訪問客が門前に
満ちあふれたが、免職になったら誰も寄り付かなくなり、「門外に雀羅を設(か)句べし」
という状態になった、とある。
「門前雀羅」は、訪問客が全くなく、門前に雀捕りの網を張れるぐらいだ、という意味である。
冒頭の誤用は、「雀」の文字から、門前に雀がたくさんやってきて、ピーチクパーチク
騒ぎ立てる様を連想したために起きたものだろう。
- ◆門前の小僧習わぬお経を読む
- 日頃見たり聞いたりしていると、習わなくても、気がつかぬ内にそれを理解して、
自分のものとすることができる。
-
[ や ]
-
- ◆八つあたり
-
「八つ」とは八方で、四方(東西南北)と四角(東北、北西、南東、南西)との八つの方向、
つまりあらゆる方向のこと。
「八つあたり」は、関係のない人にまで怒り散らすことである。
しかし、最近の若者の中には、この「八つ」に「奴」の字をあてて、嫌な奴に怒り散らすこと、
と解釈している例が見られる。
特定の相手にだけ当たるのなら、八つあたりにはならない。
これは「八方」という意味の考え方が薄れてきていることからきた誤りのようです。
- ◆焼け石に水
- 熱く焼けて石に、少しぐらい水をかけても、冷えないように、少しの量や骨折りでは、
何の役にもたたないこと。
- ◆焼け木杭(ぼっくい)に火がつく
-
「焼け木杭」とは、一度焼けて炭になった杭のことで、「焼け木杭に火がつく」は、
かって男女関係にあった者同士は、一度縁が切れても元の関係に戻りやすい、と言う意味。
ところが、これを「焼けぼっ栗に火がつく」という人がいる。
このことわざは、男女の仲の燃えては消え、消えてはまた燃え上がる不思議な関係を、
「焼け木杭」に例えたもので、「焼けぼっ栗」では火はつかないのであるから、意味をなさない。
- ◆安物買いの銭(ぜに)失い
-
値段の安い品物は粗末で品質が悪く長持ちしない物が多いから、かえって高いものにつく。
- ◆柳の下にいつもどじょうはいない
- 一度うまくいったからといって、いつも得をするとは限らない。
- ◆藪をつっついて蛇をだす。
- 余計な事をして、思いがけない災いを受ける事。必要もないことをした為に、
面倒なことを引き起こすこと。藪蛇
- ◆病(やまい)膏肓(こうこう)に入(い)る
- 治療方法がないほどの重い病気にかかること。
転じて、道楽や悪癖がこうじて手のつけられない状態になること。
字の形と発音が似ている事から「病膏盲(こうもう)」と誤用されやすいが、
出典(故事)を頭に入れておけば、間違えずにすむはずです。
-
出典は、「左伝」に出ている話。
-
春秋時代、晋(しん)の景公が重病になり、隣国から名医を呼ぶが、その医師が到着する前に
景公は夢を見た。病気の神が二人の子供の姿で話合っている。
「今度来るのは名医だそうだから、俺たちやられてしまうかも知れないな」
「なあに肓(横隔膜の上)の上、膏(心臓の下部)の下に逃げ込めば、どんな名医でも手が出せまい」
やがて名医が来て診察したが
「病気が肓の上、膏の下あたりに有るので、薬も効かず針も届きません」
とさじを投げてしまったという。
なお、最近は「膏肓」と書いて「こうもう」と読んでも良いようになってきている。
-
[ ゆ ]
-
- ◆勇将の下に弱卒なし
- 勇気のある将軍の部下に弱い兵士はいない。
- ◆勇名を馳せる
-
「勇名」とは、勇気があるという名声のことで、勇敢なことをやって世間に名が知れ渡る、
という意味。「勇名をとどろかす」ともいう。
最近の若者はこれを「有名を馳せる」と書いたりする。
「有名」とは、すでに世間に名が知れ渡っていることであり、今さら「馳せ」たり
「とどろかせ」たりする必要はない。
これも同音意義語による誤用の例である。
- ◆弓折れ矢尽きる
- 戦いに負けて、散々な有様になった例え。また、力が尽き果てて、どうすることも
出来ないようす。
-
[ よ ]
-
- ◆好い仲の小いさかい
- 仲の良い物同士は、案外、ちょっとした喧嘩をすることが多い。
- ◆夜目遠目(よめとうめ)笠のうち
- 女の顔形は、夜見るのと、遠くから見るのと、笠をかぶっているのを観る時が、
実際より美しく見えるということ。
- ◆嫁の三日ぼめ
- 嫁がきたしばらくの間は、ちやほやして褒めるのを言う。
- ◆寄らば大樹の陰
- 頼みにするならば、しっかりした(大きな)ものに頼るほうが、安心していられる
ことの例え。
利の多い他者について生きる処世の知恵。
- ◆弱り目にたたり目
-
弱った時に神仏のたたりまである。
不運の上に不運が重なることを言う。
-
[ ら ]
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- ◆来年のことを言うと鬼が笑う
- これから咲きはどうなるか、今から推し量る事は出来ない例え。
- ◆楽は苦の種 苦は楽の種
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今は何の苦労もなく、ゆったりとしていれば、ゆく先、苦労しなければならず、
今あれこれと苦に耐えて、努力しておけば、将来は、心配や苦労がなく楽ができる。
苦と楽がついて回ることをいう。
「苦あれば楽あり、楽あれば苦ある」とも言います。(同義語)
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[ り ]
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- ◆律義者の子沢山
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真面目で正直な男は、商売女などに夢中になることもないので、自然と(妻と接する機会が多くなるせいか)
沢山の子供を持っていることが多い。
- ◆立錐(りっすい)の余地もない
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先がとがっている錐(きり)をたてるほどの、少しの空き地もないことから、
人がいっぱい詰まっていて、わずかばかりの隙間もない。
- ◆良薬は口に苦(にが)し
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よく効く薬はにがくて飲みにくいように、身のためになる忠言は、
自分の弱点をついて、聞くのがつらい。
- ◆流言は知者に止まる
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根も葉もないうわさは、おろか者どうしの間では次から次へと世間に広がるが、
賢い人は、聞いてもやたらに他人に話さないから、そこで世間のとりざたも行なわれなくなる。
- ◆柳眉(りゅうび)を逆立てる
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「彼は柳眉を逆立てて怒った」と言う人がいるが、「柳眉」とは、柳のように細く、
美しい眉のことであり、美人が激しく怒っている様子をいったものである。
従って、「柳眉」は女性だけに使える言葉で、たとえ美男子でも男性に使うと間違いになる。
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[ る ]
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- ◆類は類を呼ぶ
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趣味が同じである者や、気の合う者どうしは自然と集まって、行動を共にするようになる。
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[ ろ ]
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- ◆老骨に鞭打つ
- 年を取って衰えた自分を励まして、何かのために努力する。という意味。
どちらかといえば、自分はまだ若いと思っている老人が、自分のことを謙遜していう言葉である。
従って、若者が老人を励ますつもりで、「老骨に鞭打ってしっかりやって下さい」などと言ったら
大変失礼なことになる。
なお、同様の例には「馬齢を重ねる」がある。
- ◆論より証拠
- 物事を明らかにするには、議論(言い争う)よりも、事実を証明するよりどころを
示した方がてっとり早い。
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[ わ ]
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- ◆我が子自慢は親の常
- 自分の子供が可愛くて、何かにつけて自慢したがる親は、世間にいくらでもある。
- ◆禍(わざわい)を転じて福となす
- 不幸な出来事にくじけず、かえってこれをきっかけにして幸福になるように、適当な処置をする。
- ◆和して同せず
- 人と仲良くつき合うが、道理にはずれたことには反対し、むやみに他人の考えに同調しない。
自分の信念を通して曲げないこと。
- ◆渡る世間に鬼はない
- 世の中は思いやりのない人間ばかりでなく、親切で情け深い人もいる。