このページは、権現前(ごんげんまえ)の沿革、歴代の代表者名、皆さんへのアンケート概要、権現前営農組合や産直店「ごん豆」の取り組みなどを紹介しています。 ● 権現前の沿革 権現前は、三重県松阪市の北東部にあり、住所は嬉野権現前町です。 日本に人類が住み始めた後、この地には洪積世人類が住んでいたと考えられています。権現前からも縄文時代や弥生時代の遺跡が発見されています。 古い記録によると、紀元前12年に、垂仁天皇の皇女であった「倭姫命(やまとひめのみこと)」が、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の鎮座地を求めて旅をしている途中、阿射加山の荒神に出会い困りました。 そこで「倭姫命」は「大若子命(おおわかこのみこと)」に命じてその荒神を退治し、「ああ、うれし(宇礼志)」と言われたことが「地名:嬉野」の起源となり、その時に「須加神社」がつくられたと伝えられています。 須加神社は、全国の名高い神社を記した「延喜式神明帳(905年)」の中にも記載されている由緒ある式内社で、主神は「道主貴神(みちぬしむちのかみ)」です。 この道主貴神は「天照大神」の弟である「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」の三人の御女子「多紀理姫命(たぎりひめのみこと)」、「多岐津姫命(たぎつひめのみこと)」、「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」からなる三女神です。 この三女神は、福岡県の宗像神社(海上交通の守護神)の三女神と同じ神です。 権現前は、奈良と伊勢を結ぶ初瀬街道(参宮表街道)が通り、交通安全の守護神である「道主貴神」へ参拝する旅人が後を絶たなかったようです。 権現前に残されている古文書によると、14世紀ごろの南北朝時代に、伊勢の国司であった南朝の忠臣、北畠氏の家臣に、高島治良佐ヱ門勝政という人がいました。勝政は佐々木源氏の流れを汲む末孫で、船江城に詰めていました。この勝政の長男に高友(たかとも)という人がいました。 勝政が織田信長との戦いに敗れて戦死した際に、未だ七歳であった高友は母と共に故郷遠州(静岡県)に帰り、敷地郡野瀬村と坪井村の間に住んでいたために姓を在間と改めました。 慶長年間(1590〜1600年頃)に、在間高友(ざいまたかとも)は遠州から野瀬角右ヱ門等の四名の農民と共に、須加神社の前に住居を構えて、荒野を開拓し、農業を営み始めました。 この地が権現前と名付けられたのは、須加神社が別名、「須加権現(すかごんげん)」と呼ばれ、その神社の前につくられたことに由来します。 権現という言葉は、修験道から生まれてきたもので、権現(ごんげん)の「権」は「仮に」という意味、「現」は「現れる」の意味です。すなわち仏が仮に人間や神の姿をかりて現れるという意味で、「完成された神格」のこととされます。 そのため権現は、修験道を取り込み、神道をも取り込み、仏教をも取り込んでいるとされ、天下を統一した徳川家康は死後に神格化され、東照大権現となりました。 江戸時代、 権現前は津領と紀州領の入会にあって、真台寺檀家(天台宗)は津領に、淨眼寺檀家(曹洞宗・本山は永平寺)は紀州領に属していました。権現前を含む須賀領の産土神(うぶすながみ)は須加神社です。 高友は権現前の初代庄屋を務め、領主から命じられた村の納税やその他の事務を統括することになります。以来、明治政府によって庄屋制が廃止されるまでの約265年間、在間家は権現前の庄屋を務めました。 慶応3年(1867年)の大政奉還の後、権現前も明治2年(1869年)に領主から土地や人民が奉還され、明治4年(1871年)の廃藩置県で 権現前は度会県の管轄下に置かれました。明治9年(1876年)には三重県に合併し、現在に至っています。 明治8年の記録に残る権現前の状況
明治維新は、幕藩体制から国家体制へ、東洋文化から西洋文化への一大転換期で、「朝令暮改」と称されるように朝出した法令がその日の暮れには改められるという混沌の中にありました。従って、末端の行政もめまぐるしく変動しました。 当時の村(大字)は規模が小さく、行財政的に脆弱であったため、五〜六ケ村の連合体を組織し、役場を置いて事務処理を行うようになりました。 山あり、谷あり、田あり、畑ある、緑豊かな自然に恵まれた「宇礼志」の、故事発祥の地にある権現前、その権現前の往時を偲べば決して坦々たるものではなかったでしょう。 祖先が築いてきた愛郷の精神によって、幾多の苦難を乗り越え、営々として築き上げられた賜(たまもの)であります。先人達が残してきた尊い遺産を後世に伝えていくことは私たちの責務でもありましょう。
● 権現前営農組合 (1) 地域の概要 松阪市嬉野町は総耕地面積1,430ha(内水田は1,190h)、第1種兼業農家114戸、第2種兼業農家961戸、自給的農家273戸です。一戸あたりの平均耕作面積は100aで県平均(85a)を上回り、生産基盤の整備率は85%です。(平成17年頃の数字です。) (2) 営農組合設立までの経過 農業の後継者不足が危惧される中で、権現前地域は、平成9年4月、農業機械の共同利用や作業の協力化を推進するため、農家(中間組)が中心となって「集落農業研究会」を組織し、営農組合の検討を開始しました。当時の仲間組の池端喜一組合長が中心となって意見交換会や全農家を対象としたアンケート調査を行って、地域営農システムについての検討を重ねました。 (3) 営農組合の概要 権現前営農組合の概要は次の表に示すとおりです。
(4) 現状と効果 集落内の農家は営農組合に作業委託を行い、農産物の売上代金の中から作業料を支払い、営農組合はその作業についての料金をオペレーターの賃金と農業機械の償却にあてるというシステムとなっています。 (5) 今後の課題 B 大豆の品質向上 大豆専用機械が整備(平成12年:農業生産総合条件整備事業)され、大豆の本格的な生産が始まりましたが、野瀬商店との連携、情報交換を一層蜜にして、品質の高い大豆を安定的に生産する技術の確立が求められます。 C 次世代のオペレーターの確保 現在のオペレーターの年齢は50代以上であり、当面の組合運営に支障はないとみられますが、将来を担う若手オペレーターの育成が課題です。 地域の課題と展望 平成16年7月の会合の場で、地域のコンビニエンストア跡地に権現前の地産地消アンテナショップの提案が提出されました。営農組合の婦人部を立ち上げ、コミュニティレストランと特産物加工所を運営するという提案でした。 コミュニティビジネスは地域の協力や支援、地域外からの理解を得ることで成り立ち、その活動を通じて働きがい、生きがい、郷土愛が育まれるとされ、地域としての一体感の醸成、地域内外の交流による地域活性化により、コミュニティの潜在能力が引出され、持続可能な地域社会の形成の一助になるとされます。
<アンケート用紙>
1 性別 @女性 A男性 2 年代 @10代 A20代 B30代 C40代 D50代 E60代 F70代以上 3 職業 @学生 A農業(専業) B農業(兼業: )C会社員 D公務員 Eサービス業 Fパート E主婦 Fその他( ) 4 権現前はいい所ですか? @はい Aいいえ Bわからない 5 権現前の好きなところを教えてください(複数回答可) @自然環境 Aコミュニティ B歴史 Cその他( ) 6 権現前の嫌いなところを教えてください(複数回答可) @自然環境 Aコミュニティ B歴史 Cその他( ) 7 権現前に住み続けたいですか? @はい A条件が整えば住みたい Bいいえ Cわからない 8 問7で@と答えた方にその理由を教えてください。 @ 地域が居住するに住みやすいから A 地域を(自分所有地・農地を含め)守りたいから B その他(自由に記載してください) ( ) 9 問7でAと答えた方にその条件を教えてください。 @ 就労先 A地域の生活環境(例えば教育・交通手段等具体的には何か教えてください) ( ) Bその他 ( ) 10 問7でBと答えた方にその理由を教えてください @ 地域が居住するに住みにくい A
地域に魅力がない 11 地域で何か地域づくり等に関わっていますか? @はい Aいいえ Bわからない 12 では地域で何か地域づくりに関わりたいですか? Bいいえ Cわからない 13 婦人会・子供会・自治会等の地域の集まりには参加したことがありますか? @はい Aいいえ 14 権現前の開発や地域づくりに何かご提案があればお書きください。 以上
80戸あまりの世帯で65%の回収率が地域の合意であるかどうかは図りかねるが、今回のアンケートは地域の魅力に関しての意識と地域の関わりについての意識に強い傾向が見えた。 権現前がいいところだと回答したのは76%である。その理由として権現前の自然環境が好きだとの回答が63%、コミュニティが19%、歴史が17%であった。 住み続けたいとの回答は63%(30代以若で住み続けたくないと回答したのは2人)であった。住み続けたい理由として住みやすいとの回答が43%で、土地を守らなければならないという使命感が28%(複数回答可であるため重複)も含まれるが、大半はそのまま地域で住み続けることを自然に受け入れている。 好きなところと嫌いなところでコミュニティをあげた人がほぼ同数である。このことはコミュニティビジネスの課題でもあげた地域の支援体制として相互扶助的な文化が残っている反面、地縁・血縁社会の保守的な面もあり、人間関係が難しく、明確に物事が言えないということの現れでもある。 地域おこし、まちづくりへの参加については現在では関わりをもっていないが、条件が整えば参加したいという回答が68%もある。また地域での集まりに参加経験者は94%あり、地域でのコミュニティビジネスへの参加について工夫をすれば、参加を期待できるものと思われる。 権現前コミュニティレストラン&マーケット「ごん豆」について
地域の持続的な発展を実現するためのツールであるコミュニティビジネスを展開するには、そのコミュニティビジネス本体の持続性が求められます。 今回のコミュニティビジネスのサスティナビリティ(持続可能性)を考えた場合、コミュニティビジネスの特徴を理解し、活用することが必要になります。 コミュニティビジネスの特徴は、経営資源を持ち寄ることにあります。具体的には、人、モノ、資産、技術、技能、時間、知識などの資源を有効に活用して行うことが基本で、それをどのように組み合わせて経営を行うかは、民間企業と同様の経営、マーケティングの視点が不可欠であり、ビジネスモデルの構築が必要です。 具体的なビジネスモデルの構築の条件として以下のようなことが挙げられます。 (1) 顧客満足を追求すること コミュニティビジネスは、ともすれば、参加者の自己満足を優先しがちですが、それでは顧客満足を得ることはできません。顧客満足とは顧客の求めている要素をできるだけ多く提供することです。具体的には、提供する商品の品質と顧客のさまざまな価値を均衡させなければなりません。 生産者は顧客の満足を得られる品物を商品として、必要な時期に必要なだけ、適正な価格で販売することが必要であり、品質の良くないものや安全性が確保できないものは提供すべきでないことはいうまでもありません。 (2) 大きな初期投資をしないこと 供給可能な商品の質と量を確保し、立地条件に見合わない大きな投資をしないことが原則です。当初は小さな規模で、質素な内容からスタートすることが特に重要です。今回のように仕入れて売るといったスタイルをとらない場合は、供給できる商品が限定されるので、店舗資源の有効活用と稼働率を上げるためにも特に重要です。 (3) ローコスト・オペレーションを導入すること 純粋な民間企業では成り立たないビジネスでも、経営資源を持ち寄ったコミュニティビジネスでは、新たなビジネスモデルの構築ができる場合があります。 具体的には一番大きなコストである人件費を原価に反映させない仕掛けが必要です。そのためには、ワンディシェフのような仕組みと、各人の時間の持ち寄りが望ましいでしょう。 (4) 責任の範囲の明確化 コミュニティビジネスの場合、民間企業とは違い、権限と責任がその組織的な性格から曖昧になりがちでです。権限と責任のルールを参加者全体で定め、明文化しておくことが重要です。 (5) 販売計画から生産計画を策定すること あくまでも顧客の支持があってこそビジネスは成り立ちます。生産者の組織と販売をする組織が同一の場合、生産を優先するプロダクトアウトになりがちですので、組織を区分し、販売計画から生産計画、つまり、マーケットインの発想から事業計画を策定することが重要です。 (6) 戦略商品の開発と供給先の開拓がポイント 店舗で商品を販売する場合、通年のものと季節毎の戦略商品の選定が重要です。通年商品は地域のスター商品である「豆腐」関連であろうし、冬場なら「嬉野大根」など、すでに地域において認知されている商品を基本に商品構成をすることが重要でしょう。さらに魅力ある品揃えを実現していくには権現前だけでは十分でない場合が出てきます。その場合は近隣の生産者と連携して提供することが重要でしょう。 (7) 短期的には需要の拡大がポイント 短期的には、商品の確保と同時に需要を拡大していく活動が持続可能なビジネスの条件になります。季節、気候に左右される一次産品と加工食品、飲食物などをうまく組み合わせなければなりません。これらのビジネスを持続させるには地域住民・生産者・お客様の3方両得が確保できるかがポイントになります。 (8) 長期的には担い手の確保と魅力ある農業の構想がたてられるがポイント 今回の取り組みは、地域の産品の「自主流通権」と「価格決定権」を少しでも確保し、地域内に付加価値の還元を少しでも多く実現することが重要な要素であることから、それらの実現を通じて、あらたな農業の担い手を確保することが重要でしょう。 さらに、経済的視点とは別に、地域のコミュニティの維持、回復や地域内環境対応などの「運動の視点」が持続性を確保する大きなポイントであると考えられます。 ● 農地・水・環境保全向上対策事業(権現前地区)の実施 農地・水・環境保全向上対策事業(権現前地区)は、権現前地区に住む住民が農地と水と環境に関心を持って保全向上活動を実施するというものです。 |