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権現前の紹介




このページは、権現前(ごんげんまえ)の沿革、歴代の代表者名、皆さんへのアンケート概要、権現前営農組合や産直店「ごん豆」の取り組みなどを紹介しています。



● 権現前の沿革


 権現前は、三重県松阪市の北東部にあり、住所は嬉野権現前町です。

 日本に人類が住み始めた後、この地には洪積世人類が住んでいたと考えられています。権現前からも縄文時代や弥生時代の遺跡が発見されています。

 古い記録によると、紀元前12年に、垂仁天皇の皇女であった「倭姫命(やまとひめのみこと)」が、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の鎮座地を求めて旅をしている途中、阿射加山の荒神に出会い困りました。
 そこで「倭姫命」は「大若子命(おおわかこのみこと)」に命じてその荒神を退治し、「ああ、うれし(宇礼志)」と言われたことが「地名:嬉野」の起源となり、その時に「須加神社」がつくられたと伝えられています。

 須加神社は、全国の名高い神社を記した「延喜式神明帳(905年)」の中にも記載されている由緒ある式内社で、主神は「道主貴神(みちぬしむちのかみ)」です。
 この道主貴神は「天照大神」の弟である「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」の三人の御女子「多紀理姫命(たぎりひめのみこと)」、「多岐津姫命(たぎつひめのみこと)」、「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」からなる三女神です。
 この三女神は、福岡県の宗像神社(海上交通の守護神)の三女神と同じ神です。
 権現前は、奈良と伊勢を結ぶ初瀬街道(参宮表街道)が通り、交通安全の守護神である「道主貴神」へ参拝する旅人が後を絶たなかったようです。

 権現前に残されている古文書によると、14世紀ごろの南北朝時代に、伊勢の国司であった南朝の忠臣、北畠氏の家臣に、高島治良佐ヱ門勝政という人がいました。勝政は佐々木源氏の流れを汲む末孫で、船江城に詰めていました。この勝政の長男に高友(たかとも)という人がいました。
 勝政が織田信長との戦いに敗れて戦死した際に、未だ七歳であった高友は母と共に故郷遠州(静岡県)に帰り、敷地郡野瀬村と坪井村の間に住んでいたために姓を在間と改めました。

 慶長年間(15901600年頃)に、在間高友(ざいまたかとも)は遠州から野瀬角右ヱ門等の四名の農民と共に、須加神社の前に住居を構えて、荒野を開拓し、農業を営み始めました。

 この地が権現前と名付けられたのは、須加神社が別名、「須加権現(すかごんげん)」と呼ばれ、その神社の前につくられたことに由来します。

 権現という言葉は、修験道から生まれてきたもので、権現(ごんげん)の「権」は「仮に」という意味、「現」は「現れる」の意味です。すなわち仏が仮に人間や神の姿をかりて現れるという意味で、「完成された神格」のこととされます。
 そのため権現は、修験道を取り込み、神道をも取り込み、仏教をも取り込んでいるとされ、天下を統一した徳川家康は死後に神格化され、東照大権現となりました。

 江戸時代、
権現前は津領と紀州領の入会あって、真台寺檀家(天台宗)は津領に、淨眼寺檀家(曹洞宗・本山は永平寺)は紀州領に属していました。権現前を含む須賀領の産土神(うぶすながみ)は須加神社です。

 高友は権現前の初代庄屋を務め、領主から命じられた村の納税やその他の事務を統括することになります。以来、明治政府によって庄屋制が廃止されるまでの約265年間、在間家は権現前の庄屋を務めました。

 
慶応3年(1867年)の大政奉還の後、権現前も明治2年(1869年)に領主から土地や人民が奉還され、明治4年(1871年)の廃藩置県で 権現前は度会県の管轄下に置かれました。明治9年(1876年)には三重県に合併し、現在に至っています。

 
明治8年の記録に残る権現前の状況

石高

328石9斗2升8合

213石1斗7升

紀州領

1石

村社免許地

114石7斗5升8合

津領

田反別

 11町9反20歩

7町6反9畝20歩

紀州領

4町2反21歩

津領

畑反別

9町9反8畝1歩

5町8反8畝19歩

紀州領

4町9畝21歩

津領

宅地反別

 5反

4反3畝9歩

紀州領

  6畝21歩

津領

合計

 22町3反21歩

14町1畝21歩

紀州領

8町3反6畝24歩

津領



 明治8年(1875年)の権現前の戸数33戸、人口164人(男81、女83)

 明治維新は、幕藩体制から国家体制へ、東洋文化から西洋文化への一大転換期で、「朝令暮改」と称されるように朝出した法令がその日の暮れには改められるという混沌の中にありました。従って、末端の行政もめまぐるしく変動しました。

当時の村(大字)は規模が小さく、行財政的に脆弱であったため、五〜六ケ村の連合体を組織し、役場を置いて事務処理を行うようになりました。
 このような時代背景の下で、明治22年(1889年)には、町村制の施行により、連合体を廃止し、改めて権現前、須賀、川北、小村、新庄屋、川原木造の六ケ村が合併して豊田村をつくり、それまでの旧村は大字となりました。
明治の改革も20年の月日を経てようやく安定しました。

 そして第二次世界大戦後の急速な発展により、昭和30年(1955年)には中原村・豊田村・中川村・豊地村・中郷村、そして宇気郷村の小原・上小川が合併し、嬉野町となり、昭和32年(1957年)には人口の増加に伴い嬉野区が新設されました。その際、権現前の一部が嬉野区に編入されました。

 平成171月、平成の大合併により嬉野町は松阪市に合併され、現在に至っています。



 山あり、谷あり、田あり、畑ある、緑豊かな自然に恵まれた「宇礼志」の、故事発祥の地にある権現前、その権現前の往時を偲べば決して坦々たるものではなかったでしょう。
 祖先が築いてきた愛郷の精神によって、幾多の苦難を乗り越え、営々として築き上げられた賜(たまもの)であります。先人達が残してきた尊い遺産を後世に伝えていくことは私たちの責務でもありましょう。



● 権現前歴代の代表者名  

 〜勢州(伊勢の国)一志郡権現前村〜

  1600-1868

  領主より命じられた庄屋

  初代 在間 高友 権現前の開拓者
  2代     信近 高友の長男 1624年没
  3代     栄国 信近の長男 1664年没
  4代     郡寿 紀州和歌山の本間国房の二男 1710年没
  5代     昌常 郡寿の長男 1757年没
  6代     常永 昌常の長男 1776年没
  7代     本常 常永の長男 1768年没
  8代     栄信 須賀村の小川六郎兵衛の三男 1773年没
  9代     栄親 下庄の出口新左衛門の八男 算所の庄屋も兼務 1825年没
 10代     朝栄 栄親の長男 1865年没
 11代     延三郎 朝栄の長男 幕末から明治維新に至る最後の庄屋

  庄屋制度が廃止後、戸長制が敷かれる。戸主による選挙で代表を選定。

  1868-1889

   酒井 貞躬   明治6年
   宮林 定次郎  明治7〜8年
   在間 尚龍    明治9〜11年 明治9年、伊勢暴動権現前に集結
   信藤 勘十郎  明治11年
   笹井 栄五郎  明治12〜15年
   前野 包廣    明治15〜17年
   山田 弥平    明治19年
   前田 平右ヱ門 明治22〜23年 須加神社式年遷宮
   宮林 彦助   明治24年
   宮林 定治郎  明治24〜31年 明治27〜28年、日清戦争
   宮林 平五郎  明治31〜35年
   松村 豊吉   明治35〜38年 明治37〜38年、日露戦争
   宮林 彦助   明治39〜40年
   鈴木 徳松   明治41〜42年 明治41年、須賀、川北、小村、新屋庄の各神社を須加神社に合杞
   池端 鶴吉   明治43〜大正2年
   前田 清太郎  大正3〜8年
   前田 新五郎  大正9〜10年
   池端 鶴吉   大正11〜12年
   前田 清太郎  大正13〜14年
   山中 捨三郎  大正15年〜昭和1年
   松村 豊吉   昭和2〜5年 昭和4年、村道権現前−香良洲線開通 
                      昭和5年、須加神社式年遷宮
   西井 弥三松  昭和6〜7年 昭和6年、上海事変勃発
   前田 浅吉   昭和8〜9年 神社北池の新設
   鈴木 注五郎  昭和10〜11年
   池端 光蔵   昭和12〜21年 昭和12年、日中戦争 
                        昭和15年、生活必需品配給制、
                        昭和16年、公会堂建設、日米開戦
                        昭和19年、南海大地震 昭和20年、津が焼土
   鈴木 直吉   昭和22年
   松村 松之蒸  昭和23〜24年 嬉野中学校建設のため区有地を売却
   鈴木 直吉   昭和25〜30年 昭和26年、天皇陛下が嬉野中学校へご巡幸
                        昭和27年 須加神社式年遷宮、
                        昭和28年、13号台風 昭和30年、嬉野町合併
   山中 三重郎  昭和31〜32年 昭和31年、万福寺法地
   前田 宇一   昭和33〜34年 昭和34年、伊勢湾台風
   池端 茂郎   昭和35〜37年
   在間 理一郎  昭和38〜39年 昭和38年、防火用水槽設置
   野瀬 元雄   昭和40〜41年 昭和40年、41年 防火用水槽設置
   西井 清吉   昭和42〜44年 昭和42年、県道中川−算所バイパス開通
   野瀬 武    昭和45〜47年
   松村 則幸   昭和48〜50年 昭和50年、須加神社式年遷宮
   池端 臣夫   昭和51〜52年 昭和52年、ほ場整備事業開始、万福寺本堂屋根の葺き替え
                        区長から自治会長へ改称
   松村 実    昭和53〜55年
   鈴木 知明   昭和56〜57年 昭和56年、町営体育館建設のため区有地売却
                        昭和57年 墓地大改装
                        昭和57年、ほ場整備事業完了、名松線バイパス開通
   野瀬 保夫   昭和58〜59年
   鈴木 知明   昭和60〜61年
   宮林 延秩   昭和62〜63年 昭和63年県道バイパス歩道拡張
   野瀬 角夫   平成1〜2年
   前田 中    平成3〜6年 平成6年、須加神社式年遷宮
                     平成3年、ふるさと会館建設のため区有地売却
   駒井 禧一   平成7〜8年
   池端 喜一   平成9〜10年 権現前営農組合 設立
   野瀬 義則   平成11〜12年
   前田 久行   平成13〜14年 営農組合 格納庫建設
   前田 敦夫   平成15〜16年
   前田 勇    平成17〜18年 平成17年、旬前耕房「ごん豆」オープン
   西井 忠之   平成19年〜20年 農地・水・環境保全向上対策事業権現前地区開始 下水道事業
   西井 源明   平成21年〜22年 株式会社 権現前営農組合 設立
   在間 理    平成23年〜24年 平成23年、東日本大震災 


 

● 権現前営農組合

(1) 地域の概要

松阪市嬉野町は総耕地面積1,430ha(内水田は1,190h)、第1種兼業農家114戸、第2種兼業農家961戸、自給的農家273戸です。一戸あたりの平均耕作面積は100aで県平均(85a)を上回り、生産基盤の整備率は85%です。(平成17年頃の数字です。)

 権現前は、34戸の農家(ほとんどが第2種兼業農家)が約20haの水田と約10haの畑地で農業を営み、江戸時代から続く「仲間組」によって、出会い・道普請などで農地を維持管理してきました。
 水田用水は中村川から導く「須賀井」と2ヶ所のため池によって賄われますが、干ばつ時に備え深井戸が各地に設けられています。

 戦後の経済成長のもとで、農業生産の向上を目指して、昭和52年から県営ほ場整備事業嬉野東部地区により区画整理に着手し、農業の機械化を進めましたが、農家所得の大部分が農業機械購入代金となってしまい、農家経済は改善されず、農家の後継ぎは第2次、第3次産業へ就職し、やがて農業の担い手の減少が顕著になって、耕作放棄地などが見られるようになってきました。

(2) 営農組合設立までの経過

農業の後継者不足が危惧される中で、権現前地域は、平成94月、農業機械の共同利用や作業の協力化を推進するため、農家(中間組)が中心となって「集落農業研究会」を組織し、営農組合の検討を開始しました。当時の仲間組の池端喜一組合長が中心となって意見交換会や全農家を対象としたアンケート調査を行って、地域営農システムについての検討を重ねました。

 農業機械の共同利用、オペレータの確保、水稲の基幹作業受託、集団麦作の受託の他に、権現前の豆腐製造業(野瀬商店)との連携による大豆受託栽培も組み入れた営農組織構想を検討しました。

 平成102月、「集落農業準備委員会」を設置し、営農組合設立に向けての集落説明会を開催しました。

 平成107月、34戸によって権現前営農組合を設立し、14人オペレーターを選任し、大型機械を共同購入して、集落農業を開始しました。

(3) 営農組合の概要

 権現前営農組合の概要は次の表に示すとおりです。

 
権現前営農組合の概要 (設立当時の数字)

項 目

内   容

名称

権現前営農組合

所在地   

松阪市嬉野権現前町

組合員数

34戸・作業オペレーター14

成立年月日 

平成107

資本設備

トラクター(46ps1
田植え機5条 1
コンバイン5条1
ドリルシーダー(6条)
格納庫
その他

経営規模 

水田基幹作業受託 20ha
小麦作業受託 9ha
大豆作業受託 10ha

 (4) 現状と効果

 集落内の農家は営農組合に作業委託を行い、農産物の売上代金の中から作業料を支払い、営農組合はその作業についての料金をオペレーターの賃金と農業機械の償却にあてるというシステムとなっています。

 各農家は余剰農業機械を処分し、集団で中古の大型機械を所有することにより、生産性コストの低減が図られました。

 転作ブロックステーションによる集団麦作の全面受託は、地域の生産調整対策の円滑な推進に大きく貢献しています。また、麦跡大豆作付けは、野瀬商店との契約栽培で取引価格は通常より高く設定され、農業所得の拡大と農地の高度利用を実現しています。

 米の生産が集団化されたことによって、栽培管理が一元化され、三重県嬉野畜産研究部へ稲わらを提供し、引き替えに得られる有機堆肥の施肥は、おいしい米の生産に繋がり、「ごんげん米」としてブランド販売することになりました。

 また、三重大学との共同研究により、江戸時代から伝わる希少大豆「美里在来(みさとざいらい)」の大規模栽培に成功させ、権現前特産大豆として有名になりました。営農組合が発足するまでは、野瀬商店が「日本一の豆腐づくり」を目指して原料となる大豆を自家農園で栽培していましたが、営農組合はその栽培技術と理念を継承して、良質の大豆を生産することになったのです。地元産大豆を100%使用した「嬉野豆腐」は地元の特産品になり、地域の生産者と消費者との相互連携を深める役割を果たしています。


 営農組合が組織されたことにより、地域の農家が安心して農地を所有できるようになったことや、営農組合で生産された大豆が地域の活性化に寄与し、それらから得られた効果も集落農業の取り組みの成果となっています。

(5) 今後の課題

 
@ 経営理念の再確認

 営農組合設立の理念は、個々の農家の暮らしを楽にするためにあったはずのものが、農家の利益より組織の利益を重視した経営に陥っている側面がある。いつしか機械格納庫が増設され大型機械の台数が増え、しかし一方では農家の家計は依然として貧しい状態とならないようにしなければなりません。

 A 営農組合経営の合理化

 組織経営が補助金頼りに陥っている側面があり、経営の合理化が求められます。

B 大豆の品質向上

大豆専用機械が整備(平成12年:農業生産総合条件整備事業)され、大豆の本格的な生産が始まりましたが、野瀬商店との連携、情報交換を一層蜜にして、品質の高い大豆を安定的に生産する技術の確立が求められます。

 C 次世代のオペレーターの確保

現在のオペレーターの年齢は50代以上であり、当面の組合運営に支障はないとみられますが、将来を担う若手オペレーターの育成が課題です。






 地域の課題と展望

平成167月の会合の場で、地域のコンビニエンストア跡地に権現前の地産地消アンテナショップの提案が提出されました。営農組合の婦人部を立ち上げ、コミュニティレストランと特産物加工所を運営するという提案でした。

コミュニティビジネスは地域の協力や支援、地域外からの理解を得ることで成り立ち、その活動を通じて働きがい、生きがい、郷土愛が育まれるとされ、地域としての一体感の醸成、地域内外の交流による地域活性化により、コミュニティの潜在能力が引出され、持続可能な地域社会の形成の一助になるとされます。



● 権現前の皆さんへのアンケート

 平成16年12月、権現前に住む皆さんの意識を調査するために、次の住民アンケートを行いました。

<アンケート用紙>

該当するものに○をつけて下さい。また、その他についてはできれば具体的に記載してください。アンケートは全部で14問あります。

1 性別  @女性  A男性

2 年代  @10代 A20代 B30代 C40代 D50代 E60代 F70代以上

3 職業  @学生 A農業(専業) B農業(兼業:   )C会社員 D公務員    

Eサービス業 Fパート E主婦 Fその他(   )

4 権現前はいい所ですか?

      @はい Aいいえ Bわからない

5 権現前の好きなところを教えてください(複数回答可)

       @自然環境 Aコミュニティ B歴史 Cその他(          )

6 権現前の嫌いなところを教えてください(複数回答可)

        @自然環境 Aコミュニティ B歴史 Cその他(          )

7 権現前に住み続けたいですか?

      @はい A条件が整えば住みたい Bいいえ Cわからない

8 問7で@と答えた方にその理由を教えてください。

@     地域が居住するに住みやすいから

A     地域を(自分所有地・農地を含め)守りたいから

B     その他(自由に記載してください)

(                                  )

9 問7でAと答えた方にその条件を教えてください。

@ 就労先

A地域の生活環境(例えば教育・交通手段等具体的には何か教えてください)

(                                 )

Bその他

(                                 )

10 問7でBと答えた方にその理由を教えてください

@     地域が居住するに住みにくい

A     地域に魅力がない

B     その他

11 地域で何か地域づくり等に関わっていますか?

@はい Aいいえ Bわからない

12 では地域で何か地域づくりに関わりたいですか?

    @積極的に関わりたい A時間や条件が都合のつく範囲で関わりたい

Bいいえ Cわからない

13 婦人会・子供会・自治会等の地域の集まりには参加したことがありますか?

    @はい  Aいいえ 

14 権現前の開発や地域づくりに何かご提案があればお書きください。

以上

  アンケート実施概要

期間 

平成161224日〜平成17120

配布数

80枚 配布方法 自治会で各戸配布

結果

回収枚数52枚 回収率65



 アンケート結果<松阪大学の分析>

 80戸あまりの世帯で65%の回収率が地域の合意であるかどうかは図りかねるが、今回のアンケートは地域の魅力に関しての意識と地域の関わりについての意識に強い傾向が見えた。

権現前がいいところだと回答したのは76%である。その理由として権現前の自然環境が好きだとの回答が63%、コミュニティが19%、歴史が17%であった。

住み続けたいとの回答は63%(30代以若で住み続けたくないと回答したのは2人)であった。住み続けたい理由として住みやすいとの回答が43%で、土地を守らなければならないという使命感が28%(複数回答可であるため重複)も含まれるが、大半はそのまま地域で住み続けることを自然に受け入れている。

好きなところと嫌いなところでコミュニティをあげた人がほぼ同数である。このことはコミュニティビジネスの課題でもあげた地域の支援体制として相互扶助的な文化が残っている反面、地縁・血縁社会の保守的な面もあり、人間関係が難しく、明確に物事が言えないということの現れでもある。

地域おこし、まちづくりへの参加については現在では関わりをもっていないが、条件が整えば参加したいという回答が68%もある。また地域での集まりに参加経験者は94%あり、地域でのコミュニティビジネスへの参加について工夫をすれば、参加を期待できるものと思われる。

 権現前コミュニティレストラン&マーケット「ごん豆」について

 権現前で収穫された農産物を並べ、また調理、加工して販売しすることで、権現前の「食の安全・安心への取り組み」や「地産地消活動」を紹介する店として、次の図表に示すようなコミュニティレストランの構想が地域の発展に寄与するでしょう。

 
コミュニティレストラン

項 目

事 項

場所

松阪市嬉野権現前町 コンビニエンスストア跡地

施設の内容

飲食店・食品製造(漬物等の食品衛生法52条製造業許可対象外製造施設)および食品販売店機能と事務所機能を有する施設 

営業・運営母体

 

権現前営農組合

できれば法人化して施設の賃貸契約等を結べるようにする。

レストラン経営

ワンディシェフ構想

地域(権現前のみに関わらず)からシェフ(調理者)を集う。おもにランチ(主婦等の出やすい時間)等限定食数でローテーションを組む。金額設定は調理者が材料等必要経費を換算して行う。総売り上げの中の1020%で営業権現前営農組合に納めて貰い、これを運営費に当てる。

定期的な経営会議

一次農産物の販売については生産者が納入売り上げの中の何%かを同様に納めて貰い運営費にあてる。(月ごとにシェフとメニュー・販売物を計画・また店番等のローテーションを決める。)

料理講習会等の実施

調理施設を利用して料理講習会を開催する。

嬉野地区のデーサービスとの協働

宅配サービスではなく、食堂に訪ねてくることにより店内での高齢者の会話の場を提供する。

農業経営等の実務研修

インターンシップの学生等に対して農業経営等の実務研修の場を提供する。





 地域の持続的な発展を目指した出発点としての位置づけ

地域の持続的な発展を実現するためのツールであるコミュニティビジネスを展開するには、そのコミュニティビジネス本体の持続性が求められます。

今回のコミュニティビジネスのサスティナビリティ(持続可能性)を考えた場合、コミュニティビジネスの特徴を理解し、活用することが必要になります。

コミュニティビジネスの特徴は、経営資源を持ち寄ることにあります。具体的には、人、モノ、資産、技術、技能、時間、知識などの資源を有効に活用して行うことが基本で、それをどのように組み合わせて経営を行うかは、民間企業と同様の経営、マーケティングの視点が不可欠であり、ビジネスモデルの構築が必要です。

具体的なビジネスモデルの構築の条件として以下のようなことが挙げられます。

(1) 顧客満足を追求すること

 コミュニティビジネスは、ともすれば、参加者の自己満足を優先しがちですが、それでは顧客満足を得ることはできません。顧客満足とは顧客の求めている要素をできるだけ多く提供することです。具体的には、提供する商品の品質と顧客のさまざまな価値を均衡させなければなりません。

 生産者は顧客の満足を得られる品物を商品として、必要な時期に必要なだけ、適正な価格で販売することが必要であり、品質の良くないものや安全性が確保できないものは提供すべきでないことはいうまでもありません。

 (2) 大きな初期投資をしないこと

 供給可能な商品の質と量を確保し、立地条件に見合わない大きな投資をしないことが原則です。当初は小さな規模で、質素な内容からスタートすることが特に重要です。今回のように仕入れて売るといったスタイルをとらない場合は、供給できる商品が限定されるので、店舗資源の有効活用と稼働率を上げるためにも特に重要です。

 (3) ローコスト・オペレーションを導入すること

純粋な民間企業では成り立たないビジネスでも、経営資源を持ち寄ったコミュニティビジネスでは、新たなビジネスモデルの構築ができる場合があります。

具体的には一番大きなコストである人件費を原価に反映させない仕掛けが必要です。そのためには、ワンディシェフのような仕組みと、各人の時間の持ち寄りが望ましいでしょう。

 (4) 責任の範囲の明確化

 コミュニティビジネスの場合、民間企業とは違い、権限と責任がその組織的な性格から曖昧になりがちでです。権限と責任のルールを参加者全体で定め、明文化しておくことが重要です。

 (5) 販売計画から生産計画を策定すること

 あくまでも顧客の支持があってこそビジネスは成り立ちます。生産者の組織と販売をする組織が同一の場合、生産を優先するプロダクトアウトになりがちですので、組織を区分し、販売計画から生産計画、つまり、マーケットインの発想から事業計画を策定することが重要です。

 (6) 戦略商品の開発と供給先の開拓がポイント

 店舗で商品を販売する場合、通年のものと季節毎の戦略商品の選定が重要です。通年商品は地域のスター商品である「豆腐」関連であろうし、冬場なら「嬉野大根」など、すでに地域において認知されている商品を基本に商品構成をすることが重要でしょう。さらに魅力ある品揃えを実現していくには権現前だけでは十分でない場合が出てきます。その場合は近隣の生産者と連携して提供することが重要でしょう。

 (7) 短期的には需要の拡大がポイント

 短期的には、商品の確保と同時に需要を拡大していく活動が持続可能なビジネスの条件になります。季節、気候に左右される一次産品と加工食品、飲食物などをうまく組み合わせなければなりません。これらのビジネスを持続させるには地域住民・生産者・お客様の3方両得が確保できるかがポイントになります。

 (8) 長期的には担い手の確保と魅力ある農業の構想がたてられるがポイント

 商品の持続的な供給とその結果としての地域の持続性を実現するには、長期的に見れば、農業の担い手をどう確保するかが課題として残ります。高齢化が一層進行し、自発的な農業の担い手を確保するためには経済的にも魅力ある、「割に合う」ことが重要です。

 今回の取り組みは、地域の産品の「自主流通権」と「価格決定権」を少しでも確保し、地域内に付加価値の還元を少しでも多く実現することが重要な要素であることから、それらの実現を通じて、あらたな農業の担い手を確保することが重要でしょう。

 さらに、経済的視点とは別に、地域のコミュニティの維持、回復や地域内環境対応などの「運動の視点」が持続性を確保する大きなポイントであると考えられます。

(以上の考察は、平成17年度に実施した三重県と松阪大学の共同研究により得られたものです。)




● 農地・水・環境保全向上対策事業(権現前地区)の実施

 農地・水・環境保全向上対策事業(権現前地区)は、権現前地区に住む住民が農地と水と環境に関心を持って保全向上活動を実施するというものです。

 権現前地区は、すでに営農組合を中心にした農地や水の管理は先進的に行っていますが、環境の向上対策は際だった活動が行われていません。

 そこで、権現前環境向上会を有志(野瀬岩朗、鈴木章文、宮林弘、前田正一、松村悦男、坂口均)が組織し、自治会、育成会、営農組合、松阪食の安全安心推進会を構成員とする権現前の活動を組み立てて、事業を行うことになりました。

 平成20年度から権現前地区の水質、動植物のモニタリング、ホタル観察会、食育教室、環境・経営改善会議を実施しています。その様子は、 こちら に掲載しています。


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