商業文芸誌評


本記事は本誌82号『あるかいどへの反響』欄に転載されます。

第20回神戸エルマール文学賞 選評  浅田厚美

西田恵理子「花びらの記憶」(あるかいど78号)
 直子は夫と息子との三人暮らしである。ホームセンターの園芸部門でパート勤めをしながら、仕事が終わると自転車を漕いで大腿骨骨折で入院中の実母、冬村昌代の元へ通う日々を送っている。
 直子には宏人という兄がいて、母の昌代はことあるごとにこの宏人を大切にして甘やかし、直子にはきつくあたってきた。兄妹に対して扱いに差をつけてきたのである。直子が子どもの頃から大人になった今でもそれは変わらない。娘が自分を世話するのは当然といった態度で直子とその家族をぞんざいに扱うのである。
「毒親」とはこういうものか、という思いがこみ上げてくる。特に同性の子に対する母親の屈折した思いをしっかりと描き、確かにこういう親は世の中にいると納得させる。リアルによく描いていると感心した。
直子には花びらの記憶がある。それは幼い頃に、誰かの背中におんぶされて、大きな白い花に指で触れた思い出だった。
 その暖かな背中は母親のものだったと信じている。彼女は母親との関係に悩むたびにこの記憶を引っ張り出して自分をなだめてきたのだった。
 どんな扱いをされても実の母親の面倒をみようとする直子に夫と息子は優しく接してくれる。それが直子と読者の救いになっている。
 母から愛情を注がれなかったからこそ、その愛を求める娘の姿はせつない。毒親だとわかっていても単純に切り捨てることはできない複雑なものがある。
 息子が大学に進学しなかったことや学歴へのこだわりを彼女が心の奥底に持っていることは家族から見透かされているが、直子のこの価値観は母親から刷り込まれたものであることが感じられ、一筋縄ではいかない母と娘の関係を象徴的に描いている。
 直子には右手の甲にある傷を左の人差し指で触るという癖があった。ケガをしたいきさつを自分では何もおぼえておらず、無意識のうちに触っていたのだったが、それが、昌代と宏人が原因で負った傷だったということを宏人から聞かされる。
 直子がいつものように病室で昌代から理不尽な扱いを受け、窓を開けるとそこに白い木蓮の花が咲いている。そこで一気に彼女の記憶が蘇る。この場面が非常に鮮やかである。
 ケガをして泣いている直子に優しい声をかけ、背中におぶってくれたのは同居していた祖母だったのだ。その背中で、直子が見たのは木蓮の花だった。包帯が巻かれた手でそっと花びらに触れた感覚までも思い出し、傷痕と記憶が繋がるのだった。
 祖母は直子を可愛がってくれていた。昌代は、対立していた姑が大切にしている直子に愛情を注げなかった。直子は祖母と母の、嫁姑の確執に巻き込まれていたのだった。
 昌代は自分が原因でできた傷を直子が触るのをあてつけのように感じていたことになる。
「一体、私はお母さんの何なん」
 と問いながら、わざと右手の甲の傷を直子が触る場面は息が詰まるようだ。
 宏人が実家に戻って昌代と暮らすことになったことで、直子はやっと昌代の縛りを自分から解いていこうとする。
 用水路では鯉が産卵し、直子の家には家族がいて灯りがともっている。そのラストが清々しい。ひとつの作品を作り上げ、仕上げ切る、作者の筆力を感じた。

第20回神戸エルマール文学賞 選評  飯田未和

西田恵理子「花びらの記憶」(あるかいど78号)
 今回、受賞の候補になった五作品は、どれも家族そのものまたは家族のような存在について描かれた作品だった。本賞を受賞したこの作品は、候補作の中で最も家族の問題をストレートに描いた作品だろう。
 主人公の直子は、実母との関係に悩んでいた。長男の兄ばかりを可愛がり、娘の自分に対しては冷たく、また過度な負担を押し付けてくるからだ。母は長男びいきなだけではなく、学歴偏重主義でもあり、直子の夫や息子のことも認めていない。そんな母が入院し、直子は家事と仕事をこなしながら、連日のように病院に洗濯物を持って通う。しかも母のお気に入りの柔軟剤を使うために、わざわざ家族の分と分けて洗った洗濯物だ。そんな生活が二ヶ月も続き、精神的・体力的にもぎりぎりのところに主人公がいるのがよく伝わってくる。
 男児優先の母親像も、学歴偏重主義の親世代も珍しくはない。息子ではなく娘に親の世話が偏るのもよくあることだろう。そういう意味では世相を反映した作品ともいえるが、本作の独自性は、直子を縛る「花びらの記憶」にある。直子には、「幼い自分が泣いていて、誰かに負ぶわれている」記憶があるのだ。目の前には大きな白い花が咲いていて、左手と左頬が暖かな背中に密着している。直子はこの背中を母の背中だと思っていた。母からの理不尽な仕打ちにも、この記憶をよすがとして生きてきたのだろう。
 作中、夫が「冬村のお義母さんについては、結婚してから二人で散々話し合って、それでケンカもしてきたことじゃけん、いまさら蒸し返そうとは思わんよ。そう愚痴りよるけど、これまでお義母さんの言うとおりにせんと直子も収まらんかったんじゃけん」と言う場面がある。これだけで、母の呪縛が長きにわたって直子と直子の家族に複雑に影を落としてきたことがよくわかる。巧い書き方だ。
 見舞いに来た兄との会話をきっかけに「花びらの記憶」の全てを思い出した直子は、母との関係に区切りをつける。呪縛から解放された心の軽やかさが明るい読後感に繋がっていた。「母の娘」である重荷をおろし、「妻そして母」として自分の家族の元に帰るのだ。姿を変えた水路に産卵に戻って来た鯉の群れと重なるところがある。
 香りや傷痕も効果的に使われている。一人の女性の転換期を、身体の感覚と記憶に絡めて確かな筆致で丁寧に描いた完成度の高い作品だ。多くの読者の共感を呼ぶだろう。

第20回神戸エルマール文学賞 選評  後藤高志

西田恵理子「花びらの記憶」(あるかいど78号)
 人の、人に対する感情は、シンプルな単色のものもあれば、時に複雑な色を帯びるものもある。長く付き合う者同士ほどその色合いは深みを増して、なんとも呼べない色となる。親子ならばなおさらだろう。
 「花びらの記憶」の主人公、直子が母親の昌代に対して抱く感情も、細やかに描かれた細部や象徴にいくつもの色が重なり、読むほどに厚みを増していく。
 母親の昌代は、なにごとにおいても直子より兄の宏人を優先し、直子をぞんざいに扱い、軽んじている。それは、異性である息子可愛さや、内在化された家父長制から来るものだろう。さらに姑である直子の祖母との感情的な軋みが絡まり、ほどきがたい感情として昌代に深く根付いている。ある日、昌代は自宅で転んで骨折し、入院生活を送ることとなる。そんな時、世話をさせるのは結局近くに住んでいる娘の直子だ。
 物語はその直子の視点で進んでいく。昌代にぶつくさと苦情や不満を言われつつ、直子は甲斐甲斐しく昌代を見舞い、洗濯物を持ち帰って洗い、翌日にまた病室に持っていく。昌代はそれに感謝の言葉をかけることもなく、長男の見舞いや早期退職による帰郷を喜ぶばかりだ。
 この直子の働きの動機や欲求は、一見理解できないものだ。どうしてそうまでして、昌代の面倒を見るのか。いっそ縁を切ってしまえばいいのに。
 けれどもそこには、簡単な言葉では表せられない昌代への複雑な感情がある。おそらく直子は宏人のように昌代に受け入れられ、尊重されることはないだろう。直子もどこかでそれを理解している。だからといって、それをもって母を否定しきることはできず、どこかで受け入れて欲しいと願っている。またいつかは受け入れられるのでは、と考えているのかもしれない。ただし、そんな希望を抱いているのはおそらく直子だけだ。中盤の夫の正和が言う「もうあんたが気が済むようにするしかないわいね」という言葉が印象的だ。
 さらに直子は、自分や自分の手の傷が、母親にとって姑との葛藤を想起させるものであると知る。
 これはなんという呪いであろう。母である昌代、そして昌代に対する感情を、直子は決して捨て去ることができない。それらは、手の傷とともにいつまでも直子の中に居座り続けている。
 しかし直子はある時、母のものと思っていた記憶、暖かい背中、花びらの手触りや匂いの記憶が、母ではなく祖母のものであることを思い出す。そこから、直子の母への感情は少しずつ吹っ切れていく。
 決して母と離れるわけではない。呪いが完全に解けることはない。ただ、その呪いを抱えつつ少しずつ飼いならし、うまくやり過ごしていく。この作品では、そんな主人公のゆっくりとしたベクトルの変化が描かれている。その変化は、登場人物たちの会話や行動、また用水路での鯉の産卵や新しい家族の兆しと言った数々の象徴を通して、それと明示することなく描かれている。その点が巧みであると感じた。
 これからの直子と正和と息子の有樹に、幸多かれと願う。母の昌代と長男の宏人? まあなんなりと生きていくだろう。彼らもまた、筆者にはどこか愛おしい。

第20回神戸エルマール文学賞 選評  野元正

西田恵理子「花びらの記憶」(あるかいど78号)
 この作品は一見、吉田直子と実母・冬村昌代の心の葛藤を描いた50枚超のよくある短編のようにみえる。しかし、表題に込められた暗喩は、物語の背景に隠された娘の記憶を次第に解き明かしていく緻密な構成の作品だ。昌代や兄・宏人に対する直子の気持ちが繊細な筆致で描かれている。
 直子はホームセンターのパートをしている。専門学校卒で社会に出た息子・有樹への不満はあるものの、穏やかで心やさしい夫・正和との3人家族は、数年前、直子の実家がある岡山の建売住宅を買って、それなりに平穏に暮らしていた。
 そんなとき、昌代が大腿骨骨折で入院。今はリハビリ病棟にいる。昌代は、家事やパートで忙しい直子に毎日病院に見舞いに来るよう強要する。昌代は幼いときから宏人ばかりを溺愛。父が死んだときの財産分与も兄だけで曖昧にされている。直子はずっとないがしろにされてきたのに、昌代の理不尽な要求にじっと堪える。その直子の微妙な気持ちが巧みに描写されている。
 やがて昌代は宏人が見舞いに来ることを聞いて喜ぶ。宏人は早期退職して岡山に戻って来ることを昌代に告げる。彼女の喜びは一入。直子はじめ正和、有樹にまで宏人の引っ越しの手伝いを強要しようとする。
 直子は宏人との会話で、彼女の右手の甲に残る花びらの記憶を伴う傷の真相を知る。ネタバレになるので、詳述は避けるが、あのとき、怪我をした直子をいたわってくれたのは祖母であった記憶が木蓮の花の香りとともに蘇る。
 そしてラストの鯉が産卵する用水路は、昌代の愛情の欠片もない、親だから当たり前だという古い概念を押し流し、直子が母の呪縛から解き放されたことを巧みに表徴している秀逸な作品だとおもう。異論もあったが、議論の末、本賞となった。

文芸思潮101号 全国同人雑誌評 南崎理沙

 「あるかいど」80号(滋賀県)
  高原あふち「初音(うい)」 は、使う語彙に対する感度が高い作品だ。作者は表現したい美学と言葉の関係性をよく理解している。例を挙げるなら、「まだ覚醒しきれていないようなぼんやりした感覚で、雨に煙る街を眺めていた」という描写だ。ぼんやりとした感覚と雨のつながりが美しい。また、雨が降るだけでなく「雨が煙る」という描写においても美学が徹底されている。こういった感度の高さは、物語構成においても発揮されている。主人公の麻田が小学校の時から好きでいた岸辺との記憶に入っていく際、作者は情景描写と記憶を滑らかに接続させている。十三年ぶりに会う岸辺はバーテンダーになっている。そこで登場する描写は「何とも不思議な色をしたその液体は、見知らぬ砂漠や、小川や氷河を瞬時に思い起こさせてくれた。少し丸みのあるグラスに囗をつけると、耳の奥で水の音がした。知っている音、とても懐かしい古い記憶。店内に流れるジャズピアノが聞こえるはずのない雨の音を呼び覚まし、私は子供のころ岸辺と二人で雨宿りした日のことを思い出していた」というものだ。また岸辺と麻田の距離が近づいた場面は、ありきたりな言葉を一切使わずに、麻田の五感に基づいたものだけで表現されている。この書き方が、出来事はありふれていたとしても、それを特別にしている理由だ。また、二人はバーのモニターでDVDを観る。それは、ニューヨークで行われた奇跡のライブと言われる映像だった。岸辺は、そのライブを観ながら「ずっと、これを観るたびに励まされてきた。子供のころから自分のことをウイつて言ってたのは、こういう世界観をイメージしてたんだ。世界にはこんなに人がいて、一つになろうとしている。一人じゃないんだって」と話す。小説内はコロナ禍であり、そういった現在について「今は、大切な人のためにできることが離れていること」と話す。そして、岸辺のことが一番好きでも異性と結婚した麻田は(二人は女性同士として出会っている)、直接的な言葉を使わずに「大切な人のためにできることが離れていること。分かっていても、どうしようもなかった」と気持ちを明かす。何一つとして直接的なことを言わないが、ただ熱が存在する作品。未来や選択とは別の時空に温度がある。準推薦作とする。

三田文學 2026年夏・秋号 新同人雑誌評 佐々木義登

 渡谷邦「八月の屋上のわたし」(「あるかいど」第80号)は年配の女性が、真夏のデパートの屋上で高校生だちと関係を紡ぐ様子が描かれています。やおら一九七三年の自らの高校時代の思い出へと時間が遡ります。モリノブという男子生徒の微妙な距離感、そして十七才で自殺した林田ルミの詩集、モリノブとつきあっているらしい石田公子の存在、これらが絡み合い、現在と交錯してゆきます。落ちもなく結末が訪れますが、若さと老いの問題、人生の無常観、それらが渾然となって立ち現れる佳作でした。書き手の熟練した表現が際立つ作品と言えます。

三田文學 2026年夏・秋号 新同人雑誌評 加藤有佳織

 切塗よしを「静かなる場所」(「あるかいど」80号)は、一九二六年に津山基督教図書館を設立した森本慶三を描きます。太平洋戦争後に図書館再開のため尽力し、戦争につながる「怒鳴り声」から人々が離れられる場所を作り、家族を失った人や復員兵に対して「手当て」をしようとした尊さを写す穏やかな言葉が読むなりじっと沁み込みます。

これまでにあった反響

これまでにあった反響の一覧です。「○○号への反響全文」をクリックすれば、反響の全文をお読みいただけます。

80号(2026年6月1日)

切塗よしを「昼顔忌」
・民主文学 2026年10月号 支部誌同人誌評 秋元いずみ
・樹林 小説同人誌評49 細見和之
切塗よしを「静かなる場所」
・樹林 小説同人誌評49 細見和之
・三田文學 2026年夏・秋号 新同人雑誌評 加藤有佳織
渡谷邦「八月の屋上のわたし」
・樹林 小説同人誌評49 細見和之
・三田文學 2026年夏・秋号 新同人雑誌評 佐々木義登
西田恵理子「どんぐり公園夏祭り」
・樹林 小説同人誌評49 細見和之
木村誠子「くつきと精霊と僕の物語」
・季刊文科 2026年夏季号 同人雑誌季評 横尾和博
高原あふち「初音(うい)」
・文芸思潮101号 全国同人雑誌評 南崎理沙

 

79号(2025年11月1日)

木村誠子「さよならブラG」
・三田文學 2026年春季号 新同人雑誌評 加藤有佳織
・神戸新聞 2026年3月22日付 同人誌 葉山ほずみ
・樹林 小説同人誌評 46 細見和之
切塗よしを「ラストダンス」
・文芸思潮99号 全国同人雑誌評 南崎理沙
西田恵理子「ほな、ね」
・図書新聞 同人誌時評 2026年3月7日付 越田秀男
切塗よしを「老犬を連れた女」
・季刊文科 103号 同人雑誌季評After5 越田秀男

 

78号 (2025年6月1日発行)

「花びらの記憶」西田恵理子
・第20回神戸エルマール文学賞 選評
・民主文学2025年9月号 支部誌・同人誌評 松田繁郎
・樹林 小説同人誌評 45 細見和之
「不機嫌の系譜父・木辺弘児」住田真理子
・神戸新聞 2025年9月24日付 同人誌 葉山ほずみ
・樹林 小説同人誌評 45 細見和之
・三田文學 2025年夏・秋合併号 新同人雑誌評 加藤有佳織
「日日是日日」高原あふち
・季刊文科101号同人雑誌季評 越田秀男
「駝鳥の見る夢」切塗よしを
・季刊文科101号同人雑誌季評 谷村順一
・文芸思潮98号 全国同人雑誌評 南崎理沙

 

77号 (2024年11月6日発行)

「池に棲む人」久里しえ
・三田文学 2025年春季号 同人雑誌評 佐々木義登
・季刊文科 99号春季号 同人雑誌季評  谷村順一
「地底へ」渡谷邦
・文芸思潮96号 全国同人雑誌評 南崎理沙
・神戸新聞 2024年12月21日付 同人誌 葉山ほずみ
・三田文学 2024年秋季号 新同人雑誌評 加藤有佳織
・季刊文科 99号春季号 同人雑誌季評  谷村順一
「トマトスープとガーリックライス」高原あふち
・季刊文科 99号春季号 同人雑誌季評  谷村順一

 

76号 (2024年5月29日発行)

「アマリリス」夏野緑
・季刊文科97号 同人雑誌季評 河中郁男
「はるかかなた」高原あふち
・図書新聞2024年8月31日付 同人誌時評7月 越田秀夫
「Aハウスにて」渡谷邦
・三田文学 2024年秋季号 新同人雑誌評 佐々木義登・加藤有佳織
・樹林 第41回小説同人誌評 細見和之
「サンセットビュー」伊吹耀子
・民主文学2024年9月号 支部誌・同人誌評  風見梢太郎
「雪の匂い」渡辺庸子
・民主文学2024年9月号 支部誌・同人誌評  風見梢太郎

 

75号 (2023年11月3日発行)

「私たちは散歩する」渡谷邦
・季刊文科96号 同人雑誌季評 谷村順一
・三田文学 2024年春季号 新同人雑誌評 佐々木義登
「昏がりの果て」渡辺庸子
・樹林 第40回小説同人誌評 細見和之
・三田文学 2024年春季号 新同人雑誌評 加藤有佳織
「答えは 風の中」泉ふみお
・樹林 第40回小説同人誌評 細見和之
・神戸新聞同人誌評 2024年6月23日付 葉山ほずみ

 

74号(2023年 5月30日発行)

「水路」渡谷邦
・第18回神戸エルマール文学賞選評
・第18回まほろば賞選評
・三田文学 2023年秋季号 新同人雑誌評 佐々木義登
・文芸思潮89号 「全国同人雑誌評」 五十嵐勉
・樹林 第38回小説同人誌評 細見和之
「鼻ぐり塚で待つ-夏-」西田恵理子
・図書新聞 №3640 2024年5月25日 同人誌時評+α 越田秀男
・神戸新聞 2023年9月23日付 同人誌評 葉山ほずみ
・樹林 第38回小説同人誌評 細見和之
「崋山先生の画帖第一画 母の面影」住田真理子
・樹林 第38回小説同人誌評 細見和之
「雑踏の中にいる」切塗よしを
・季刊文科 93号 同人雑誌評 河中郁男
「オレンジ色のスカート」渡辺庸子
・民主文学 2023年9月号 支部誌・同人誌評 松田繁郎

 

73号(2022年11月2日発行)

「長い写真」久里しえ
・三田文學 2023年春季号 新同人雑誌評 加藤有佳織
・季刊文科90号 同人雑誌評 谷村順一
「その週末」渡谷邦
・三田文學 2023年春季号 新同人雑誌評 佐々木義登
・季刊文科90号 同人雑誌評 谷村順一
「レッスン」切塗よしを
・樹林第36回小説同人誌評 細見和之
「白いシーツは翻る」西田恵理子
・民主文学 2023年3月号  支部誌・同人誌評 岩淵剛
「あぐねる」高原あふち
・神戸新聞 2023年1月27日付 同人誌評 葉山ほずみ

 

72号(2022年5月17日発行)

「鳩を捨てる」住田真理子
・文芸思潮86号 全国同人雑誌評 殿芝知恵
・三田文學  2022年秋季号 新同人雑誌評  佐々木義登
・季刊文科89号 同人雑誌評 谷村順一
・神戸新聞 2022年7月22日 同人誌評 葉山ほずみ
「面会時間」切塗よしを
・文芸思潮86号 全国同人雑誌評 殿芝知恵
・樹林第34回小説同人誌評 細見和之
・民主文学 2022年9月号 支部誌・同人誌評 草彅秀一
「オーロラ」池誠
・文芸思潮86号 全国同人雑誌評 殿芝知恵
「明るいフジコの旅」渡谷邦
・三田文學  2022年秋季号 新同人雑誌評  佐々木義登
・第17回神戸エルマール文学賞「島京子特別賞」受賞

 

71号(2021年11月1日発行)

「ラストデイのような日」渡谷邦
・三田文學 2022年春季号 新同人雑誌評  藤有佳織
・三田文學 2022年春季号 新同人雑誌評  佐々木義登
・季刊文科87号 同人雑誌評 河中郁男
「海には遠い」切塗よしを
・神戸新聞 2021年12月24日  同人誌評 葉山ほずみ
・季刊文科87号 同人雑誌評 谷村順一
「降っても晴れても」高原あふち
・神戸新聞 2021年12月24日 同人誌評 葉山ほずみ
・季刊文科87号 同人雑誌評 河中郁男
「塀の外の空襲」住田真理子
・季刊文科87号 同人雑誌評 谷村順一
「紅い破片」渡辺庸子
・季刊文科87号 同人雑誌評 谷村順一