商業文芸誌評


この記事は2025年5月発刊予定の本誌79号『あるかいどへの反響』欄転載されます。本誌掲載に際しては万全を期しておりますが、誤字脱字等に気づかれた方は発行人までお知らせくださいこの段階でミスをご指摘いただけると誌上に反映させることができます。

 

民主文学2025年9月号 支部誌・同人誌評 松田繁郎

 同人誌では西田恵理子「花びらの記憶」(『あるかいど』78号)に注目した。
 吉田直子と正和、息子の有樹の三人家族と、直子の母を交えた関係性の中に、時代の家父長制の固定観念にも似た情念とのたたかいが浮き彫りになる。直子の息づかいまで描く、繊細で、スリリングな小説である。
 ピリピリする一つは、大学に行かず、専門学校へ行き、早々に就職が決まった息子、有樹に対する直子の複雑な感情。もう一つは、自分の母親との関係に悩む直子の感情である。その複雑な気持ちは右手の甲の上にある小さな傷跡と幼い頃の花びらの感触に残っているのである。
 直子たちは数年前に岡山市の西端にある建売住宅を買い、それなりに平穏な生活を送っていた。ところが、ニカ月前、職場にいる直子に母の冬村昌代から電話がかかってきた。家の中で転んだというのだ。病院に連れて行くと大腿骨骨折とわかった。その後、冬村昌代はリハビリ病棟に移っており、兄の宏人が病院へ見舞いに来るとのメールに嬉々としている。直子の父親は三年前に亡くなっており、昌代によって相続のことはうやむやにされている。孫の有樹を可愛がってくれる吉田の義父母と、孫よりも自分の息子を可愛がる冬村昌代の性格の違いを有樹もわかっているのである。
 兄が会社を早期退職して岡山に帰ってくることがわかる。兄との会話の中で、直子が四歳の頃、右手の甲にケガをした真実が明らかになる。直子が祖母の離れに行き、兄の宏人が直子のぬいぐるみを取り上げて揉めている時に食事を運んできた母・昌代とぶつかり、窓ガラスで手を切ったのである。何かにつけて右手の甲を触る癖がついている直子に母・昌代が娘にケガをさせた当てつけのように感じているのではないかと思い当たってゆく。
 庭にあった木蓮とともに思い出したのは、ケガをした直子を慰めてくれたのは祖母だったことだ。そして思わず「一体、私はお母さんの何なん?」という言葉がぺろりと出るのである。緊張が最高度に達した後、「そんなん、娘に決まっとるでしょうが」という昌代の返事を聞いて、母の娘という呪縛から解放される直子の姿が男優先社会とのたたかいに勝利したように読めるのである。
 母の家から自宅に帰ると、有樹が連れてきたらしい「カノジョ」との笑い声が聞こえるのだった。綿密な構成の元に、謎を提示しながら、方言を用いて読ませる力は相当なものである。
 他に次の諸誌を読ませていただいた。

樹林 小説同人誌評 45 細見和之

『あるかいど』第78号掲載の、住田真理子「不機嫌の系譜父・木辺弘児」は、作家・木辺弘児の姿をじつの娘の視点で捉えた五〇枚ほどの作品。
 技術系サラリーマンでかつ作家として二度芥川賞候補にもなった木辺は、文学学校のチューターを長く続けていたので、文校周辺でよく知られているはずだが、素顔となると分からないことが多い。ここでは「父と私は、幼い頃からずっと文学友だちであった」とあり、またある時期から清書を担当したのも自分だった、と打ち明けられている。それでいて木辺は娘にとっても謎の多い存在だったことが分かる。その謎にあたるものを記しつつ、父の作品から作者である娘が引用する。素顔の父と作品の言葉――。そこにはスリリングな空間が開かれている。

樹林 小説同人誌評 45 細見和之

 西田恵理子「花びらの記憶」は、やっかいな母親と娘の関係を娘「直子」の視点で描いた、五〇枚強の作品。
 直子は岡山で夫と息子の三人暮らし。冒頭、直子は家族三人の洗濯をしているが、それを終えるともう一度洗濯をする。入院している母親の分である。その後、直子はパートをしているホームセンターへ出勤し、さらに母親・昌代の病室を訪れる。昌代は忙しい直子に毎日病室を訪れることを強要しているのだ。
 しかもその日、直子の兄で長男の宏人(ひろと)が明日徳島から見舞いに来ると昌代はうれしそうに伝える。さらに、その宏人のために、布団を干してシーツをかけておけと自宅の鍵を直子に渡す。昌代は以前から長男の宏人を可愛がり、直子には冷たくあたり続けてきたのだった…。
 自分の価値観を振り回し、まったくもって傍若無人の昌代だが、直子にはなお昌代に対するかすかな思いがあるようだ。タイトルにある「花びらの記憶」、幼い日に昌代のせいで負った指の傷、家のそばの、まだ鯉が産卵する用水路――。いずれも、昌代とのほのかな繋がりを示唆していると感じられる。

文芸思潮96号 全国同人雑誌評 南崎理沙 

「あるかいど」77号(滋賀県)
 日常と非日常の境界線に光を当てている作品が目立つ誌。揺らぎのなかに立ち、生きていこうとする人物を描くことに優れた作品が多い。
 渡谷邦「地底へ」は、独自の描写で不穏な空気感を演出することに優れた作品だ。主人公である奥さんは、隣の空き地に誰かが出入りしていることに興味をもつ。そこで誰かが穴を掘っていることを夫に伝えるが、「いまどきは何でもありだ」と一蹴される。その後も、夫は仕事など日常のことで忙しく、妻の話にまともに取り合わない。隣の奥さんと空き地の話をするようになり、主人公は一緒に段々と他人事に首を突っ込んでいく。そうしていくうちに、空き地では映画研究会のメンバーがSF映画を撮っていることがわかり、彼らの名前を覚えて彼らの食事を準備するまでになる。最終的には、映画の世界と現実の境目がなくなり、奥さんは隣の奥さんと自ら地底に降りていこうとする。物語の途中で、「まるで自分たちが映画を企画製作しているような気分だったのだ」という文章があり、段々と傍観するだけでなく主体的に捉えるようになっていく様子が描かれている。この作品において鍵となるのは、境界線の超越だ。日常と非日常、他人事と自分事、映画と現実、といった境界を少しずつ混ぜていくことにより独自の空気感を作り上げることに成功している。世界観を確立するための技術はかなり高いので、その効果を使ってかつ主体的に伝えたいテーマなどがあればさらに作品に奥行きが出るだろう。

三田文学 2025年春季号 同人雑誌評 佐々木義登

 久里しえ「池に棲む人」(「あるかいど」第77号)の主人公美咲は三十四歳、世間から向けられる目に悩みつつ不妊治療を行っています。ある日、自宅マンションから見える、池に突き出したように建つ家に、若い男がいることに気付きます。偶然知り合ったその斎藤という大学生と美咲は親しくなっていきます。作品中盤、ふと魔が差したように幼児を連れ去りそうになるシーンは秀逸で、それを端緒に不妊治療の意義そのものに対して疑念が生じてゆく展開は読みごたえがありました。ライターを返しに行くことを囗実に斎藤の家を美咲が訪れると、中から男女の声がベッドの軋む音とともに聞こえ、足音を立てずに後ずさる場面も印象に残ります。安易な解決を退け、余韻を残したラストが好印象でした。

三田文学 2025年春季号 同人雑誌評 加藤有佳織

渡谷邦「地底へ」「輝く母」(「あるかいど」77号)洗練された言葉によって固有の世界を作り出し、 緊張感のある快作でした。

季刊文科 99号春季号 同人雑誌季評  谷村順一

 久里しえ「池に棲む人」高原あふち「トマトスープとガーリックライス」渡谷邦「地底へ」を面白く読んだ

これまでにあった反響

これまでにあった反響の一覧です。「○○号への反響全文」をクリックすれば、反響の全文をお読みいただけます。

78号 (2025年6月日発行)

「花びらの記憶」西田恵理子
・民主文学2025年9月号 支部誌・同人誌評 松田繁郎
・樹林 小説同人誌評 45 細見和之
「不機嫌の系譜父・木辺弘児」住田真理子
・樹林 小説同人誌評 45 細見和之
 
 
 
 

 

77号 (2024年11月6日発行)

「池に棲む人」久里しえ
・三田文学 2025年春季号 同人雑誌評 佐々木義登
・季刊文科 99号春季号 同人雑誌季評  谷村順一
「地底へ」渡谷邦
・文芸思潮96号 全国同人雑誌評 南崎理沙
・神戸新聞 2024年12月21日付 同人誌 葉山ほずみ
・三田文学 2024年秋季号 新同人雑誌評 加藤有佳織
・季刊文科 99号春季号 同人雑誌季評  谷村順一
「トマトスープとガーリックライス」高原あふち
・季刊文科 99号春季号 同人雑誌季評  谷村順一

 

76号 (2024年5月29日発行)

「アマリリス」夏野緑
・季刊文科97号 同人雑誌季評 河中郁男
「はるかかなた」高原あふち
・図書新聞2024年8月31日付 同人誌時評7月 越田秀夫
「Aハウスにて」渡谷邦
・三田文学 2024年秋季号 新同人雑誌評 佐々木義登・加藤有佳織
・樹林 第41回小説同人誌評 細見和之
「サンセットビュー」伊吹耀子
・民主文学2024年9月号 支部誌・同人誌評  風見梢太郎
「雪の匂い」渡辺庸子
・民主文学2024年9月号 支部誌・同人誌評  風見梢太郎

 

75号 (2023年11月3日発行)

「私たちは散歩する」渡谷邦
・季刊文科96号 同人雑誌季評 谷村順一
・三田文学 2024年春季号 新同人雑誌評 佐々木義登
「昏がりの果て」渡辺庸子
・樹林 第40回小説同人誌評 細見和之
・三田文学 2024年春季号 新同人雑誌評 加藤有佳織
「答えは 風の中」泉ふみお
・樹林 第40回小説同人誌評 細見和之
・神戸新聞同人誌評 2024年6月23日付 葉山ほずみ

 

74号(2023年 5月30日発行)

「水路」渡谷邦
・第18回神戸エルマール文学賞選評
・第18回まほろば賞選評
・三田文学 2023年秋季号 新同人雑誌評 佐々木義登
・文芸思潮89号 「全国同人雑誌評」 五十嵐勉
・樹林 第38回小説同人誌評 細見和之
「鼻ぐり塚で待つ-夏-」西田恵理子
・図書新聞 №3640 2024年5月25日 同人誌時評+α 越田秀男
・神戸新聞 2023年9月23日付 同人誌評 葉山ほずみ
・樹林 第38回小説同人誌評 細見和之
「崋山先生の画帖第一画 母の面影」住田真理子
・樹林 第38回小説同人誌評 細見和之
「雑踏の中にいる」切塗よしを
・季刊文科 93号 同人雑誌評 河中郁男
「オレンジ色のスカート」渡辺庸子
・民主文学 2023年9月号 支部誌・同人誌評 松田繁郎

 

73号(2022年11月2日発行)

長い写真」久里しえ
・三田文學 2023年春季号 新同人雑誌評 加藤有佳織
・季刊文科90号 同人雑誌評 谷村順一
「その週末」渡谷邦
・三田文學 2023年春季号 新同人雑誌評 佐々木義登
・季刊文科90号 同人雑誌評 谷村順一
「レッスン」切塗よしを
・樹林第36回小説同人誌評 細見和之
「白いシーツは翻る」西田恵理子
・民主文学 2023年3月号  支部誌・同人誌評 岩淵剛
「あぐねる」高原あふち
・神戸新聞 2023年1月27日付 同人誌評 葉山ほずみ

 

72号(2022年5月17日発行)

「鳩を捨てる」住田真理子
・文芸思潮86号 全国同人雑誌評 殿芝知恵
・三田文學  2022年秋季号 新同人雑誌評  佐々木義登
・季刊文科89号 同人雑誌評 谷村順一
・神戸新聞 2022年7月22日 同人誌評 葉山ほずみ
「面会時間」切塗よしを
・文芸思潮86号 全国同人雑誌評 殿芝知恵
・樹林第34回小説同人誌評 細見和之
・民主文学 2022年9月号 支部誌・同人誌評 草彅秀一
「オーロラ」池誠
・文芸思潮86号 全国同人雑誌評 殿芝知恵
「明るいフジコの旅」渡谷邦
・三田文學  2022年秋季号 新同人雑誌評  佐々木義登
第17回神戸エルマール文学賞「島京子特別賞」受賞

 

71号(2021年11月1日発行)

「ラストデイのような日」渡谷邦
・三田文學 2022年春季号 新同人雑誌評  藤有佳織
・三田文學 2022年春季号 新同人雑誌評  佐々木義登
・季刊文科87号 同人雑誌評 河中郁男
「海には遠い」切塗よしを
・神戸新聞 2021年12月24日  同人誌評 葉山ほずみ
・季刊文科87号 同人雑誌評 谷村順一
「降っても晴れても」高原あふち
・神戸新聞 2021年12月24日 同人誌評 葉山ほずみ
・季刊文科87号 同人雑誌評 河中郁男
「塀の外の空襲」住田真理子
・季刊文科87号 同人雑誌評 谷村順一
「紅い破片」渡辺庸子
・季刊文科87号 同人雑誌評 谷村順一