●タニコメ旅日記● |
〔バンコクからカトマンズへ〕 ** おそろしく大きいバンコク国際空港 一年前に完成したといわれるバンコク(スワンナプーム)国際空港。市内中心部から25kmのところだとのことだったが、恐ろしく大きな空港だった。最近はアジア地域でもハブ空港を狙ってどの国も大きさを競っているようだ、嘗てNZの行き帰りに乗り継いだシンガポールのチャンギ空港も凄い大きさだったし、韓国仁川空港も大きいということだ。両翼に大きなウイングを持った空港ビルは恐ろしく長い建物で、内部は広い通路を挟んで色々な店がならんでいる。暇にまかせてビルの端から端まで歩いてみたら、店を冷やかしながらではあったが40分かかった。特に4Fには世界的な有名ブランドの店がきらびやかに軒を連ねている。 早速我が“めいこサン”は帰りの乗り継ぎ時のために、品定めに余念がなかった。彼女が一番目を輝かせる一時だが、『もうエエやないか!行くぞ!』。こんな時の“オレ”は単なる邪魔者にしかすぎない。 歩き疲れて“マーくん”に教わったC1の休憩所へ行った。ここには沢山のソファーが備えられていて色々な顔をした大勢の人が身体を長々と横たえていた。こういう光景を見ると、長旅をする人達にとってこういう交通の十字路みたいな所での待ち時間の5時間やそこいらは単に長い退屈な時間ではなくて、身体を横たえて時差の苦しみを少しでも癒すためにひたすら眠り、狭い機内のシートから開放されて脚を伸ばして英気を養い、次の長いフライトに備える貴重な休養時間なんだろうと思う。『あー脚を伸ばしたい!、ゆっくり横になりたい!』。こういう思いは皆同じなんだ。私達もこれにならって、一時間半ばかりソファーに脚を投げ出してゆっくり休んだ。 ** タイバーツ(Baht) 今日の相場は、100YEN=30BAHT、つまり3.3円が1バーツだ。口が渇くのでセンター通りの店で500mlの「エビアン」を買った。『Yen OK?』。『Yes OK』 と言うから1000円札出したら180バーツのオツリが帰ってきた。 オツリは日本円にしたら約600円だから、この「エビアン」は約400円ということになる、タカー!。やはり通貨交換して買うのが正しいようだ、勉強になった。 ** バンコク発10:45分のTG―319便 カトマンズ行き 掲示板は何時の間にか“DELAY”と表示され,出発時間は11:15分に変更になっていた。松田氏に依れば、この辺ではこんなのはよくある事で、ごく「フツー」らしかった。 カトマンズ便搭乗待合室の様子も先ほどまでのショッピング街の華やかな風景とは少し変わって、女性のコスチュームも大分「地味」というのか「普段着風」というのか一寸表現し難い感じだ。向かい側に座っている若い女性も、成るほどサンダル風の靴は履いているのだけれどストッキングは、多分一張羅をはいて来たのだろうが、大分古くなっていて破れが見えているのを特に気に留める様子もなかった。予め話に聞いて居た通りネパールはまだ貧しい国なんだな「!」という様子がそこはかとなく伝わって来た気がした。 出発はズルズルと遅れ、離陸したのは11:40分であったが、とにかく目的地ネパールへ、カトマンズのトリブヴァン国際空港に向かって飛びたった。 バンコク/カトマンズの所要時間は3時間35分。 12:10,今回の旅で初めてのビール(ハイネケン)を頂いて、ようやく飛行機に乗った気分になった。どの辺りか知らないが、気象条件が良ければ進行方向右側にエベレストが見えると言う話だったが、アテにはならない。昼食が出た。 エビのシチュ―のようなモノ/野菜入りの卵焼き/チンゲンサイみたいな野菜のシタシ風。ピーナツ入りのフルーツサラダ。ワインに浸したようなケーキ。それにナン(これはナンなのかチャパテイ―なのかと聞いたら、どちらも同じモノで“ナン”だと言われた、「知ったかぶり」をするものではない)。白ワインで美味しく頂いた。さっきビールを飲んだ後でもあり、大いに食が進んだ、食後のコーヒーもお代わりしてもう満足。 14:00頃右奥にエベレストが見えて来たといって機内はニギワッテいる。私には「雲」とも「山」とも判別し難かったが、明子サンはスチュワーデスに案内されて前の方、「ロイヤルシルク」の方まで行って来て、キレイに見えたと言っていた。因みにタイ航空ではビジネスクラスの事を「ロイヤルシルク」というようだ、そういえばカナダ航空では「ホスピタリテイ―クラス」と呼んでいた、色々工夫しているんだ。俄かにガスにまかれた中を機は14:40頃カトマンズのトリブヴァン国際空港に着陸した。 * 入国にはビザが要ります 「とにかくノンビリした国だから入国審査も遅い、気長に待つように」と松田氏には言われていた。ネパールへの入国にはビザが要るのだが、ここ(入管)で取れるのだと言う。私達はビザが必要な国への訪問は初めてだから、何をどうして良いのやら全く知らなかったが、松田氏が予め用意してくれた紙を始め、入国ビザ申請書、30US$,パスポートを四点セットとして手に持って長い列に並んだ。 電子表示などは一つもない、昔の映画に出てくるようなカウンターでの手続きは時間がかかっていた。隣の列のほうが動きが良さそうだったので列を変えて、ようやく私達の番になったら、予想外にスンナリと手続きが進み書類を挟んだパスポートをポンと返してくれた。 何となく意外な感じはしたのだが、この時はパスポートに「ビザ(査証)」が貼り付けられているか否かなんて確認もしなかったし、確認が必要だということも知らずにホイホイと通過したのであった。この事が出国時にエライ事になるというような事は思いも懸けなかった。 とにかく入国手続きを済ませてバゲージの受け取り口へ。これまた「TG319便」とういうような見慣れた電子表示など無いコンベヤーで列を間違えたりしながら、ようやく全員集合。 * 通貨の交換 US$をルピー(Rs)に交換。取り敢えず60US$出したら3460Rsくれた。1ドル=57.7Rs 1Rs=0.017ドル。 関空でのレート117.8で日本円換算すると 1Rs=2.04円だ。 * 昭和40年台にタイムスリップ――聞きしにまさる凄さだ―― 「自分のスーツケースから絶対に手を離さないで下さい」。前もって念を押されていた意味がこの場面に来て良く判ったのは空港前広場のバスまで行く時だった。広場はビッシリと人,人、々、手、手、々で溢れかえっている。やたらアチコチから手が延びてくる、運んでチップに在りつこうという人びとだ。 『要らん、いらん!』。 『どいてくれ!』。 車の数が又凄まじい、さして広くはないが広場は車で埋まっている感じだ。何処までが車道やら訳がわからない中を気侭に走っている感じで危険この上もない。 ![]() 車は昭和40年代前半かと思われる型式が主流を占めていて、皆小型でトヨタもスズキもあるが、最近の型式なんかは見あたらない。それにしても、よくこんなポンコツを動かしているものだと感心もし、仕事に在りつけないらしい人々の多さと併せて、まだまだ発展していない国なんだということを実感した。 ** ナガルコットの丘(2170m)までバス旅行 どうにかお迎えのバスに乗り込んだ一行だったが、このバスがまた凄い「年式不明のベンツ」なのだ。ここで、今回ネパールの全行程を案内してくれる現地ガイドの“クリシュナー”氏とご対面。日本留学の経験もあるという日本語ペラペラの男性で安心した。ここで時差調整、只今バンコク時間15:58分、1時間15分の時差を調整してネパール時14:44分にリセット。カトマンズは既に標高1350mと聞いているが、バスの中は暑い。曇り空、遠くの山はかすんで見えない。 * オレにはネパールでの運転は出来ない カトマンズ市内の道はどこでもやたら混みあっているようだが、その程度がとても日本のそれとは比べ物にならないのだ、むしろ「犇めき合っている」と言ったほうが適切だ。脇から入ろうとしても容易なことではない、バスの前に1mの隙間ができれば忽ちバイクが割り込む、車線変更の場面などはハラハラものだ、何処へ行ってもクラクションは鳴りっ放し。 ルールは一応右側通行なのだけれど、殆どの道はセンターラインが無いから、対向車が無い時は道一杯にワッ!と拡がり、対向する時には狭まるのだから、乗っている私達も思わず足を踏ん張ってしまうのだった。それでも、あまり事故にはならないそうだ。 日本では、東京の人と話をすると、大阪では怖くて車の運転は出来んという。なんのナンノ、大阪なんか“め”じゃないよ!。 山道を走っても同じだ。とにかく道は狭くて穴ボコだらけ、おまけにガードレールも無い、落ちたら下は千尋の谷底。こんな所でも、喧しくクラクションを鳴らしてバイクや小型車が追い越して行く、何をそんなに急ぐんや・・・。普段の行動は「ビスターレ ビスターレ」(ゆっくり、ゆっくり)の国やのに!。 こんな道でも彼らの運転は巧みだし案外慎重だ。それでも対向車とすれ違う時は“思わず身体を山側へ傾ける”気分だった。 新聞やTVでギリシャの何処やらとかインドの何処やらで、日本人観光客を乗せたバスが谷底に転落したというようなニュースを見聞きする度に思った事だが、運ちゃんがよっぽど荒っぽいのか、酒でも飲んでたんとちゃうか「?」。いやイヤそれはどうも違うようだ、恐ろしい道だからこそ巧みで慎重な運転を心掛けているようだという事が、間接的だが今判ったような気がした。 * 道端の風景 トリブヴァン空港は100万都市カトマンズの中心地からは少し外れだが、今夜の宿があるナガルコットの丘2176mまで道中から見たカトマンズ周辺の風景は、車の数の多さを別にすれば、先ほど空港で感じた昭和40年代前半というよりはむしろ30年代初頭を思い起こさせる風景だ。 続々と建っているレンガ積みの建物を見れば、勢いよく発展している途上の国のようにも見えるが、足元がふらふらしているのではないか「?」と思えるような危ッカシイ建て方の「みすぼらしさ」や、走っている車の9割方が何十年前の型であることを考えると、車の数の多さや、やたらと多い人の群がりとは裏腹に、必ずしも急速な発展の途上にあるとも思えない、何とも不思議な感覚だ。 街中の汚さも又絶品だ!。 話には聞いていたが、聞きしにまさる悪路の道路は、市内の幹線は元々は舗装されていたような様子は窺えるが、それも今は穴ぼこだらけ。 好き勝手に走り回る車が、街中に「ホコリ」を吹き上げていた。雨の少ない季節柄、街路脇の樹木は「ホコリ」を被って土気色になっていた。 かてて加えて、街を一層汚らしくしているのは、到る所に積み上げられた「ゴミの山」だ!。ネパールにゴミを拾う習慣は無い。 どうも、この国の人達は衛生観念が乏しいようだ。普段見る私達の街との余りの違いに一瞬ギョッとなり、「外国」を感じた一時であった。 * 耕して天に到る 神話の世界かも知れないが、かつて湖であったといわれるカトマンズ盆地は確かに山に取り囲まれている。ようやく市内を抜けるとイキナリ山だ。 ![]() ナガルコットへの山道の脇は「耕して天に到る」という風情で、日本のそれよりも一層狭い田や畑を耕す多くの女性達の姿が見られた。街中の到る所に「たむろ」していたり「うろついて」いる男性達の多さに比べると、この国の女性の勤勉さは特筆に値するようだ。 **Club Himalaya Nagalkot Resort(クラブヒマラヤ ナガルコット リゾート) 細くウネウネと曲がった地道をカーブ毎にクラクションを鳴らしながら、私達のバスは17時少し前、ようやく2176mの今日明日の宿ナガルコットリゾートにたどり着いた。 日の入りが17:15との事なので、夕方のほんの一時急いで上がったホテル屋上の展望台から眺めた私達の眼に映ったものは、殆どが雲に覆われたに中で遥か彼方に僅かに尖ったピークを見せてくれたドルジェ.ラクパ(6975m)であった。 確かに、幻のようなそのピークは私達が通常仰ぎ見る「山」とはまるで別次元の高さにあって雲と間違えそうであったが、初めて眺めるヒマラヤ、私が期待していたヒマラヤにしては余りにも遥かな遠景であった。 私達の部屋は4F,質素だが清潔な部屋だ、やや乏しい感じのシャワーも出るし、今まで泊まった他の外国の山辺のホテルの部屋と比べても似たようなものだ。多分私達一行は皆、山が見える「ヒマラヤンビュー」の部屋を宛ててもらっているのだろうが、折角のベランダも夜遅くの星は大きかったものの、滞在した二日間では残念ながらヒマラヤの絶景を見ることは無かった。 食事はバイキング方式。この後もネパール滞在中は、ホテルで摂った夕食も朝食も全てこの方式であった。 私達は今まで外国へ行く時,何時の時にも「日本食」を持って行くということは無かったが、説明会での周りの皆さんの話を聞くともなく耳にしたり、万が一下痢などで現地の料理が食べられなくなった場面を想定して、初めて「お粥」や「カップ麺」などを用意したのだったが・・・。 それだけに、「ネパールでの初めての夕食」は幾分「気」にはしていたのだけれど、戴いたものは全く違和感の無いもので、結構「いける」感じであった。勿論、見た目で口に合いそうなものをチョイスしたのだから当然かも知れないが。 先ずビール。「ゴルカ」(GORKHA)、国産とのことだったが、なかなか「いける」。私はその後も毎晩ゴルカにした、大ビン650ml入り370Rs,約6US$。 明子は時々缶ビール、高地のせいか酔いやすいと言って今回はアルコール類をあまり飲まなかった。330ml入り、銘柄は所によって変わるが「カールスバーグ」が多かった、230Rs。 |
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