●タニコメ旅日記●
世界最高峰ヒマラヤの大地を歩く 11月8日(3日目)

〔軽いハイキングの後は古都や寺院見学の一日〕
 
 ** 日の出のヒマラヤを見に展望台へ
5:30AM、暗闇の中をバスで15分ほど登ってマハデォポカリ山頂の展望台(2300m)へ。日の出は6:18分だとのこと。 生憎雲がかかって山は見えなかったが、横に流れる雲間を縫って大きな太陽に出会う事が出来た。頂上広場に建てられた四角柱の石碑の一面には『SAGAR MATHA 172km』と記されていた。そうだ、一つの山もネパールでは「サガルマータ」、英国人が名付ければ「エベレスト」,チベットでは「チョモランマ」と呼ぶのだった。
ちょっと歩いてからの朝食。ここでもホットケーキが出ていた、流石にここは花の国だから濃厚なハチミツをかける、食べるものは品数も豊富であったが、そんなに食べられるものではない、美味しく戴いた。

** はじめてのハイキング
 8:30の出発で2時間ばかり山を下るハイキングだ。午後は世界遺産の寺院などを見学の予定になっている。朝5:30分からは2300mの展望台へ行くために重装備をした、トックリシャツにインナー付き赤いヤッケ、ウールの帽子、手袋など冬支度で出かけたが案外暖かかった。その後のハイキングや観光のために薄着に着替え、雨の用意も不要という事で荷物も少なくなったからナップザックでの気楽なお出かけとなった。
ヒマラヤ
朝日がまばゆい

 山を下るハイキングと云っても、何せ2000m辺りまで耕された間に所々に人家があるという丘の「あぜ道」のような所を下って行くのだから変化は無い。見晴らしは良いものの、“森林を抜けてその角を曲がったら、どんな光景が・・・”というような楽しみは勿論無い。暫く歩いた森林の中、私達が普段見慣れた木とは植生の種類は違うようだが、本当のところは判らない。
 そんな中で細長い松葉が「おカッパ」のように垂れ下がった松の木の姿が一際目を引いた。さらに驚くのは、その松の幹がスラリと真っ直ぐに高く々伸びていることだ。ガイドブックに依ればネパールの緯度は北緯28℃近辺、日本の奄美大島と同じだから暖かく、年間を通じて成長しているらしいと察しられた。
 今私達が歩いているのは多分1800m前後の高さだろうと思うが、耕作地の地帯へ出てくると、トウモロコシの実を刈り取ったらしい畑の隣の畑ではナタネの花が満開で一面の黄色だ。先ほどバスから見た満開のサクラや、大きな木になったポインセチアの赤い葉先といい、どうも良くわからん!。
ヒマラヤ

 春と秋の区別は無いのかな?。常春の国だから、春だ秋だとかの区別なしに年中咲いているのかな?。
 そんなことを感じながら、何となく黙々と歩いたという感じのハイキングをして、降りてきた所が世界遺産に指定されているチャングナラヤンビレッジであった。いよいよ午後の部,古都や寺院の見学の時間になった。

** チャングナラヤン
 4世紀から存在するという標高1541mに在る世界遺産チャングナラヤンの街。チャングはネパール語で『古い』という意味らしい。街の突き当たりのような高台にあるチャングナラヤン寺院は保存者ビシヌ神を祀った寺院だそうだ。
 ヒンズー教における神の役割として、創造者、保存者、破壊者があるが・・・・
 と、こういう局面に到るとガイドのクリシュナー氏(日本人はクリスさんとも、クリさんとも呼ぶようだが)は俄然張り切るようで懇切丁寧な解説を延々と続けてくれるのであった・・・。
 申し訳ない事だけれど、そういう事に何の知識も無く興味もない私の心には何も響いては来ず、ただ街中に水道設備と排水設備がちゃんと備わった「洗濯場」らしい所があったのだけが妙に印象に残ったのでした。

** ギャックック
 12時ごろ標高1541mのチャングナラヤンを出たバスは平地(といっても1350mだが)のカトマンズへ向かって小一時間走った。天気は絶好、暑い!。日陰で25℃、半袖Tシャツで丁度イイ気持だ。
 ホテル「エベレスト」のレストランで昼食。チベット鍋「ギャックック」を戴いた。
 韓国の鍋料理で見かけるような、真中にエントツが突き出した鍋に水牛や鶏肉、豆腐、と野菜類が多目のスープの中でグツグツ煮えていた。例によってパラパラの飯を盛ったお皿にボーイがこれを取り分けて乗せてくれる。
 何時ものようにビール(カールスバーグ 缶入り330ml、300Rs)を飲みながら戴いたが、先ずは美味しかった。食事が終わる頃、「キツネの嫁入り」みたいな小雨がパラついたが、ネパールで遭遇した唯一の雨粒であった。

** パシュパテイナート寺院
 寺院へ向かう途中にチラッと見えたゴルフ場では民族衣装のサリーを着たキャデイーらしい女性が見られ珍しい光景であった。ゴルフは余程の金持ちがするものだとの事であった。
 寺院の境内というものがあるのかどうかは判らないが、近付くにつれて川向こうからは煙が上がり、異臭が漂い始めた。
 汚れた感じの川の傍には7つ8つの石の台座があり川下側の台座では死体が焼かれていて、私達にはかなり異様な雰囲気であった。  薪の代金も払えない貧乏人は,焼かずにそのまま川に投げ入れるらしい。
 ここパシュパテイナート寺院はヒンズーの四聖地の一つ(他の三聖地はインドにあるようだ)であり、破壊者であるシヴァ神が祀られているのだという。
 煙に包まれた台座があり、薪が積み上げられた台座あり、折りしも横に白布に包まれた死体が横たえられて葬儀が行われようとしている台座もある。
 嘗てTVで見たインドのガンジス川畔のそれは、涛とうとした流れと一体となった儀式であり、案外あっけらかんとした光景に見えたが、ここパシュパテイナートでは聖なる川と云うには余りにも乏しい流れを取り囲んだ儀式の場の佇まいと、これを見守る人びとが醸す雰囲気が,いかにも異界を感じさせた。
 私達は川を挟んで向かい側に立って例によってガイドのクリシュナーさんの長い解説を聞いているのだが、全てが石造りの構造物のアチコチには顔中黄色や赤に塗りたくった修行僧がたむろしていたり、やたら大勢の人がたむろしているなど、まるで映画インディージョーンズの世界へ迷い込んだような光景に遭遇したのでありました。

** 祈祷者の街バクタプルへ
 意味はよく判らなかったが、14世紀から栄えた古都は地面も建物も全てが“レンガ”の街であった。クリス氏の長い解説があったが、私のような粗雑な頭の旅行者とガイドの間には歴史認識や文化の理解度に余りにも大きな差があり過ぎて理解できなかった。
 ダルバール広場(王宮広場)や55の窓を持つパレスで有名なのだそうだ。

** 喧騒のバザール
 王宮広場を抜け出た、大きな五重の塔の下あたりには広いバザールがあった。ネパールは明後日から3日間のカーニバル休暇に入る前という事で、バザールは大変な賑わいで喧騒の最中にあった。
ヒマラヤ

** 疲れ果ててナガルコットのホテルに帰りついたが・・・
 18:20分頃、疲れ果ててナガルコットのホテルに帰り着いた。長時間の市中引き回しは歴史の勉強にはなるのだろうが、たった一回だけ訪れるパッセンジャーに対して、マニュアルどうりの懇切丁寧な説明をしてくれても何ほどの意味があろうか「?」。徒に時間を要し疲れを増すばかりであった。
 こういう遣り方は別のタイプの旅行者を対象にしてやればヨロシイ、例えば『世界遺産シバ神の寺院と14世紀の古都を巡る6日間』とかの企画をすれば結構受けるだろう。
 元来私は「街中をウロウロし、立ち止まってはクドクド説明を聞き、ハイ!次は〇×寺院へ参りまぁす、バスに乗り遅れないようにお急ぎ下さい」みたいな旅行がイヤだから,敢えて“山野を場とする旅行”にマトを絞って参加しているのだ「!」。それでも、今日みたいな市内見学や観光は必ず付き物だ。
 それはそれで「おかずの一品」みたいなモノだから普通は結構楽しんでいるのだが、今日のは「メインディッシュ」の食欲まで減退させるような「大量のマズイおかず」であった。
 企画書のタイトル「〜世界最高峰のヒマラヤの大地を歩く〜 ネパールハイキング9日間」との間に落差がありすぎる。コンセプトが曖昧なのか、ガイドにコンセプトを理解させていないのか判らないが、大いに不満であった。
 バタバタと風呂に入り、19時からの夕食にはヤットの思いで間にあったが、心なしか今夜のデイナーはマズかった。肝心のビールまで不味い気がしたものだ。
 最早や何をする気力もなく,明朝早や発ちのバゲージのパッキングを済ませると、明子が何やらゴソゴソやっているのを尻目に、早々と寝てしまった。

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