●タニコメ旅日記●
世界最高峰ヒマラヤの大地を歩く 11月10日(5日目)

〔感動の夜明け〕
**  感動の巨大なパノラマが眼前に
 我が“めいこサン”は旅行に出れば朝の目覚めは早い、普段家にいる時とはエライ違いだ。まだ夜が明けやらない5時半ごろ、ガラス越しに山の方を眺めていた明子だった。
 「?」もしや、これは大変なことになるのではないかしら「?」。
 『山』のようだけど。
 私はまだベッドの中だったけれど、昨日の若干落胆した気分が抜け切らないままに『雲やろ?!山の形をした雲を見間違えているンと違うか?』。  山の方なんか見もしないで、暫くはまだ横になっていたのだった。それでもまだ「山」らしいものを見続けていた“めいこサン”だったが、今度はハッキリと『山や!!』『ヒマラヤが見えてる!!』と叫んだのだった。
 夜明けの変化は早い。6時少し前の薄明かりの中に私が見たものは・・・・。
 これは何だ!!。
 全面真っ白な、というより夜明け前の薄明かりの中で青白いヒマラヤの大パノラマが開けているではないか!!。
 一片の雲もない。圧倒的なスケールだ。今まで経験したあちこちの山容の「大きさ」というのは何だったんだ。この巨大さは!!。
hima

 息を呑む瞬間だった。
* モルゲンロートに言葉を失って・・・
 右手の山の端から真っ赤な太陽が顔を見せ始めたのは6:20頃だった。次第に嶺々が朱色を帯びて輝きはじめた。モルゲンロートだ!。
 刻々と変わる山の色、黄金色に輝く圧倒的な嶺々。感動的なこの瞬間に、涙がこぼれそうになり、暫くは言葉を失って立ち尽くしたのでした。
hima

 もう今回の旅の目的は半ば達した感がある。こんな場面に遭遇してオレの筆力ではこの感動的な場面は表現出来ないモドカシサばかりだ。
 7時を一寸過ぎて太陽は大分高くなった。今度は真っ白に輝く嶺々が一際近くみえる。この場面も感動的だ!。
 “これを見たから,後はもうどっちでもエエわ”。そんな感じの一時を過ごしたのであった。
 朝食後プールサイドのテーブルでコーヒーを飲みながら眺望を楽しんでいる時だった、通りかかったウエイターがニッコリ笑って『ラッキー』と、祝福してくれた。クリスの話では、一昨日までの五日間は雨アラレ続きだったそうだ、こんな晴天の大パノラマが見られるのは年に何度もない、あなた方は実に『ラッキーだ』との事だった。

* ヒマラヤ誕生の秘密
 ヒマラヤは元々海だったが、その昔大陸同志がぶつかった時隆起して出来た地球の“しわ”だという。それを証拠立てようとでも言うように、寺院の参道を歩けば必ず露天商が『アンモナイト1000円、安いよ!』と言って寄ってくる。そんなナマナマしいもの見たくもないわい。
 まだ冷め切っていないのではないかと錯覚させるような黄金色に輝くピークは地球と太陽のコラボレーションに依って造り上げられた、真に神の創造物なんだ!!。決して“しわ”などではない。
hima


** 今日の行動は軽いハイキングの日だった
 昨日の午後はあれほど、今日と明日予定のハイキングに懸けるしか無いと思っていたのに・・・。今日明日のハイキングこそ「ヒマラヤを眺めながら、その麓を歩く」、今回の旅での本命そのものだったのだが、今朝ホテルの庭から見た感動があまり大きかったものだから些か気抜けした感は否めない。
 しかし、今日も明日も此処ポカラより遥かに標高の高い1400mとか1800m辺りがハイキングのスタートになるのだからより一層迫力あるヒマラヤに出会えるやも知れないと、今度は一転して欲が出て来たのであった。
** オットその前にはダウラギリなどを見る遊覧飛行があった
 オプショナルツアーの一回目は一人140US$でアンナプルナ山群を上空から見せてくれる。通路を挟んで片側一人席、定員20人足らずのプロペラ機は10:20分ポカラ空港を離陸した。
 高度15600フィート(約5000m)に達すると忽ちアンナプルナ山群の上空だ。天気は上々だが早くも雲が多くなってきた。
 朝方興奮して眺めたヒマラヤは地上からではダウラギリは視界の一番左端に在り、やや遠い存在であったから上空から一番見たいピークであったのだが・・・。マナスル/ヒマルチュリ/アンナプルナ?/ダウラギリ/アンナプルナサウス/マチャプチュレ・・・など余りに目まぐるしく変わるピークの姿に幻惑され続けであったが、確かに至近距離から見た迫力は楽しめた。
 定点観測とも云える地上から見るパノラマでは一つのピークを“全体の中の個”として捉えられるから夫々の姿が印象に残るが、雲が有ったのも影響はしているが、「アップに写したTV画面」のように只単に大きいだけで「ピークのカオ」というものの印象はやや薄かった。単に大きければイイわというような見方はオレの趣味ではないな!。何となく140ドル損したような気分で30分ほどのフライトを終えた。
hima


** ノーダラ(Naudanda)1423mからカスキ(Kaski)1600m折り返しのハイキング
 遊覧飛行から帰ると直ぐ、バタバタと出かけたハイキングであった。
 11:30過ぎ、バスはさして広くない市街を抜けると暫くは、氷河の溶け水を含んでいるらしく幾分青白く濁った「セチ川」に沿って走っていたが、忽ち山あいへ入って行った。周りは河原に続く田園地帯で、丁度今は稲刈りの時期を迎えているようだった。バスの中は暑い。

* バスを通せんぼう
 一つの集落にさしかかった時、道端に「たむろ」していた子供達がイキナリ手を繋いで道路のド真中に出て来て「通せんぼ」。何がしかのお金を遣らなければ退かない。やっと通り抜けて暫く走ると又次の集落では同じ事を・・・。
 こうしてバスは何度も立ち往生しながら、やっとの思いで進んで行った。多分子供達が「小遣い」を得る唯一の手段なんだろう。その後もハイキングの途中で、山の子達が『ナマステ』と言っては寄って来て『マネー』と言って手を出す、そんな場面には何度か遭遇した。

* 60年前の自分達が二重写しに
 バスの中では、物珍しさにカメラを向けようとしていた明子に『止めろ!』と叫んでいた。私が子供の頃の記憶だけれど、土煙を上げて田舎の国道を走る占領軍(米軍)のトラックを追いかけては走っていた。排気ガスの臭いが何とも新鮮だったのを思い出す。本当は、時々は止まって「クラッカー」や「お菓子」を投げてくれる事を知っていたからだが・・・。あれは昭和20年代(1940年代)後半の事だった。今日では信じられない程敗戦国日本は貧しかったのだ。
「人間の尊厳なんて」・・・・。食える人の話だ!。物珍しそうに見たり、余りモノを投げてやるような気持は持たないようにしよう。
今日この国で見た光景は、私自身の60年前の姿と二重写しになったのでありました。

* 大きな弁当持って
 12時半ごろ、バスはようやくノーダラへ着いた、ここで先ず昼食。外国へ行って何時も思うことだが、外国で弁当を貰う時、とにかく量の多さにビックリする。今日のも、サンドイッチ/ケーキ/鳥から揚げ/チーズ/ゆで卵2個/バナナ/リンゴ/マンゴジュース。こんなに沢山一度に食えるかッ!。ウシやブタじゃあるまいし!。とにかく適当に食って、紅茶のサービスを戴いて、トイレ借りて・・・。さあー出発。

* 奥の千本
 13時過ぎ出発、天気は上々。ポカラを発つ時の暑さから、此処ノーダラ1423mまで登ってくると、風もヒンヤリして大分涼しく感じたのだが、さて歩き出すと又また暑くなって登りの行程では結構汗をかいた。半袖Tシャツはグッショリだ、かなり湿度が高いらしい。
 歩いている尾根筋の進行方向左側は雑木林だが、この高さでも右側は常に人の手が加わっている。放牧範囲らしく「結界」の石積みがあったり、カスキコットに近付くと、この1600mの尾根にも田畑があり「あわ」や「そば」が栽培されていて、収穫物らしい恐ろしく重そうな袋を担いだ若者に出会ったりした。
  カスキコットの丘が遠くに見えだした頃、正面の山の斜面が赤く(いやピンクだったかな?)染まっているのが見えた。『何やろ?』。『サクラかな?枯葉かな?』。
 ここまでの道々でも、到る所でサクラが咲いているのを見かけていたから多分間違い無いと思っていたが、近付いてから改めて判ったのは斜面一面に咲く満開のサクラだった、ヒマラヤ桜と言うらしい。ここのサクラは赤味が強い。早速私達は、吉野の山よろしく“奥の千本”と名付けたのであった。
 カスキコットの休憩所では若い男女の集団が民族音楽や踊りを見せてくれた。私は村の青年団の「小遣いかせぎ」かと思っていたが、明子の話ではあちこち巡回して稼ぐ芸人の集団のようだとのことだった、そう言われれば何となく素人離れしていたかな?。
 ノーダラまでの帰りは部落の中を通ったが、マバラに点々と存在する民家は全て斜面に建っていて、部落の中に「平地」というものが全く無い。  私なら、夢でウナサレそうな光景であった。16時過ぎノーダラに待つバスに帰り着いた。

* ヒマラヤは見えず、残念!
 ノーダラからカスキコットまでの尾根筋のルートは「圧倒的な存在感のマチャプチュレを正面から見る事ができる」コースらしかったが、ヒマラヤは常に雲の中にあって一度もその雄姿を見ることがなかったのは残念であった。やはりこの季節では夜明けから早朝がチャンスで、10時AMを過ぎると雲が出てくるようだ。

** 充実した一日だった
 感動的な夜明けから始まった今日は目一杯のスケジュールを楽しみ、心地よい疲れを残した充実した一日であった。17時前にホテルに帰ってきたから今日夕方はゆっくりだ、シャワーでなくお湯を張った風呂に入ろう。

** やや飽きてきたが・・・
 この国に来てからというもの、毎朝毎晩ホテルの食事は全てバイキングだ。決してマズイ料理では無いのだけれど、余りにも同じような「メインディシュの無い」料理ばかりで些か飽きてきた。「食」や「水」については色々な困難を伴うお国柄のようだが、一考を要するようだ。
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