●タニコメ旅日記● |
〔ポカラを発つ日〕 **快晴のサランコットからヒマラヤの日の出を見て 早朝4時半起きで小一時間バスを飛ばしてやってきたサランコットの丘、狭い頂上広場は早くも人で溢れかえっていた。ここはポカラ郊外だが1592mの丘陵地。障害物なしでアンナプルナ山群が見られる絶好のビュースポットだ。相当寒いよ!と云うガイドのサジェッションでトックリシャツ/インナー付きヤッケ/ウール帽子のいでたちで来たが、丁度良い按配であった。 絶好の天気だ!。薄暗い中、ランプで足元を照らしながら登った丘の頂上であったが、明け方の変化は早い。僅かな時間にその色を変えながら輝くアンナプルナ山群にカメラを向け、夢中でシャッターを押しつづけたのであった。 6:10AMのヒマラヤはまだ太陽は出ない、青白く冷たいパノラマを。 6:20のヒマラヤ、太陽はまだ出ないがややガスっぽくなってきた時を。 6:25太陽が出始めてマチャプチュレのピークがモルゲンロートに染まる時を。 6:33太陽が出た、ピークも全部クッキリのダウラギリ〜ラムジュンを。 6:37ダウラギリに光が当り出した時のピーク毎の姿を。 6:45ダウラギリが一段と輝きを増した時の各ピークを。 6:45裾野を流れるミルキーブルーの川の色を。 6:50太陽随分高くなった時のパノラマを。 7:00日が高くなり、山すその方が陰になってきた時の夫々のピークを。こんな風に時系列な写真を撮ったが、果たして“それ”と区別できるように明確になっているかどうかの自信は無い。 8:30シャングリラに帰ってからも尚アンナプルナ山群を。 8:40ポカラからのお別れの散歩でピークをバックにプールサイドや、玄関などで記念撮影などした。 9:20いよいよポカラともお別れだ。 ** 再びカトマンズへ 今日は10:45のOY138便で再びカトマンズに飛んで市内観光の予定なんだが・・・・。 * 出発時間「?」バタバタするな! ビスターレ ビスターレ OY−138便は機材の到着遅れで出発は遅れるとの事。ホテルでの待ち時間に続いて空港に着いてからも長い待ち時間があった。所在なく屋上テラスで日向ぼっこ。朝方クッキリ見えていたアンナプルナ山群も今(10:30)はもう雲の中だ。マナスルが遠くに、どうにか山容を現しているが、これも今に雲の中に消えるだろう。 10:30の陽射しは強い、首筋から受ける太陽は射すように厳しい。昨日も好天の中のハイキングで手や鼻など露出部が赤く日焼けしていた。 昨夜からの下痢は今は殆ど出ない、腹に入っているものが少ないのだから当然かも知れない。今朝はカステラ一切れとソイジョイ一本をコーヒーで食べただけだから腹に力が入らず身体全体がシンドイ感じで、PMのカトマンズ市内観光をどうするかなァと思案しているところだ。 OY−138は遅れに遅れて12:35にポカラを離陸、カトマンズには13:00頃到着した。これはそれ程大変なことでもないようだ、流石『ビスターレ ビスタ―レ』の国だ。 * 久し振りの日本料理 Hotel KIDO内の日本料理“田村”での和食の昼食。久し振りの和食はやはり美味かった。私は「腹」の状態が気になっていたから、トイレで様子を見てきたが、どうにか固まってきた様子だった。かなりの空腹だったので、和食を良い事に戴いたが,食後には一応ビオフェルミン止しゃ薬を呑んでおいた。 * 世界遺産スワヤンブナート寺院 “目玉の寺院”として有名らしいが、ネパールにおける仏教の総本山とのことだ。カトマンズ盆地の一隅にあって、丘の上に建つ壮大なストゥパが一際目を引く立派な寺院だった。半分伝説のような気もするが、解説書によれば元は湖の中の島であったが文殊菩薩が周りの山の一部分を切り開いて湖水を流し出した後に小高い丘になり、大日如来への奉納のためストゥパを建立したと伝えられている。湖水が抜けた後がカトマンズ盆地だと言われるだけあって、ここはカトマンズ市内が一望できる高台の景勝地でもあった。 ![]() 例によって此処でもクリシュナーの懇切丁寧な解説が続いた。仏陀について、儀式について、解脱,涅槃、ニルバナーヤ・・・。オレは巨大なストゥパの下のマ二車を廻して遊んでいたのでした。 * さて皆さん!お楽しみ!ボラレない土産ものの店へ クリシュナーの会社指定の店、吹っかけられる事はないようだがディスカウントも少ない。“THE UB GROUP CORECTION”。皆さん精力的に品定めしていた。 勿論、我が明子サンも“2008年版ヒマラヤカレンダー”を10冊ばかり手にして『ダウン!ダウン!』と値切って頑張りましたが、オレはもう「グッタリ」でへたりこんでいた。 * 夕暮れの旧王宮やダルバール広場界隈で“行方不明”に なおも市内観光は続いて、最早夕暮れ時であったがクリシュナ―の案内もハヌマン像あたりでの説明を最後にしてバスが待つ市内目抜き通りの方へ移動している時だった。幾筋にも別れた通りは行き交う人で雑踏を極めていたが、そんな中を急ぎ足で進む内にパーテイ―の一人を見失ったのだ。私達を一箇所に留め置いて、クリシュナ―は心当たりを随分探し廻ったが、どうしても見つけることは出来なかった。 30分余りも探し回っていただろうか、ホテルに連絡をとってみれば、既に見失った当人はホテルに帰りついていることがわかり、一同ホッとしたのであった。それにしても,言葉も通じない国でよくもまぁと、みんなで感心したのでした。 * 立派だった目抜き通り バスへ戻る途中に一寸横切っただけだけれど、多分市内一番の目抜き通りと推測される大通りは立派だった。10階前後と見えるビル群が建ち並び、明るく広い街並みは流石に百万都市の中心部だけの事はあるように見えた。そこには私達が見てきたネパールとは別世界があった。 * * 今夜の宿はラディソン ホテル(RADISSONN KATHMANDU) 与えられた部屋はなかなか立派だった。20畳ばかりのリビングに同じ広さのベッドルーム。ゆったりしたバスルームにトイレが2箇所。一泊するだけには惜しい気がするホテルであった。私達が泊まるレベルのホテルでは、最近あまり見られなくなったドア―ボーイの丁寧さも気に入った。 * ネパール料理に挑戦 ネパール滞在最後の夜ということで、夕食はネパール料理専門店へ行った。アペリテイ―フは米を原料にした蒸留酒とのことであったが、アルコール度40度という強烈な酒の割には「くせ」もなく、ピュア―な味であった。私はまだ腹具合に不安があるからポプコーンや揚げジャガイモの突き出しには手を付けなかったが、本命のカレーにはネパール式のマナーで挑戦してみた。 左手は不浄の手だから食事の時には使わない。全て右手で混ぜ合わせ、摘んで親指で口に押し込む。基本はこれだけみたいだった。米飯は例の、インディカ種というのか知らパラパラの長粒米、こういう食べ方のためにあるのだろう、手に粘りつかなくて有り難い。野菜や鶏肉を載せて、カリーをかけ、これを混ぜながら食べる。 その昔、初めてフォークナイフを使って悪戦苦闘しながら西洋料理を食った人達の違和感に比べれば、使い慣れた手指を直に使って食べるのにそれ程の違和感はなかった。只、べチャべチャに汚れた手指の気持悪さを除けば・・・・。 この感じはネパールでも同じらしく、チャンと水差しと盥で手を洗わせてくれたものだ。ただ、私達はインドにしろタイにしろカレーといえば恐ろしく“辛いもの”という先入観があるが、ここで戴いたカレーは別段辛いということがなかったのは意外であった。 |
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