●タニコメ旅日記● |
―― Mtクックフッカーバレーへ ―― 三日月がかかり星空がくっきりのテカポ湖畔の宿ゴドレーリゾートホテルで早い朝を迎えた。 昨夜は遅くまで星空ウオッチングに出掛けたので、寝付いたのは0:00頃だった、外はかなり冷え込んでいたが電気毛布のお蔭でグッスリ眠って睡眠時間の不足を補ってくれた。この天気がマウントクックでも変わらず、後10時間ばかりを保証してくれれば嬉しい限りだ。 今日は最後のウオ−キングでマウントクックの麓フッカーバレーへ向かう。出来れば氷河湖まで行きたいから余計天気が気になるが、今の様子なら絶好のコンディションだ。 7:30専用バスでテカポ湖畔を出発してから30分間、バスの前も後ろにも人一人車一台見かけない風景の中を私達のバスだけが走っていた、まさに人っ子一人いないのだ!。又またNZの地の広大さを感じた。 8:00ごろテカポ湖からプカキ湖の発電所へ水を送る運河沿いを走っている時にやっとオートキャンプの車と釣り人一人を見かけた。 テカポ湖はプカキ湖より随分湖面が高く、運河の終末で導水管により発電所へ落ちて行く高さをバスの中から推定すると20〜30mの落差があるように見えた。私達素人は常に、その時立っている足元からの目線で湖面を見るから、どの湖の湖面も同じ位置と錯覚するが、考えて見れば湖なんてものは存在する高度によって湖面の高さが違うのは当たり前の話だ、あほらし!。 9:00ちょっと前ハ−ミテージホテルに着いた。今日ガイドしてくれるのは、ネパール人のPHURENJE――フリンジ君だ、六ヶ国語を話すと言う。勿論日本語もペラぺラ、それでも日本に行ったことが無いという。外国人と付き合って何時も思うことだが、何故彼らは外国語のマスターが速いのだろう。 今回でもNZ人のクリスといい、ネパール人のフリンジと云い見事なものだ、勿論大変な努力をしたのだろうが、それにしても何かKeyになる違いがありそうだ。私は例え努力しても、英語一つ話せるようになる気がしない。 因みに、ハーミテージホテル(The Hermitage Hotel)の“Hermitage”とは、フリンジに依れば“ご隠居さん”という意味だそうな。 今日は氷河湖までのフッカーバレーウオ−キング、往復約15kmで7時間ほどの行程だ。ヒラリー卿の像をバックに記念写真を撮り、9:30ごろ出発。昨年は午後からの半日の、お楽しみハイキングであったためキャンプ場まではバスで行ったが、今日はホテル前から歩き始めた。 ヒラリー卿。 シェルパのテンジンと共に、世界で初めてエベレスト登頂に成功した人で 、NZ北島の人、私達年代は功績と名前位は知っている。 マウントクック村との関係は、と言えば。少年の頃最初に登山したのが、ここの何とかという小さい山であったそうだ。 エベレスト登頂のトレーニングをしたのもMtクック国立公園内の山だから特に関係が深いのだそうだ。 ![]() 一方のシェルパのテンジン(ネパール人)は、その後オーストラリアの国籍を取り、そちらへ移住したのだそうだが、その後の消息については聞き漏らした。昨年は登頂50周年記念で、ハーミテージホテルに四日ほど滞在したとの事で80何歳かになるが健在とのことだった。 フリンジの解説。 棘だらけの木:マウリ語では「マタゴウリ」あるいは「マタガウリ」だが、英語では“ワイルド アイリッシュマン”。 この木はマウリ人には多用されたようで、彼等に特有の刺青(タツー)をする針として使われたのだそうな!。 葉の先端が針のように鋭く尖ったラン科かな?と思われる草:マオリ名はわからなかったが、マオリ人はこの根を朝鮮ニンジンのよう に薬用植物として利用したそうだが、英語では“スパ二ッシヤー“と呼ぶらしい。 いずれにしても、棘だらけの木は野蛮なアイルランド人と呼び、葉先に鋭い棘を持つ草には野蛮なスペイン人と名づけたように、この島の開拓者を自任するイギリス人にはアイルランド人もスペイン人も嫌われ者だったようだ。こんな時代に仮に日本人が関わっていたらイギリス人は何という呼称を与えただろうか?と想像してオカシかった。 左手にMtクックに挑戦して遭難した人達(何十人にもなるそうだが)のメモリアルケルンを見ながら回り込んだ所が早、ミューラー氷河の下に出来たミューラー湖だ。昨年見た時は、一部はミルキーブルーを呈していたが今は流入水量が多いのか、一面灰白色の、一見泥水だった。 こういう濁りの原因は、氷河は絶えず移動しており、移動する時に周りの岩や地面を削り取る。こういう摩擦や摩滅によって出来た鉱物の粉(ロックフラワー)が浮遊しているためだ。従ってロックフラワーの内容(鉱物の種類)によって太陽光が当たった時の反射の様子が変わり、見た者の脳裏にしか浮かべられないあの見事なミルキーブルーや鮮やかな緑色の湖水を湛えた湖が現れるのだそうだ。 マウントクック国立公園の山群から出来たプカキ湖やテカポ湖は、ミルキーブルーと呼ばれる“やや曇った青空の色”とでも表現したらよさそうな色だ!。 第二の吊橋の手前の岩場では可憐に咲いた「サウスアイランドエーデルワイス」や「白いリンドウ」を見つけて、皆は喜んでシャッターを押した。 ここから30分ばかり登ったところでトイレ休憩。浄化槽を備えたFRP製の一人用トイレが二つ作られていた。そこから更に20分ばかり登って12:30ようやく氷河湖に着いた。 氷河湖畔の昼食。 今氷河から千切れたばかりという感じの、土やホコリで汚れた「氷の山」や 、少し下流には、洗われて綺麗になった「青氷の塊」がいくつも浮かんでいる浅い湖だ。 17kmもあると言われるフッカー氷河からの押し出しを受けて、まるで泥水色だがフッカー河の水源になっていて、大量の泥水がとうとうと流れる様はなかなか迫力がある。 ![]() ハーミテージホテルで用意されたランチは凄い盛り沢山で、とても一気には食べられない。途中の休憩時に“岩おこし”やリンゴは食べたが、ここではサンドウイッチやフルーツゼリー、オレンジを戴いた、それでもマフィンやチーズ、タフィーは食べ切れなかった。 ガイドのフリンジが作ってくれた熱いコーヒーを飲みながら、“直子さん”のいつもながらの食べつぷりに感じ入っていた。 主だったものをペロリとたいらげ、マフィンだフルーツやチーズだと次々にチャンチャンと片付ける。 おまけに、別に持参していたヨーグルト味のチョコボールのようなものに手を出している、これは私達も分けてもらったが。 若さか!?パワーの源泉と考えてか!?大した食欲で、お見事!!と拍手喝采を送りたい位だ。 勿論ホテルのレストランなどでも見事な食べつぷりを見せてくれた。 若いって気持ちイイナ!。 私はここで写真を撮り、明子は寸暇を惜しんでスケッチに余念がなかった。今日は好天に恵まれて、マウントクックの頂きはキラキラと輝いていた。昨年に比べて、更に“アオラキ”に肉迫する所まで来られたし、晴天の下で氷河湖に遊ぶことが出来たのは幸いだった。 只今13:15分、太陽がジリジリ照り付けて皮膚がチクチクする感じだ、晴天とそうでない時の差は極めて大きい。ガイドのフリンジは昨日までは四日続きの雨だったと言っていたが、「アオラキ」も「セフトン」もその間に新雪が降り、氷河の上やもっとスソまで昨年より随分雪が多い感じだった。 セフトンの懸垂氷河では時々雪崩が起こり、ドド−ンという音が聞こえる、振り向くと雪と氷の滝が岩場を滑り落ちているのが何度か眺められ、この旅の最後を締めくくるのにお誂えの場面であった。 それにしても暑い 、長袖のアンダーシャツにT−シャツ姿なのだが、それでも腕まくりして凌いでいた、場所と条件によってこの暑さも急激にヒンヤリに変るのだ!。 16;00ハーミテージホテルに帰り着いた。 朝からのかんかん照りも帰り際からは薄く雲が掛かりだし、天気は下り坂かと思わせる。しかし、今見る乳白色の雲をバックにしたマウントクックも又、別の美しさを感じさせる。 ![]() 今日は9:30〜16:00まで約6時間半を歩いて、MtクックやMtセフトンを遠く近くに心行くまで眺める事が出来、今回の旅の終末を最高の演出で飾ることが出来た。 本当に満足行く山行であった。 サヨウナラ! Mtクック。 迎えのバスを待つ間、ハーミテージホテルのラウンジにて16:35分。 打ち上げパーテイ−。 テカポに帰ったのは早かったが、明日はバスでクライストチャーチへ出て帰国の途につくための移動だけの一日だし朝もゆっくりだから、デイナーは20:00と遅くセットしてくれていた。 今夜は打ち上げパーテイ−ということで、全員一つテーブルになり、旅の成功を祝して乾杯をした。そんな時“突然ですが”という感じで、朝日サンツアーから夫々に対して“表彰状”の授与があり、直子さんから皆に拍手の内に手渡された。私は 「パフォ−マンス賞及びイングリッシュ賞 」という訳の判らない賞を戴き、明子さんには 「ベストドレッサー賞 」が手渡された。 ![]() デイナーの最中には、とうとう小雨が降り出した事で私達の昼間の好天が一際幸運だった感を強くし、添乗員の 「阿辻直子 」さんの天気オンナ振りが強調された。マウントクックが昨日まで四日続きの雨だったと聞くにつけ、今日の好天は本当にラッキーな一日だったようだ。 明子は明日の帰国に備えてバゲージの詰め込みをやっている。私はベッドにもたれ掛かってメモつくり。 昨夜は随分寒かったのでヒーターをガンガン入れたが、今夜は暖かく暖房はいらない。テカポの夜はこうして更けて行ったが、明子は荷物の準備が終わるとベッドに入るや否や直ぐに寝息をかきはじめた。 |
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