●タニコメ旅日記●
スイスさわやかハイキング8日間 9月1日(5日目)

   ――ユングフラウヨッホ3573mに立つ――
  素晴らしい朝を迎えた。正面の山々は。アイガーもメンヒも、 そしユングフラウも晴天の下で白銀に輝いていた。この旅に出てから、こんなに輝いた山々を見たのは今日が初めてだ、素晴らしい!。
  朝日は山の向こう側から昇ってくるから、綺麗なモルゲンロートには染まらないが、それでも、やや冷たく白く輝く峰嶺に、暫らくは二人共夢中でシャッターを押しつづけた。今日は朝からアルプスの360度の展望を見晴るかすため、シルトホルン(2970m) に登った(計画では昨日の予定であったが変更)。
 大きな、恐らく70〜80人は乗れそうなゴンドラを途中で乗り継いで、1650mのミューレンから一気に1300m余の高度差を稼いで2970mの頂上に立てば、アイガーから連なるベルナーオーバーラントの山並みは、丁度向かい側のように見渡せ、大パノラマに暫し息を呑んだ!!。
昨日エッシネン湖から見たブリュ―ムリスアルプも、反対側から望遠できる。
  何で?、こんな大事な時に!!。
 アイガー〜メンヒ〜ユングフラウ〜〜グレッチェルホルン辺りまで360度の内180度をパノラマ撮影したところでフィルム交換、所が何時もの24枚どりで無く27枚どりを入れたら、何時ものようにケース蓋がスッキリ閉まらず、シャッターも切れなくなるという故障に見舞われた。
 昨日もフィルム一本無駄にしながら、原田氏に苦労して直してもらったのに、何という事だ!。結局シルトホルンではその後の写真は撮れず、くっそー!。
 これにはオマケが付いていて、明子のデジカメも丁度この時電池切れになった、どうせシルトホルンを下りてユングフラウに向かう時にはホテル前を通るのだからと、手ぶらで出掛けたバチが当った、という訳だ。
 ミューレンに取って返し、COOPで昼食のサンドウイッチなどを買い、今度は、一旦ラウターブルンネンに下り、登山電車でベンゲン(Wengen)へ、ここで下車し、今度はゴンドラに乗り換えてメンリッヘン(2239m)まで一気に。
セルフサービスのレストランで昼食、さすがにテラスでは一寸肌寒いので屋内で、スープやコーヒーを買い、持参した玉子サンド、オレンジジュースを戴いたが、朝食を食べ過ぎたのか知らないが、何だか食欲乏しくスープだけが美味かった。
 12:30分、早くもガスが懸かってきた中を、ユングフラウヨッホ行き登山電車の始発駅であるクライネシャイデック(2061m)を目指してハイキング。
 本当は、この下りのハイキング中は正面にアイガー北壁を眺めながらの、雄大な眺望を楽しむべきコースなのだが、生憎今日は雨こそ降らないがガスが多く“白い蜘蛛”と呼ばれるアイガー北壁を見ることは出来なかった。そうかと思うと、メンリッヘンから真下に見えるグリンデルワルト村辺りは晴れているのが見える、高度や方向によって山の天気は微妙に変わるものだ。
 アイガーが見えなければ、あまり変化の無い斜面の牧草地を1時間半ばかり掛けて下ってきたところがクライネシャイデックだった。 正にユングフラウヨッホ行きの基地であり、山の上の駅以外には、ホテルが一軒と土産物屋が二軒、食べ物屋が何店かあるだけの集落だ。 ここでの待ち時間に、明子は葉書を書き、冬用の帽子を買った、私も「ユングフラウ」マークの帽子と、掘り出し物のカウベルを2個買った、いつの日か我が家の庭の“柴折戸”に付けよう。
 15:00発、こから、いよいよ本日のハイライト“ユングフラウヨッホ3454m”までトンネル登山電車で約50分の旅だ!!              例のギヤ―付き登山電車は途中、アイガーバントと、もう一箇所アイスメーァ駅で夫々5分間の停車時間があり、アイガー北壁のドテッパラに開けた“窓”から北壁の模様を見る事が出来る。
 今日はガスが懸かって真っ白だが、窓下に微かに北壁の雪と岩が見える、この僅か見える垂直の壁からでも北壁の凄さがわかる気がした。電車と北壁(外)の距離は大略30m程度だが、スイス人は、よくもまーこんな所にトンネルをクリ抜いたものだ、しかも100年も前(1905)にだ!。
 1905年といえば日本はどうだった?、明治維新頃、まだチョンマゲが残っていた時代だ。現在も日本には“国とか国家”はあるが“民の集合体が国家だ”という思想は無い、あるのは“お上=国家”という考え方だけで“民”は相変わらず忘れられているが。この基礎を固めた、亡者の徳川家による、お家大事、私利私欲を守らんがための300年に及ぶ鎖国政策が、ようやく解けた頃だ。この“失われた300年”こそが日本国を後進国に、国民を後進国民に陥れたものでありこういう国民だからこそ、この作品というか、この事業の偉大さに驚かされるのかも知れない。
 終着駅ユングフラウヨッホは3454m地点だ、地中にあるため高さも何も感じないが、エレベーターで一寸上がるとパッと明るくなったが、外は濃い霧で何も見えない。
 先ずアイスパレスへ、ユングフラウ氷河をクリ抜いた大きなトンネル、中は結構広くて長い、迷路のようで誰かにガイドしてもらわないと迷いそうだ。中には氷の彫刻なんかが並んでいるが、この彫刻は氷河と共に動かないのかなー?。 今度は、猛スピードのエレベーターで106m上のスフインクス展望台へ、ここが行き着ける最高点3474mだ。
 しかし残念なことに、外はガスの他に雪も降っているではないか、当然のことながら、雪上への出入りは禁止になっていた。ここ迄来れば何人も皆同じ、一人ビールを飲んでいたおっちゃんと、何を言っているのか判らないが。
 “ユータチハドコカラキタ?、オウーワタクシタチハ ジャパニーズ、マイネームイズメイコ!、メイコ!?,オーイエス“なんてことを言いながら抱き合ってスキンシップ、体温の高いおっちゃんだった。
 それにしてもだ、1905年だったかに出来たというこのトンネル鉄道に、スイス人の観光事業にかける執念のようなものを見た気がした。さすがに、私にして初めての3500mの高度、何となく、どこがどうツライとも言えない、曰く言い難い、ややシンドイ感じを味わった。
 帰りはハイキングで。帰りはアイガーグレッチャ―駅で途中下車、ガスが懸かっていて、どうかな!?の感じだったが、それでも 行こう!。牧草地帯を、小一時間の下りの軽いハイキングでクライネシャイデック駅まで降りて来た。
 今日はホテルの夕食は無いので、ここで夕食をとることになった、ただ、電車の時間も迫っていたので、一番早く出来るものは?に,何と“うどん”だという。当然の如く、私たちもビールと“うどん”にしたが、まさか、スイスで“うどん”を食うとは考えもしなかった。
 名前は“うどん”だが、メンは?スパゲテイ―違うか?という感じ、おまけに汁は!というよりスープは毒々しい赤色だ!、何とも“奇妙なモノ”だった。見かけ通りメンはマズイ!。ところが、毒々しい色のスープ(うどん の汁)は、これが又不思議なことに結構美味い、私にしては、無いことにこのスープは殆ど飲んでしまった。
 慌てて電車に。
 クライネシャイデックからラウターブルンネンまでは一本の登山電車で降り、後はケーブルカー〜FLM鉄道と乗り継いで、やっとホテル“アイガー”に帰り着いたのは20:30頃であった。変な“うどん”を食って日本食が恋しくなって来たようで、誰言うとなく、今夜は“ごはん”“うどん”など日本食を持ち寄って、原田氏の部屋で日本食パーテイ―で盛り上った。
 それ程多くはないが、私の海外旅行の体験では今迄“日本食”が恋しいというような事は一度たりとも無かったが、今回のスイスに限っては私の口に合わない、やはりニギリメシは美味かった。

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