●タニコメ旅日記●
エベレスト街道を行く 3月17日(5日日)

―― シャンボチェ(SYANGBOCHE) ――

3790mへ
   ※※  夜明けの大パノラマ
 5:15′起きでナムチェバザールの裏山という感じのビュースポットへ登った。 所々昨日の雪が残った急な石段を息を切らしながら、登り切った禿山状の丘に(軍の訓練施設らしい)出ると『アッと!驚く光景』が展開されていた。 残月が中空に残る空に、ようやく夜明けを迎えた真っ白なピークが拡がっている。
 コンデ・リ(6187m)から右へタンギリ――ク−ンビラ(5761m)――タウツエ(6542m)――ヌプツエ(7879m)――エベレスト(8848m)――ローツエ(8516m)――アマ・ダブラム(6812m)――タムセルク(6618m)と並ぶ壮観な大パノラマに息をのんだ。              
 しかし、エベレストは未だ遥かな存在だ。 現実には湾曲したスクリーンみたいに、こんなに並んでいる訳ではないが太陽光が無い早朝では一面が“白”の世界だから遠近感が乏しい。 アマ・ダブラムやタムセルクと、エベレストの水平距離はまだ2倍以上もあるのだ。
ナムチェからエベレスト(中央)を望む。 右ローツエ

                
 6:20は未だ一面“白”の世界だ。 6:30近く、真東のタンギリに朝日が射し始め次第に赤味をおびてきた。              アマ・ダブラムやタムセルクは丁度背中に陽を受けて全くの逆光の中だ。 エベレストは、やや薄もやの中。 モルゲンロートに輝く、という時間ではなかったが日の出に間に合って良かった。                           後一時間も頑張れば一層赤くなったピークが見られるかも「?」と心を残しながらだったが、丘を下った。
陽のあたるタンギリを バックに雪原の二人。 ナムチェバザールの丘にて

               
   此処迄登ってきて、初めて見えた壮大な姿であった。 山はこれからまだまだ大きくなるノダ!。先の行程が待っている。

              ※   黙って見過ごせる性格ではナイ
早朝の運動をしてからの朝食は今朝もお粥。 梅干と「御飯ですよ!」みたいなやつで戴いた。 続いて出たパンケーキ・卵焼きは油を警戒して止めた。
ちょっとだけ皆でバザールへ。 私は特に欲しいものは無いが・・・。 我が明子さんは早速ドイツベーカリーのクッキーと息子達への土産を買ったようだ。 見ていて黙って見過ごせる性格では無い。
※   加藤さんが山を降りる
下痢と嘔吐で大分消耗していて、これ以上行動を共に出来ない状態らしい。 来る前からあまり体調は優れなかったらしいが、様子を聞けば高山病だ。 当面モンジョ(2820m)迄降りて静養する、回復したなら何処かで再度合流できるかもしれないとの事だったが・・・。 山も見ないで、残念だろう。
br> ※※  登り一辺倒のシャンボチェ迄のルート
  10:00にナムチェバザールを出発。  今日は高度差でも350mほどを登るだけだし、2時間もあれば登れるというからタカをくくって出かけたものだ。  天気は良いし、快適な条件だ。  昨日夕方ちょっと気懸かりだった明子サンの気分も只疲れただけだったようで今朝は復活しているようだ。  嬉しいことに二人とも今のところ高山病の気配は無いようだ。  私の下痢は悩みの種だけれど、この山に居る間は“付きもの”のようだ、税金みたいなものだと諦めて付き合おう。  ナムチェバザールの朝方は随分冷えたようだ、気温はかなりのマイナスになっただろう、湿った地面はバリバリの氷だった。
    取り付きのイキナリから石垣のような所を登るハメになり、我が明子さんは早くも『ソナム プリーズ』で手を引いてもらっていた。  急坂の道の左側(ナムチェ側)は背丈ほどの低木がマバラに生え、右側はヒザにも足りないような潅木が生えた急斜面だ。  距離は大した事は無いというが、登り一辺倒の道というのは息抜きできないから疲れる。  3440mのナムチェから3790mのシャンボチェまで一気に高度を稼いだから後半は結構息切れした。  ソナムやパサンはネパール民謡の「レッサンピーリーリー」を歌いながら、懸命に明子さんを励ましてくれた。  12:00ごろようやく頂上に着いた。  今夜の宿SYANGBOCHE PANORAMA HOTELだ。  名が示すとうり山を見るには絶好のロケーシヨンには違いないが、吹き曝しの乾き切った台地の上は人が住むには余りにも厳しい条件のようだった。  ナムチェバザールの標高や地形では一応パイプで繋がった水があったが、ここには無い、どうやって水を確保しているのだろう。  燃料にする薪も無い。  特にこの台地の厳しさは、裏庭から覗き込んで見る切り立った崖を見れば一目瞭然だ。  深い谷底は何処にあるのかは定かではないが、実に「恐ろしいモノを見る」感覚であった。  

 ※  努力はウソをつかない  
  ここは3790m、富士山より高いところまで来たのだ。  目の前にはクーンブヒマールの山々がまさにパノラマに見える。  此処まで近付いて見るスケールは相当に違う、朝方ナムチェの3500m辺りから見たパノラマも素晴らしかったが、この3800m近い高みからかでは一層大きなピークを見せている。  タムセルクの全容が見えて圧巻だ。  
  奥地へ入れば入る程、高くへ登れば登るほど、登山者には汗と苦痛の代償としてより大きな配当をくれるようだ。  但し、この季節では毎日のようだが、10時を過ぎれば雲が湧いてきて全てのピークがスッキリと見えないのは残念!。  明朝に期待しよう。
  とにかく自分の脚で日本には無い高みまで登ってきた。  歩みはノロかったけれど、二人とも今の所頭痛や食欲不振というような高山病特有の症状は見られないのは上等だろう。  足速やの人達とは離れ離れになってしまうが、おれ達はおれ達のトレッキングを楽しみに来たのだから放っといてもらおうか。

 ※  シャンボチェ パノラマ ホテル(Syangboche 3790)
  そう名乗るだけあって、人の気配のない丘の上にポツンと建っているが、ク−ンブ山系が眼の前に迫るように展開されるロケーションは抜群だった。  昨日までのロッジ(山小屋−カルカ)と違ってシャワー設備もトイレも付いている、部屋には電気ストーブもある。  シャワーは使う積りはないが、一応チェックしてみたら、何と!水も何もなかった。  そもそも水源がありそうな地形では無い。  トイレだって一応水洗の設備にはなっているが、流れる水はない。  これも昨日までと同じで拭いた紙は横のバケツに入れる。 便器内は隣のバケツに溜めてある水を手しゃくで汲んで流すだけだった。
  それにしても、供給する水も無いのに何故シャワー設備や水洗型のトイレ設備にしているのだろう、別段格好つけなくても良いのに。  ベッドには掛け毛布も掛かっているが、こんな物だけでは寒くて寝られないだろう。  結局毎日の寝袋に入って寝るのが一番安心のようだ。  
  昼食はオムレツに/ポテトフライ/ナスの油いため/魚のオイルサーディン/キウリやトマトのサラダ/フルーツはパイ缶だった。  山へ入るなりイキナリ下痢にやられているので警戒してオムレツとパイ缶だけ戴いた。  「ナマ」と「油」は止めよう。  但し、疲労回復、高山病予防だと言う事で最初に戴く「にんにくスープ」だけは、一寸怖いけれど、戴かざるをえない空気だ。  登りでは一寸高度を感じたたが、この高さでウロウロしている限りでは別段の症状は出ないようだ。  今日PMは高度馴化のためこの辺りでゆっくりすることになっている。

※   天気の良い午後のひととき
天気の良い午後2時、明子さんはやっと念願のスケッチに庭へ出て行った。 何時のトレッキングでも一寸時間を見つけては書いているが、今回は今日始めてそのチャンスに恵まれた訳だ。 気分の余裕が出来たのかも知れない。
私は部屋の中で電気ストーブに当たっているのだけれど、何だかやたら寒い。 「小人閑居して何とやら」、要するにヒマな時間の繰り言。 3月14日にカトマンズで風呂に入ったきり風呂もシャワーも浴びていない。 勿論アルコール類もその日以来絶っている。 トイレもウオシュレットみたいな文明の利器は無い。 歯を磨いてクチュクチュする水もない、ミネラルウオーターでやるが吐き出す場所もない。 “ひげ“も伸び放題。
朝一にシェルパが持ってきてくれる洗面器一杯の湯だけが一日に使える水の全てだから、流石に手も垢じみてドス黒くガサガサになって来た。 顔の形なんかも現地の人と似ているから、その内にシェルパの人達に同化するのだろう。 風呂に入れるのは順調なら3月22日にカトマンズに帰ってからだろうが、それもルクラから飛行機が飛べば・・・の話だ。 何で、こんなアホなことやってんのやろ「!」「?」。
同行の加藤さんは高山病にやられて今朝取り敢えずモンジョまで降りて行った、そこからでも再出発できればよいが・・・。 明日は一旦3250mのプンキテンガまで下った後、河を渡って高度差600m程登りなおして3867mのタンボチェに達する予定だ。 二人とも高山病にはなっていないけれど、次第に疲れもたまって来ている。 ましてや大きく下って大きく登るというのは結構難儀な行程になる。 ビスターリビスターリで行こう。

※  宮原さんのホテル エベレストビューでコーヒーブレーク
この一寸奥には、長野県出身の宮原氏が建てたホテル“エベレスト ビュー”があるので散歩がてら行ってコーヒーブレーク。  同氏は貧しいネパールの観光開発に何等かの寄与をしようとして当時の王室に提案、周りの景観を壊さない配慮を条件に建てたといわれるホテルはこんもりした森の中で静かな佇まいを見せていた。  因みに、何時か見た新聞記事では、建設費もエベレストに因んで8848万円に決めたというエピソードも紹介されていた。
最早この時間帯では雲が出てエベレストは見えないが、3880mの窓際で熱いコーヒーを飲みながら談笑している時、何故か突然に脳裏に浮かんだ苦い思い出があった。  2008年の夏の日、突然発症した腰部脊椎管狭窄症、200mの歩行すら必死であった時から、よくぞここまで回復したものだという思いが湧いてきて感慨も一入であった。  
  ホテルを出ると急に寒くなっていて厚手の防寒衣でも、寒い−ッと感じながら、今日も又雪になった中を宿に帰りついた。  夕方には雪は止んだが、ガスが出て、楽しみにしていた夕焼けのピークも見られなかった。

※   貴子さんも
気圧のせいで顔はムーンフェイスになったし、食欲が無いといってお湯ばかり飲んで辛らそうにしていた。 年に2〜3回はこのコースに来るという彼女でもかぁ・・・。

※   とにかく下痢に注意
私は、とにかく下痢対策だ。 夕食は米飯と/しいたけ、たけのこなどの煮物/コロッケ/ナスの油いため/タマネギの天ぷら、などコック長はいろいろ工夫してくれて有り難いのだけれど、申し訳ないが米飯と煮物と味噌汁だけにした。

※   流石に暑くて
大分標高も高いし、せっかく掛け毛布もあるのだから今夜は寝袋の上に毛布を掛けて寝よう。 この奥地でホテル泊なんだからと、欲をかいてみたものの・・・。 流石に、夜中に熱くなって毛布を剥がした。 それにしても湯タンポの威力は大変なものだ、朝まで暖かく寝られるのは本当に有り難い。

※   遂に我が明子さんも弱音を吐いて
昨日までは割合元気なように見えたのだけれど、明け方近くに弱音を吐いた。 『私はもう、ここ迄にしようかと思うの』 『言ってなかったけれど、ここへ来てからずっと頭が痛かったし、食欲も無いし!』 『昨夜は、息苦しくて寝られなかったし、これ以上ちょっと無理かと思うの・・・』
遂に来るべきものが来たか「?」。 それにしては身のこなしはそんなに悪くなかったけどなぁ「!」。 一瞬私も落込みそうになったが、昼間考えていた本日の行程を思い出して話して聞かせたのだった。 『今日は一旦この丘を下る、最終的には3250mのプンキテンガまで下るから高山病の回復には丁度良い条件や!』 『とにかく下ってみて、体調を見て決断したら「!?」』。 場合によってはサナサかクムジュンに留まることも出来るだろう。 『そうね、そうするヮ』 そんな段取りにしての、危うい出発であった。

※   旅の安全を祈って「カタ」を
 今日はかなりハードな行程、朝の出掛けに、旅の安全を祈って一人一人の首に「カタ」という布を掛けてくれた。  マフラー状の淡い黄色の布。  旅の無事を祈って旅人の首に掛ける、シェルパ族の習慣のようだ。

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