●タニコメ旅日記● |
――タンボチェ(TYANGBOCHE 3867m)へ―― ※※ シャンボチェの朝 5:45AM薄明かりの中に山の輪郭が見えはじめた。 ものすごく「冷たい迫力だ」。 2Fの部屋の窓から正面にタンギリが、すぐ右にクンビラが。 右側の窓には「母の首飾り」といわれるアマ・ダブラムの特徴ある姿が薄明かりに浮かんでいるようだ。 『スゴーィ!!』。 明子さんも感動の声をあげた。 間もなく夜明けだ。 今朝方、快便があった、どうにか固まってきたようでホッとするが、今後も要注意だ。 ※ 大事なところで電池切れ 一寸した高台に登って間もなく迎える日の出を待とう。 6:30ごろ太陽が動き始めたようだ、刻々と変わる壮大なパノラマに感嘆の声を上げた。 まさに夢をみているような瞬間だ。 アマ・ダブラムが逆光を浴びてムラサキ色に映り、ローツェも、エベレストの稜線も雪煙を上げている。 ![]() 朝の時間帯はヌプツエ(7879)/エベレスト(8848)/ローツエ(8501)/アマ・ダブラム(6814)/タムセルク(6618)の並びは、ここからでは全て逆光なのが幾分残念だ。 ![]() 振り返ればコンデ・リ(6187)もタンギリやクンビラ(5761)も陽の光に輝いており、陽が昇るにつれて輝度を増している。 昨日の朝ナムチェの裏山から眺めたピークと同じ光景を見ているのだけれど、一歩高みに来た分山の大きさが違うというのか、臨場感みたいなものが一層増したように思いながらシャッターを押していたが・・・。 今からが一番金色に輝く時間帯だという大事な時に電池切れ!。 エエッ!もう「?」、まだそんなに撮ってないのに「!」。 『気温が低いから起電力が低下しているんやで!』 という田中さんの言葉に納得、その後はカバーにホッカイロを貼り付けた。 ![]() ※ 金毘羅さん 因みに日本の金毘羅さんというのは、“聖なる山クーンビラ(5761)”から来たものだとの説がある。 現地では皆、「クンビラ」と呼んで親しげだった。 何となく語呂が似ているからそうかも知れないが、本当のところは判らない。 ※※ タンボチェを目指して 3790mのシャンボチェから一旦ドウド・コシの川辺プンキテンガ3250mまで下り、河を渡ってから標高差600mを登りなおしてタンボチェ3867mに到る。 なかなかのハードな行程だ。 ![]() 8:00シャンボチェを出発、昨日の午後コーヒーブレークしたエベレストビュー脇から一寸した林の中を下りに入る。 一気に下ってクムジュンの村に着いた、結構多くの建物があり、大きな村だ。 最初の村まではアッという間に着いたし、此処も谷間だからやがてドウド・コシも見えてくるのではないか?、やはり下りは楽ちんだ!。 なーんて!錯覚していたが、実はその後に「そうは問屋が卸さない」という程の長い下りが待っていた。 ![]() ゴーキョ分岐で休憩、Gokyoへの左上向きの矢印がある、私達は右向きのTengbocyeを目指す。 9:10サナサ(SANASA)で休憩。 『パサン!パニー』。 間もなくアマ・ダブラムが少し輝いてきた。 ※ もの凄い土ホコリ ヤクの群が大きな荷物を載せて、ホコリを巻き上げながら急坂を降りてくる。 もの凄いホコリだ。 ヤクばかりが悪者ではない、人間が歩いてもパッ!パッ!とホコリが上がるのだ。 どうやら、この山は“ホコリの原料みたいな細かい土と岩”で出来ているようだ。 ゾッキョやヤク追い達は皆バンダナで顔を覆って防衛しているし、明子さんや一行の中にもマスクをしている人もいるが、私はメガネが曇るからそれも出来ない。 この山に入って四日目にもなるのに、花粉症みたいな鼻詰まりは一向に治らない。 このホコリの中には杉花粉と同じような大きさの粒子が混ざっているのかも知れない。 何度も鼻をかむが、其の都度血の混じった黒っぽい塊が出てくるのは多分このホコリのせいだろう。 ※ “ヤク” 低標高の一大輸送手段はゾッキョだったが、高標高の主力は“ヤク”だ。 ゾッキョなんかと比べて随分大型で、がっしりした立派な体躯だ。 半分巻き気味の立派な角を持ち、膝上は巻きスカートみたいに長い体毛で覆われていて、なかなか威厳のある風体だ。 おまけに、大した力持ちと来ているから大変なものだ。 彼等「?」は大きな荷物を担いで隊列を組み、一歩踏み外したら千尋の谷底へ転げ落ちそうな、急で危うい岩道を苦も無く昇り降りしている。 こんな隊列に出会う時私達は、万が一にも荷物に接触して崖を転げ落ちたりしないよう「山側」に退避してやり過ごすのであった。 ※ 明子サンが甦った! アマ・ダブラムもタムセルクもドンドン近付いてくる(ように感じた)、やはり苦痛を味わうだけの値打ちはある。 今朝方、シャンボチェ辺りに滞在して『先へ行くのは諦めようかしら』と弱気に傾いていた我が明子サンだった。 サナサ辺りまで降りてきた頃は大分気分も良くなってきたようだ。 『どうだ、大丈夫か?』と私。 『行く!!』と明子。 此処がどれだけの標高か知らないが、シャンボチェからでは500m前後は降りてきただろう。 その効果かどうかも判らないけれど、とにかく気力だけでも回復したのだから良かったよかった。 後は差当たりタンボチェまで登ることが出来れば、ホボ目的を達することになるのだから・・・。 ビスターレビスターレで最後までガンバロウ!。 『パサン!パニー』の回数も増やそう、とにかく昼間に出来る高山病の予防は水を飲む事とユックリ歩くことだけだ。 10:00大分谷底まで降りてきた。 ここ迄来ると周りは立派な樹林帯だ、だけど200〜300m上は岩山やハゲ山だ。 ※ プンキテンガ(Phunki Teng 3250m) 11:00、ようやく下りも終わり3250mのプンキテンガに到着。 地図の上ではともかく、私の眼には川辺に一軒のバッテイ−があるだけのように見えた。 再び戻ってきたドウド・コシは川幅こそ狭くなっていたがミルキーブルーの豊かな水が激流となっていた。 下手には今から登りながら見下ろす形になるイムジャ・コーラとの合流が見えている。 クムジュンから此処までの九十九折れの坂道は、今来る時は下りオンリーだったから、酷いホコリ以外はそれ程苦労は無かったが、結構急坂だから帰りのことを考えると一寸気が重い。 此処で昼食、このチームの喰う量は日に日に減っているから、コック長は苦心して作ってくれるが・・・。 ツナサンド/ポテトフライ/キューリ/インゲンのマヨ和え/ソーセージ ポテトフライは油を警戒して止めた。 ※ 貴子さんもやられた 11:00、いよいよ午後の部タンボチェへの登りにかかった。 洪水で流されてしまった吊り橋の残骸を見ながら、木製の仮橋を渡るとすぐに道は緩やかな登りになった。 恐ろしく急峻な山には最早高木はまばら。 せいぜい膝丈位の、草とも木とも判らないものが生えている岩山に刻み付けられた道はダラダラと続く長い道だった。 遂に貴子さんも下痢らしい。 昼食も抜いてお湯ばかり飲んでいると話していたが、この登りは辛そうだった。 何度来ていてもやはりヤラレルのだ。 後半屈曲点みたいに道が勾配を変えたあたりからはシンドイ道になった。 とにかく600m余を登り返さなければならないのだから、何時までもダラダラでは無いとは頭の中では解っているのだが、現実は厳しい。 道幅が1mも無いような個所あり、岩場状のところがありで、明子さんは其の都度“ソナム”に手を引かれての歩みであった。 それでも脚は鈍る 、休みは多くなる。 ※ ようやく門に着いたが・・・ 苦しみながらだったが、思ったよりも早く13:40頃に頂上に着いた。 3867mの頂上はダダッ広く、ヤクの放牧場みたいな広場を囲んで左手に大きな僧院があった。 上には着いたもののロッジの位置が判らず暫しウロウロ、部屋に入ったのは14時ごろであった。 今日も又粉雪が降り始めた。 ※ 屋根の下で寝られるだけ有り難い 流石に此処まで登って来ると住環境は厳しくなる。 私達の部屋は1FのNo−6、2畳ばかりの部屋だった。 おまけに片側の壁はブルーシートのようなもので補修してあるが、多分風は通るのだろう。 トイレは別棟の小屋に“枯れ松葉式”と“洋式手しゃく流し方式”が夫々二個あったから不都合は無かったが、最近“小”が近くなった私は、夜中にヘッドランプを着けてバリバリに凍った中庭を何度も通うのは難儀なことであった。 それでもこのロッジは結構混み合っているようで、偶々一般の食堂へミネラルウオーターを買いに行ったら、白人らしい集団で一杯であった。 ※ 明子さんは疲れた よう頑張った明子さんであったが、ロッジについたらもうグロッキー。 寒いしシンドイしで窮屈なベッドに横になっている。 今のところ強い頭痛などは無いようだから高山病には罹っていないようで有り難いことだ。 今朝方の事もあるから気にはなるが、当初から目指していた3867mのタンボチェまで登ってこられた事で二人とも満足な気分に浸っていた。 ※ 僧院を訪問 夕方僧院を見学。 私はあまり興味は無いが、16世紀の建物だという。 よくもマアこんな高い所に建てたもんだ、僧院の歴史よりもそちらの方に感心する。 日本でも永平寺なんかは厳寒の地にあるように、厳しい修行を目指したんだろうな。 毎年年祭が行われ、仮面の踊りなど随分賑やかなんだそうだ。 そんなお参り客の需要もあるからか、何軒かのロッジがかたまって建っている。 ロッジに帰る頃には雪は結構激しくなり、山も見えないから夕食までは休養。 明子さんは連日の疲れで、寝袋に入った途端にイビキをかいていた。 そりゃぁそうだろう、嘗てミルフォードトラックの54kmを歩き切ったり、カナデイアンロッキーでの連日7日間60〜70kmなど、結構ハードなトレッキングも経験しているが、最高でも標高は2600mだった。 単なる高さだけなら、電車で登ったユングフラウヨッホの3474m位なものだ。 2年ほど前木曽駒のカール2600mのホテルで高山病らしい症状が出たが、この時はビールやワインを飲んでいた。 今回のエベレスト街道で初めて「高山病」の心配をする標高に達したのだから多少そんな気配があっても不思議ではない。 私にしても同じようなもので国内の3000mの経験だけだから、やはり今回は大いに心配はしていたのだ。 ※ 菊地夫人もやられた 「嘔吐」と「下痢」の両方らしいが、特に「下」が悪いとのことだ、完全な高山病の症状だ。 タンボチェに着いた途端寝込んでしまったとのことで、勿論夕食もパス。 そういえば、登りの途中で“お花つみ”をしていたようだから、長い時間苦痛に耐えていたのだろう。 ※ クチュクチュゴックン 歯磨きのクチュクチュの水を吐き出す場所も無いと困っていると言うのもアホな話や!。 なまじっかチューブを使うから困るんや!。 水だけで磨いて、クチュクチュゴックンとやればイインダ。 こんな簡単な事に気がついて、やっと一つ新発見。 こんな簡単な事に気付くのに何日かかっているんや「!」。 アホやないか「?」。 ※ サバイバル能力の無さに愕然 それにしても、日本人というのか、おれ達文明人というのか判らないが、サバイバル能力の無さよ!。 ミネラルウオーター以外の水は飲めない。 それでも下痢になる、ナマものが悪いのか、油が悪いのか、果ては洗った包丁に付いている水が悪いのでは「?」なんて疑う。 ミルク紅茶も飲めないから、ストレートの紅茶を飲む、ミルクは脂肪が多いと思う。 トイレの足元が汚いのに怯む。 トイレの紙を横へとっておくのに違和感がある、何を言ってるのだ、テメヱのケッ拭いたものではないか。 そんな手を洗わないでメシを喰うと不衛生と思う。 一週間余りも風呂に入らなかったら気持わるくなる。 ヤクの糞を手ずかみでストーブに入れたら不衛生。 ちょっと疲れたら参ってしまう。 我々は手ぶらでも疲れる、彼等は荷物を担いでも平気。 などなど。 現地の彼等はどうなんだ!。 道端に湧き出ている水を平気で飲んで、それがどうかしたか「?」という顔。 風呂なんか入らなくても死ぬことはない。 何をくっても“はら痛”なんかにはならない。 何より、一日二食だという、これは大きい、持久力に関わる事だ。 とにかく、我々が必要とする何をも必要としないで活き活きと生きているのだ。 平均寿命が多少短い位の違いで・・・。 日本人も昔はそうだったのかも知れないが、現代の私達(多分オレだけではない)の環境適応能力の無さに愕然とする思いだ。 まるで無菌室育ちみたいなもんだ、まるで絶滅危惧種だ、これでは一番先に死滅するぞ! やはり偶には雑菌入りの食い物も食うべし・・ヤナ!。 |
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