●タニコメ旅日記●
エベレスト街道を行く 3月19日(7日日)


 ―― ついに4000mを越える日――

 ※※  タンボチェの朝
 流石に夜半は冷えた。 このトレッキングに入って、寝袋と湯タンポの睡眠で寒いと思ったことは一度も無かったが、今朝方3時ごろからは一寸寒さを感じた。  3時半ごろ、トイレの小屋内のポリ容器の水にも氷は張っていた。  其の頃外は星空に煌煌たる月明かりであったから朝方の最低気温はかなりなマイナスにはなっていただろう。

  
タンボチェ(3867m) の朝。

              ※坂本先生ありがとう
快便が出た。 山に入った最初の夜(3/15)、パクデインで早くも坂本先生の下痢止め4点セットの出番が来た。 翌朝には固まったが、この夜から3回4点セットを飲みダメ押し(3/16)。 その後ナムチェ(3/16)、シャンボチェ(3/17)では胃、腸の2種類と漢方薬の“だらにすけ”で過ごして来た。 そして今朝方タンボチェ(3/18)での快便だった。 坂本先生ありがとう!。 目下のところ上手く行ってるようです!。
こんな事で調子良く行くものと思っていたのに、下りに入った3月20日の午前中、ナムチェまで下った辺りで又もやヤラレて4点セットの再登場となった。 その日から翌3/21にかけて4点セットに頼り切りになったのであった。 とにかく油断がならないのです。

※※   いよいよクライマックスのパンボチェ(Pangboche)へ
5:30起床、昨日の積雪が多くなければパンボチェまで登る。 4000mを目指す、このトレッキングのクライマックスになる日だ。 その後の予定も変更になった。 ここタンボチェにもう一泊するという当初の予定を変更して、パンボチェから一旦ここまで戻った後、一気に3500m辺りのキャンジュマまで降ることになった、明日予定の行程が余りにも長すぎるのを避けるためだ。

※   菊地氏が下痢でリタイヤ
昨夜は夫人が倒れて看病していたようだが、今度は菊地氏が高山病らしい。 看病疲れという事でもないだろうが、パンボチェへの登高を諦めてここに留まるという事だ。 代わって、回復した夫人がパンボチェまで登ることになった、判らないもんだ。 遂に6+1人まで減ってしまったが・・・。 「貴子さん」はお湯ばかり飲んでいたが、回復したようで良かった。

※    苦しい呼吸で感じる標高
昨日の積雪が残るシャクナゲ林の斜面を下って行く。 雪で滑って危なっかしい明子さんはサーダーに手を引かれてやや大胆に快調なリズムで降って行った。 それ程深くはないけれど、一旦谷間まで下った道はダラダラと川を遡上してからドウド・コシの支流であるイムジャ・コーラ(支流)を渡ったあたりから登りになる。
今は水枯れで廻っていない、水車式のマ二車の小屋を右に見ながら、始めは林の中の緩斜面だ。 やがて急斜面を横切る道に入る。 恐ろしく切り立った斜面は相変わらず膝丈も無いような潅木が疎らに生えただけの岩場だ。 この時は気付かなかったのだけれど、帰りに見るとこの急斜面にもヤクが放牧「?」されていて、乏しい草を食っているようだった。
やがて道もゴツゴツした急な岩道になる頃から大分呼吸が苦しくなってきた。 大分登ってきたから、恐らく3900m辺りではないかな「?」。 間もなく部落の入り口を示すらしい門が見えてきた。 『パンボチェやー!』。 『とうとう来たぞ!』。 この頃には我が明子さんはもう「意識朦朧」状態で、無意識のまま脚が少しずつ前へ動いているという感じであったが・・・。 パンボチェの村が見えてからは俄かに元気を取り戻した様子であった。

※   パンボチェ(Pangboche 3985m)、そしてやっと到達       したのは4100m地点であった
ここは人が常住する最後の村だ。 これより上には放牧の季節に使う見張り小屋しか無かったそうだが、最近は新たにトレッカー向けのロッジも出来ているらしい。 ようやく着いたのかと、ホッとしかけたが実は私達の到達点はもうちょっと上にあった。 村を抜け、少し登った丘の石囲いのある所に到達、9:30分であった。 ガイドのクリシュナ−の説明では4100m位。 ここが今回のトレッキングで私達が到達した最高標高地点だ!。 眼の前には一面の白い壁が立ちはだかっている。 『よう頑張った!えらかった!』。  『有難う!アナタ!』。  手を取り合いながら交わした二人の声は思わず涙声に震えていた。
この時 谷 幸一  71歳と1ヶ月。   谷 明子  66歳と6ヶ月。
私たちが登った 一番高いところ (4100m)にて。 エベレストは雲の下。 09・3・19 AM9:30

             
※    明子サンはバクか「?」
明子サンは、夢を食う動物と言われるバクか「!?」。 大したトレーニングもせずに、只ただ“行きたい!”“見たい!”という願望だけでとうとう此処まで登ってきた、立派なもんだ。 やはり「思えば叶う」ということだろうな!。
ワタシとうとう来たヮ。 こんな高いところへ! パンボチェ4100mにて 09・3・19 AM9:30

                               

※   暫し感激に浸って
ルクラで軽飛行機を降りた日から今日まで五日間、急な登りに喘ぎながらの毎日であったが、とにかく我が脚でここ迄登ってきた、今折り返し点まで来たことで二人の心は感動と満足感で一杯であった。 また一歩近づいたことで一層迫力を増したヌプツエ、エベレスト、ローツエ、アマ・ダブラム、タムセルクなど。 暫く眺めながら感激に浸った。 エベレストの稜線には雪煙が上がっている。 ローツエには少し雲が懸かってきた。 アマ・ダブラムは今も逆光で暗い。 この時間になれば山は色々な条件で多少輪郭がボヤケて朝一番のような切れ味鋭い透明感は無くなったが、それは無理というものだろう。
8+1人でスタートしたチームも、ここ迄来たのは6+1人に減ったが皆で記念写真を写して、この場を後にした。 パンボチェの部落で熱い紅茶を戴いて気分も新たにし、今日のこれからの長い行程に移ったのは10:00だった。

※加藤氏の動静がわかった
3月17日にナムチェバザール(3440m)から一旦モンジョ(2835m)まで降りて一時は回復の気配であったが、再度悪化。 一気にルクラ((2804m)まで降りるとの事、ルクラには病院もあるので幾分安心ではある。

※※   今日はこれからの行程が長い
当初の計画では今日はタンボチェにもう一泊し、明日一気にモンジョへ降りることになっていたが、ナムチェの急坂を下ることを考慮すると余りにも長い。 今日中に取り敢えず3500辺りのキャンジュマ(Kenjoma)まで降っておくのが良かろうということで予定を変更。 しかし、そうなれば今日の行程が長くなるノダ。 パンボチェ往復のアップダウンと昨日見たプンキテンガからの登りがある点を考えると今日は結構ハードな一日になる。

※   取り敢えず今朝来た道をタンボチェまで
イムジャ・コーラまでの降りは、思い描いていた所まで行けた満足感もあり気分も良いから気楽に下って行った。 谷底みたいなダラダラした下りを過ぎて、いよいよシャクナゲ林の登りになると途端に明子さんは息も上がり、足も重くなった。 ソナムに励まされながらやっとの思いで、大分遅れてタンボチェのロッジに帰りついた。 食欲も無く、昼食はパス。私もホットジュースとヌードルスープだけ戴いてメインディッシュは食べられなかった。 皆バテ気味のようで、しっかり食べていたのは二人ばかりだったように見えた。

※   やはりシンドかったプンキテンガからの登り
朝からのアップダウンで疲労はたまっているが、午後の部は差当たりプンキテンガまでは下りだ。 昨日喘いだ長い坂も何という事もなく再びドウド・コシのほとり、プンキテンガまで降りてきた。 何だかだ言っても下りは楽だ。 問題はここからの九十九折れの登りだった。 昨日私達がこの坂を下ってくる時に、逆行して登ってくる人達の様子を見ていて「大分シンドそうやな!」と思っていた。 今自分達がその坂を登っているのだ。 坂を登るシンドさに加えて、舞い上がる土ホコリに耐えながら・・・。

※   明子さんはバテバテ
午後は毎日のように降る粉雪の中、3:40頃キャンジュマのロッジに着いた。 明子さんはバテバテ。 部屋に入った途端、『夕食は要らん!』といって寝てしまった。

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