●タニコメ旅日記●
エベレスト街道を行く 3月22日(10日日)

―― カトマンズへ帰る日 ――
 ※※   ルクラ空港からスリル万点の離陸
 3月15日、初めてこの滑走路に着陸した時には、登り坂で制動距離を短くするという理屈は理解していたが、それ程の実感はなかった。  離陸時は、その急坂を走り下って行く事で助走距離を稼ぐのだから迫力がある。  眼の前に見える谷間の向こうの山に向かって滑り落ちて行く感じだ。  離陸に失敗すれば谷底へまッ逆さま!。  結構「ビビル」発進であった。
  18人乗りのイエテイ−航空 フライトNo−2は、まるでマンガに描いた“急発進の図”のように、堅くブレーキを利かしたままスロットル全開、エンジン(プロペラ)がフル回転になるや、堅く踏んでいたブレーキを一気に開放、 機は一気に急坂を駆け下って行った。  一瞬、エレベーターが急降下する時のような浮遊感を感じると、ふわッと浮いて離陸した。  前の山がぐんぐん迫って来る中での、スリル溢れる一瞬であった。  離陸した時には、機内にマバラながら拍手がわいた。
  こんな小型機でもフライトアテンダントは乗っている。  仕事は、耳栓用のワタとあめ玉を配るだけのようだったが・・・。  

※    飛べる時が定刻
  有視界飛行のこのイエテイーは、その時の気象にによって飛ぶか否かが決まるからオチオチしていられない。  一応予定では7:15分発となっている。  便利なことに、このロッジでチェックインも出来てボーデイングパスももらった。  時間もあるので、ゆっくりと朝の「大」をやっていたら、明子が『早く早く!、飛ぶことが決まったらしいよ!』と急かせに来た。  オイオイ!ちょっと待ってくれよ!。  慌てふためいて飛び出したが、表には既に全員揃っていて、記念撮影の準備も完了しているではないか!。  昨夜別れた現地の皆も来てくれている。
 
スタッフ達とも お別れ。 私の隣がサーダーのテンバ・シェルパ。 ルクラにて。 09・3・22
  ここでも、サーダーから一人一人の首に、「カタ」を掛けてもらって、慌てふためいて空港へ駆けつけたのだった。  今日はカトマンズも気象が良いとのことで、次々に小型機が着陸し、その度にフライトナンバーが呼ばれる。  オッちゃんの「ナンバーツー、ナンバーツー」という、たったこれだけの呼び込みにバタバタと乗り込んだ。  
  飛べる時には一気に飛ぶようで、何でも2分間隔で離発着しているのだそうだ。  “飛べる条件が揃った時が定刻”ということだ。  じっくりトイレにも入って居られずに慌しく飛び出したのであったが、事ほど左様に、この一時が大事なフライトであるのだ。  この時を逃したら、次の保証はない。  カトマンズかルクラどちらかにガスが出たりすると、一回も飛ばない日も多々あるようだ。  飛ぶ日もあれば、飛べない日もある、お天気次第だからそれが普通サ!、と云ったところみたいだ。                 
 
さようなら! 最後の朝コンデリに見送られて 09・3・22 ルクラ空港付近から

※  早やすぎてホテルにチェックイン出来ず
  8:00カトマンズ空港に無事着陸。  僅か40分ほどのフライトで久し振りの平地(1350m)に降りてきた。  
 9:00には早やソルテイ クラウンプラザホテルに着いたが、今日の段取りが余りトントン拍子に運びすぎてホテルにチェックイン出来ず、暫しロビーで待機。

※    加藤氏と再会
  先に下山してこのホテルで静養していた加藤氏と再会。  大分痩せた感じだ。  今も未だ食事は出来ず、生理食塩水を飲むだけの生活をしているとの事だった。  
 別れた後の話を聞くと、モンジョ(2835m)まで降りて一旦は好転するも、すぐ又悪化、ここに二日滞在して下山を決意。 固形物は全く受け付けず下痢と嘔吐の繰り返しであった。  ルクラまでの下山は“背負いカゴ”に担がれて降りたのだそうだが、病人とは云え随分苦痛であったようだ。  ルクラの病院へは行ったものの結局はカトマンズへの下山を決意した。  しかし飛行機が飛ばず、ルクラで二日間待機させられている間下痢と嘔吐だけでなく、ノドの乾きや寒さに苦しみ抜いたようだった。  
 下山を決意した判断は正しかったのだろうが、改めて山間僻地からの退避の難しさを思い知らされた。  

※    八日振りの風呂
  只今3月22日(日)の10:30AM。  八日ぶりの風呂に入ってスッキリした気分だが、目的達成の後の放心状態みたいで、今は何をする気も起こらない。  何となく、流れるにまかせる時を過ごしている。
 “爪のうら”まで真っ黒になった身体、八日分積もった垢だから一回の風呂で全ては綺麗にはならないようで、湿ったタオルで触ると耳の中なんかから未だ変な色が着いてくる。  まあ良かろう。
 さっきからも気がついていたのだけれど、ルクラから降りて来た山の格好のまま都会のホテルに入ったら、如何にも薄汚さが目立つが一向に気にならないのだ。  出かける日、自宅で剃って以来伸び放題のヒゲもあまり紳士の面ではない。  ただ、こんなキタナイ旅というのも案外気楽で良いものだ。

※    酒飲んだら治った
 昨日は、少なくとも午前中は下痢に苦しんでいた。  それがどうだ!。  夕食で、お別れパーテイ−で一週間振りにビールを飲んだら、ピターっと治った(と思う)。  少なくとも今日の朝からはハラの具合は良好だ。  ビール効果「!」とは云わないが・・・。  偶然の一致「?」。  気の持ちよう「?」。

※    午後の部はおつきあい
  ホテルレストランでの昼食。  久々の“ゴルカ”は旨かった。
  午後は市内観光。  お決まりの“目玉の寺院“スワヤンブナートや王宮ダルバール広場あたりからインドラチョークへ。  更にカトマンズの目抜通りを散策した。  クリシユナーお薦めの店での買い物では、皆さんも我が明子サンも随分ガンバリました。  今回も又、人口250万人に膨れ上がったといわれる混沌の都カトマンズの喧騒に私は負けそうになったのでありました。  

※    チベット料理の夕食
  市内のエベレストホテル内のレストラン「マンダリン」での夕食は、胃に優しいといわれるチベット鍋“ギャックック”。  百種類もの食材を煮込むという意味なんだそうだ。  アツアツを戴いて美味かった。  私はエベレストビール、明子さんは白ワイン。  静養中の加藤さんも飲み物は“お湯”ながら、多少の料理をハラに納めたようだった。

※    明日はおまけの日
  「エベレスト街道」の日々は今日で全ての日程を終った。  今は未だ、心地良い余韻を楽しんでいるところだ。  夕食からの帰り際、私達が泊まっている「ヒマラヤン ウイング」の奥の店を覗いて、明子さんはウールのタペストリーを買った。  3000Yenほど。

  明日は、ルクラからの飛行機が飛ばない場合を想定した予備日だ。  幸い今日は朝一番から特急で飛んで、トントン拍子にカトマンズのホテルまで帰りつく事ができたから、予備日は丸々一日使えることになった。 貴子さんとクリシユナーはオマケの一日として有効利用の方法を考えてくれているようだ、楽しみにして今夜はもう寝袋ではなく、悠然としたベッドで休もう。

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