●タニコメ旅日記● |
§ 10月14日(木) ―― デスバレー国立公園へ ―― ※※ 今日から何日間かは国立公園巡りの旅 いよいよグランドサークルの旅が始まる。 何処で何に出会えるのか、どんな所を歩くのかもよく判らないが楽しみにしよう。 ※※ デスバレー、死の谷、何とも恐ろしげな処を目指して南下、そこは海抜マイナス86mだという ジョシュの話ではデスバレーは昨日暑さで今年の記録を更新したのだそうだ。 とにかくアメリカで一番の乾燥地帯だからしっかり水を飲めとの仰せ。 ジョシュの解説は続く。 ※ 砂漠とは「極端に雨が少ないところ」 「砂漠とは年間降雨量が250mm以下の処を云う」。 因みにデスバレーの年間降雨量は50mm、北半球で一番厳しい砂漠地帯だという。 私なんかは単に一面の砂原の大きいヤツを指すのだとばかり思っていたが、ドエライ間違いである事を知った。 この定義に従えば、サンフランシスコを出てからこのシエラネバダ山脈に至る間の平原の大部分、枯草色の草が疎らに生えているだけの荒野もどうやら砂漠地帯のようだ。 ※ 不思議な地帯 北米の最高峰Mtホイットニー4421mはシエラネバダ山脈の主峰であり、今から走るR−395を南下すれば見えてくる。 一方今日目指すデスバレーのバドウオーターは海抜マイナス85.5m。 この広い北米大陸にあって北米の最高と最低高度が僅か150kmしか離れていない地点に存在するこの地域は不思議な地帯だ。 ※※ 遥かな道のりを走って 今朝は結構冷えたけれど天気は良い。 8:00ヨセミテ ビュー ロッジを出発した車はR−120のカーブの多い道を走る。 周りは山火事の跡が残る針葉樹の林、何処かでヨセミテ峠を越えたようだ。 ※ ハーフドームも見納め 9:20頃、タイオガロードと呼ばれる山岳道路の途中やや開けたところ、最後にハーフドームが見えるというオルムステッド展望台に来た。 此処も又不思議な光景を見せていた。 確かにハーフドームは見えているけれど最早遠景となった。 むしろ目を引くのは目の前の景色だ。 山全体が岩盤であり“土”というものが見えない。 それでもそんな岩の割れ目に根を張って植物は育つ。 岩盤にしがみつくように立つジュ二パーという杉の種類の木の、如何にも苦労して育ったような姿が印象的であった。 ![]() ※ 3000mのタイオガパスを越えて テナヤレイクを過ぎ、朝日旅行が企画した2泊3日だったかの体験的ジョンミューアトレイルの出発点というトウルミーメドウを左に眺める辺りから周囲の山肌には積雪が見られるようになった。 この辺りで標高3000mのタイオガパスを越えたようだ。 この道は今の季節でも時によっては雪でクローズになる場合があるそうだけれど、幸い私達は無事通過できてよかった。 ※ 景色の良い峡谷を一気に下って 周りには3900m前後のピークが幾つもあり白いピークを見ながら一休み。 森林地帯を抜けた峡谷の斜面を一気に駆け下る。 右に見える谷間は黄葉もチラホラで見映えする風景だ。 ※ シエラネバダ山脈の主稜を越えて東側へ出た ![]() 斜面を下り切ったところ、モノレイク(Mono Lake)のほとりのショップで休憩。 私はここでカウボーイハットを買った。 何かの木か草かで編んだヤツ。 売価36$と税8.75%で40$余り、ここはカリフォルニア州、消費税?取引税?。 気持ち良い天気の庭でアイスキャンデー(ハーゲンダッツ)を食いながら、アメリカへ来た記念だからという明子サンに従って星条旗の下で写真におさまった。 ※ 山脈を右に見ながら南下 11:00 道はR−395に入りシエラネバダ山脈を右に見ながらを南下している。 朝方タイオガ峠辺りでクロスしたジョンミュアートレイルもこの山脈の中を延々と続いているんだろうな!。 山を下れば周囲の景色は再びというのか相も変らずというのか枯草色の平原、それでもパラパラと多少の樹木が生えているだけマシか。 ![]() ※ 緑の芝生でピクニックランチ 丁度12:00、ビショップの町で昼食。 スーパー“VONS”で買出し。 サンドイッチは二人で1個、ジュースとリンゴ、ベリー(16$)を買って近くの公園でピクニックランチ。 鮮やかなミドリの芝生に覆われた公園は眼に優しい、周りにミドリが無い中で此処だけが別世界。 空は青空輝く太陽の下で、Tシャツ短パンが気持イイ。 ここはシエラネバダの白い山脈に囲まれた平原の真っ只中、家屋もパラパラ、大きな建物も農場も見えないけれど、何で食っている街なんだろうな「?」。 ※ 色々勉強になる 相変わらず乾いた平原を走っている時ジョシュの解説。 1エーカーは1227坪、後は奥野氏が引き取って4反ばかり(1反は300坪)。 みんなムズカシイことをよく知っているな。 14:30、Lone Pineでガソリン補給。 レギュラーは 313、9/10セント/ガロン。 約70円/Lというところ。 ※ マウントホイットニーが見えた 14:45、北米最高峰のMtホイットニー4421mが見えた。 車を止めてカメラに収めたが、連峰の一つだから余り迫力はない。 ※※ 早くもそう云う雰囲気になってきたけど、デスバレーは遠い 程なく車は左折してR−395とは別れた(地図ではR−190に入ったみたいだ)。 いよいよデスバレーに向かうけれど、まだ山脈を1つ2つ越えんならん、とジョシュ。 真っ直ぐな道。 ![]() 周りは茶色や黒っぽい鉄サビ色の低い山と枯草、大小の岩がゴロゴロしているだけの荒野。 多少の起伏の向こうの白っぽい山はボラックス(硼砂)の山だそうだが・・・。 谷村新司の歌ではないが「・・ほかに見えるものはなし」の世界だ。 「アメリカ映画で中東のシーンを出す時はここで撮影する」とはジョシュの話。 唯一見える幾分緑っぽいポツポツ立っているのはサボテンかな「?」。 いや、あれはアロエの仲間、聖書に出てくる“ジョシュアツリー”、棘のある木だと、これもジョシュの解説。 ※ デスバレーナショナルパークに入ったが・・・ 15:20頃ようやく【デスバレーナショナルパーク】に入った。 長いながい急勾配の下りを降りて盆地へ入ったから、もうそろそろデスバレーかと思っていたら“デスバレー73km”の標識。 えぇ―ッまだかよう!。 まだまだ激しいアップダウンのある直線道路を下らねばならなかった。 周りは枯草と灰色の岩山、これはもう充分に「死の谷」という雰囲気やけどなぁ。 ![]() ※ デスバレーの由来 最高気温が51℃という記録があるというし、年間降雨量が50mmだという。 おまけに周りの灰色の世界を見れば、これはもう充分にデスバレーという資格がありそうだけれど、ジョシュの解説ではそういうのとは違う。 「金鉱探しの一団だったか何探しだったか忘れたけれど、ある一団がこの谷に迷い込んだ。 周りを岩山に囲まれたこの谷から抜け出られないまま飲み水を求めて北に南に動き回ったが、一滴の水も得られなかった。 水や食料も尽き、遂には乗ってきた馬車まで燃やして生き延びようとしたが結局この谷から抜け出られないまま殆どの人は死んでしまった。」 辛うじて生きて脱出出来た人曰く。 『あの谷へ入ったらアカン、生きて還られへんで!』 『死の谷や! デスバレーや!』 大阪弁ではなかったとは思うが、凡そこんな話。 ※ ホンマの砂漠や! 16:20やっと辿り着いたところはホンマの砂漠であった。 サラサラの砂山が延々と続くデユ―ンズの砂丘。 膝丈ほどの潅木が所々に生えている以外は何も無い砂の世界、歩いては遠くまで行けそうも無い細かい砂の起伏、これはボク等が想像する砂漠だ。 ![]() 只今公式には37℃、直射日光の下では39℃であった。 一応サバクの雰囲気と乾燥した熱風を体感したが、汗も出ず酷い暑さという感じはなかった。 ※ クレオソートの木 セイロガンの成分はこの木から取っているのだという。 確かに、指先で柔むとセイロガン特有のクレオソートの臭いがするが・・・。 こんな木、商売になるほど何処で作っているんや「?」。 「今時はクレオソートは石油蒸留のボトムから抽出してると思うけどなぁ」。 ※※ ようやく海抜マイナス85.5mのバドウオーターへ 17:30 とうとう着いた。 朝8:00から9時間余りジョシュはよく走った、走りに走って着いたのはドエライところであった。 振り返れば、後ろの岩山の中腹に“SEALEVEL”(海面)の白い標識が見える。 だから、今立っている此処は海面下85.5mの位置なのだ。 足元は干上がった塩湖の表面。 海の底85.5mなんて処へは特殊な競技をやっている人か潜水艦乗りなど以外普通の人は行ったことが無い。 こんな場所が地上に存在するのが驚きだ。 ![]() 遥か彼方の山裾まで続く乾いた水平面は一面の塩のカタマリ。 何故か“これぞ塩”という真っ白のゾーンと“結晶した塩の板切れが折り重なった”感じの黒っぽく汚れたゾーンがくっきり分れている。 指で摘んで口に入れてみると間違いなく“塩”だ。 登山靴で蹴って、少し指でほじくるとジワッと水分が出てくるが結晶の層は随分厚いのだろう、遥か沖合いを歩いている人影も見える。 日暮れ近い時間でも吹く熱風を体感しながら暫く塩湖の上の散歩を楽しんだ。 これが真昼の太陽の下であったならば大抵の人は車から降りられないだろう。 ※ 一杯喰わされたデビルス ゴルフコース すっかり日も落ちて薄暗くなった中を引き返す途中、ジョシュが塩湖の上のガタガタ道を走って連れて行ってくれた処には“Devils Golf Course”の看板。 周りは一面凸凹に折り重なった塩の結晶。 さっき塩湖へ行く時にも“右⇒デビルスゴルフコース”の道路標識があるのを見て通った。 「えぇッ!何でッ!」。 「こんな所にゴルフコースがあるの」「?」「!」。 暑さで人が死んでしまうような所にゴルフ場がある訳ないやろ!。 そやけど・・・ラスベガスの郊外の砂漠にでもラキンタなんてゴルフ場作ってしまうアメリカ人のことやからなぁー。 ひょっとしたら、この塩湖を越えた向こうの方にでもあるのかも知れんな!。 なーんて「何か妙やな?」「意味シンな名前も気になるし!」とは思っていたのだけれど。 案の定、着いた所は【延々と拡がる塩の原】であった。 「アメリカ人に一杯喰わされた」の巻きだった。 ![]() そういえば以前にも似たようなことがあった。 ニュージーランドのミルフォードトラック二日目、ポンポローナロッジ手前の川の前に“バスストップ”の標識が立っていた。 こんな山の中の小径にバスが通る訳は無いけれど・・・。 川が増水して渡れない時のために待機したり避難したりする小屋掛けのベンチであった。 イギリス人やアメリカ人はこんな冗談が好きなようだ、こんなのを「ウイット」というのだろう ※※ モノスゴイ名前のホテル “FURNACE CREEK INN” ![]() ファーネス(現地ではファーニスと発音するみたいだが)とは日本語で言えば“炉”のことだ。 だから此処は“火炉の谷”あるいは“炎熱の谷”つまり“地獄谷”みたいなところだ。 日本では【閻魔さん】の住処みたいなところだ。 確かに夏場には人は住めないようだけれど、ホテルの名前に態々こういう名前を採り入れるのは“粋”というものかな「?」。 ※ やっとシーズンインでオープンしたばかり ホテルに入ったのが日もとっぷり暮れた19:10ごろだったから早業でシャワー してデイナーへ。 このホテルは5月〜10月はクローズ、やっと数日前にオープンしたばかりだとの話。 普通の所なら夏場がシーズンだけれど、何せここは暑さのせいで夏場は「ヒト」が生きられない場所で客も来ないらしい。 オモロイところや。 ※ ガラガラ蛇マークってなかなかしゃれたデザインや 歴代の関係者の写真などを飾った仲々格調高い部屋で、執事みたいな雰囲気のボーイに案内されて・・・。 こんな部屋でのデイナー。 私と明子はラムステーキ。 ビールは地ビールの“モハべレッド” MOJAVE RED。 Indian Wells Brewing 製。 ラベルはなんと!!。 赤いガラガラ蛇がとぐろを巻いて、カマ首を持ち上げている姿だった。 なかなかヤルやないか!、イキなデザインやで!。 ![]() だからどうだ、ということも無いし、いつもの事ながら「とにかく美味しく戴いた」。 何せこの谷は夜になっても外は生暖かい乾いた風が吹いていたからビールも旨い。 このホテルも恐らく海抜ゼロメートル前後だろう。 ※ 砂漠のオアシス FURNACE KREEK INN & RANCH RESORT、私達の部屋は1Fの106。 昨夜は夕食が終って部屋に帰ったのはすでに9:30になっていて程なく寝てしまった。 LG製のクーラーがガタガタ喧しいので止めてしまったが、よく見るとそれとは別のセントラルエヤコンというのかどうか知らないが、常設のエヤコンの噴出し口からは一晩中冷風が出ていた。 少なくともこのベーシックな設備からの冷風が無ければ寝られなかっただろう。 昨夜はチェックインしたのが遅かったからよくは判らなかったが、朝気がついてみれば背の高い沢山のヤシの木やみどりの芝生、ブーゲンビリアなどの花々、それに屋外プールやテニスコートまで備えた、まさに砂漠の中のオアシスだった。 こんな所で誰がテニスするんや、死んでしまうで!。 このホテルを維持する水、「この谷で得られる筈の無い水は何処から持ってくるのだろう」などと他人事ながら気になった私であった。 此処はネバダとの州境に近いカリフォルニア州。 |
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