● エッセイ ●
春まだ浅き道東の宝捜し旅?

 〔あこがれの中札内(ナカサツナイ)村を行く〕
 北海道のほぼ中央に十勝岳がある。この十勝岳に水系を発し、十勝平野を形成しながら太平洋に 注いでいるのが十勝川である。アイヌ語ではトゥカプチで『女の乳』という意味の説がある。おっぱいの ようなこんもりした丘があったのではないかといわれるがよく分かっていない。
 この十勝川の中流に帯広市が広がる。この帯広の地名もアイヌ語がもとになっているが、おもしろ 恥ずかしいので紹介する。
 アイヌは少女のことをオペレケプ(下のところが割れているもの)と、愛情を込めて呼んだ。アイヌ語 地名には女性のからだを例えて言うことが多い。この帯広川の川口もオペレペレケプ(川口が幾筋にも 分かれている)であり、そのオペが”帯”に、そして川口に広がる十勝平野の広大さにちなんで”広” の字を添えたと言われている。
 そしてこの帯広市に向かって南西の十勝幌尻(ホロシリ)岳を源に、北上する川が札内川、この川の 流域に中札内村がある。
 北海道に来て初めて読んだ本が、農業作家吉田十四男の『人間の土地』であった。同じ職場にいた 石水女史に頂いたのだが、10巻におよぶ大作であったがいっきに読み通した。明治の初め、北海道の 拓殖勧誘に応じて岐阜から入植した一家の物語である。その舞台となったのがこの中札内村である。
 やはり広大であった。開墾された黒い大地に、規則正しく植えられた幾筋もの苗の緑が、遠近法の 消失点に向かって残雪の日高山脈に収束する。そんな雄大な景色が連続するうちに物語を思い出し 胸が熱くなるのを覚えた。
中札内  この四方開けた無限の大地も、入植者が来るまではナラやカシワやシラカバの巨木が茂る原始の林で あった。その木を一本一本切り倒し、根を引き抜いて開削していったのである。春の十勝の風はやさしい。 しかし厳寒の十勝は、そんな甘いムードは全く寄せつけない死の世界となる。
 5月に種を蒔き10月にはすべてを収穫しなければならない。生物が育つのは一年の半分しかないのである。 彼らは西方に聳える十勝幌尻岳の様変わりを、季節の時計として競うように種を蒔き木を抜いた。
 そして今、バレイショ、ソバ、マメ類を産する大穀倉地となったのである。とは言っても、大自然の 摂理は、ここで日本人の主食である米の生産を許さなかった。数々の品質改良、栽培方法のあらゆる 試みも、水温があと少し上がらないためにコンスタントな収穫が得られなかったのである。
 想いを馳せながら車は帯広の町へと近づいていく。かつて主人公の松四郎らが、毎日の土との戦いの なかでつかの間の慰みを求めてやったきた帯広の町は、今では人口16万7千人。松四郎がよく立ち寄った 駅前の旅館や農機具屋など、今は昔の大都会である。 

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