『あるかいど』への反響
この記事は2024年5月発刊予定の本誌76号『あるかいどへの反響』欄に転載されます。本誌掲載に際しては万全を期しておりますが、誤字脱字等に気づかれた方は発行人までお知らせください。この段階でミスをご指摘いただけると誌上に反映させることができます。
樹林第40回小説同人誌評 細見和之
『あるかいど』第75号掲載の、渡辺庸子「昏がりの果て」は、主人公・延枝と義母の葛藤を描いて四百字詰め換算一三〇枚を超える。
延枝は入院している八二歳の義母に昼食を届けるのが日課になっているが、あるときその義 母から「一千万円を嫁の延枝に相続させる」という遺言書を見せられる。夫の圭介と結婚した当初から義母との折り合いは悪く、圭介との関係も冷めている。延枝は圭介の親族はもとより自分の親、友人とも気まずい関係にあって、ほとんど孤立無援の状態である。その延枝を、一千万円の相続という約束がかろうじて支えてゆく。彼女には、得意な料理の腕を活かして小さなおしゃれな店を持つという夢があるのだ。
しかし、圭介との関係もどんどん悪化してゆき、友人であるはずの智里が圭介とつきあっているらしいことも判明する(元々、圭介と智里は恋愛関係にあった)。さらに、義母が亡くなったあと、「相続」の話はいっこうに出てこない。最後、半ば狂乱状態に陥った延枝が義母の遺品であるワンピースやスーツをつぎつぎと切り裂く場面は壮絶である。
樹林第40回小説同人誌評 細見和之
泉ふみお「答えは 風の中」も百枚近い作品だがこちらはほのぼのとした学園もの。主人公の「ぼく」が東野高校(通称「がし高」)に着任してからの一年がじつに
巧みに描かれている。
「がし高」は地域でも有名な荒れた高校で、女子生徒は髪を派手に染め、耳や鼻にピアスをしている。生徒の喫煙は常習となっていて、校舎のそこらじゅうに吸殻が散らかっている。そんな高校で、最初は無気力だった「ぼく」は校長・大木大吾朗の姿勢に触発されて、高校の改善に力を尽くすことになる。その校長のほかにも、年長の女性教員で英語担当の中野、音楽担当の松崎など、キャラクターのくっきりとした魅力的な人物がいく人も登場する。全体にエンターテイメントに徹していて感心させられた。
季刊文科94号 同人雑誌評 谷村順一
今回読んだ作品の中で、最も出色の作品だったのは渡谷邦「水路」(『あるかいど』74号)だ。渡谷は「明るいフジコの旅」で第1 7回神戸エルマール文学賞の島京子特別賞を受賞しており、その実力は「水路」でも存分に発揮されている。主人公のわたしは、夫が近所の水路のそばでみたという自分に似た女に興味を抱き、女の住むアパートを突きとめると、そこで女が夫から暴力を受けていることを知り、自らの過去の記憶が女に重なる。わたしは女を匿うため、女と生活を共にすることになるのだが、「わたしに似ている」と誰もが言うその女に、かつての「わたし」をみる主人公の危うさはじつにスリリングだ。わたしは具合の悪くなった女の代わりに、女の勤める弁当工場で女となって働きもし、「わたしはあんたよ」と女に声をかけもする。「わたし」が「わたし」であることの不確かさ。「水路に落ちるな」と執拗に「わたし」に忠告する老人の存在も示唆的だが、しかしもっとも本作に不穏さをもたらしているのはわたしと夫との関係ではないか。「ぼくたち幸せだよね」という夫の問いかけに、「この幸せを手放さないようにしないとね」とわたしが応える場面は、口にしなければ確認できない、その関係のもろさを端的にあらわす。他者が自己を、記憶が現実を浸潤していくさまを丁寧に描く作者のそのたしかな筆致がじつに見事だ。
三田文学 2023年秋季号 新同人雑誌評 佐々木義登
渡谷邦「水路」(あるがいど74号)は夫が主人公に似た女性を見つけたことから始まる物語です。後日、その女性に偶然出会った夫婦は彼女のアパートまで後をつけて行きます。その女性が夫からDVを受けているところに居合わせた主人公は、彼女と深く関わってゆくことになります。女はやがて主人公の自宅で寝泊まりするようになり、そこから仕事に通い始めます。しかし体調を崩してしまうと、主人公が彼女の代わりに仕事に向かいます.女の人生が主人公の過去と重なり、最後には女と主人公が入れ替わるかのような瞬間を迎えます。女は過去の自分なのか。沼のような水路を背景に、一人の人間が存在することの意義が問い直される作品でした。
三田文学 2023年秋季号 新同人雑誌評 佐々木義登
渡辺庸子「オレンジ色のスカート」(あるかいど74号)を興味深く読みました。
三田文学 2023年秋季号 新同人雑誌評 加藤有佳織
渡谷邦「水路」(「あるかいど」74号)の語り手は、自分に「似た女」と関わります。「似た女」は北村といい、離婚に応じず暴力をふるう夫から逃げ、弁当工場の夜勤をしています。それは、現在の夫と結婚する前の語り手と似た状況でした。北村は住まいを見つけるまで語り手の家に滞在し、体調不良の際は語り手が代わって工場へ出かけます。端正でそこはかとなく不穏、細部まで巧みな作品です。
●本作は「文學界」への推薦作になり、2023年12月号に転載されました。
第17回神戸エルマール文学賞 選評 浅田厚美
渡谷邦「明るいフジコの旅」(「あるかいど」72号)
フジコは老人ホームで暮らしている。子どもの頃に原爆を経験しているというから八十代かと思われる。少しずつ記憶があいまいになっているが、彼女は四十年前に家族で暮らしていた海の近くのアパートのことが忘れられない。娘のカズコから、「もうないかもよ」と言われて、なくてもあってもいいからあの場所を訪れてみたいと思う。それである朝こっそりホームを出てそのアパートへと向かうのだった。
バスと電車を乗り継いでフジコはその町にたどり着く。アパートは昔のままの姿でそこに建っていた。フジコは吸い込まれるようにその中に入り、階段を上がって、かつて自分と家族の住居だった部屋の玄関ベルを鳴らすのだった。
そこには若い男女が住んでいて、フジコを迎え入れてくれる。ドキドキするような展開と思いがけない出会いが、「旅」というものの本質を教えてくれる。
その部屋で昼寝をしたあと、フジコは二人から海に行こうと誘われて一緒に出かける。女はフジコを着替えさせて日焼け止めを塗ってくれる。右手を男と左手を女とつなぎ、フジコは二人の間で自分が彼らの子どもであるように感じる。途中で歩けなくなったフジコを男が背負って走り出す。そして海辺にシートを敷いてみんなでピクニックのようにおにぎりを食べる。
どの場面も美しい映像を思わせる。作者の優れた描写力、表現力が強く感じられる。海に入ったフジコは水に包まれる感覚のなかで、「こういうことか」と思う。
そして泳ぎが得意だった子どもの頃のことを思い出すのだった。フジコの記憶が鮮やかに蘇るこの場面がとりわけ秀逸である。これは水の中という場所に向かう旅だったのだ、と読者はこの時に気づかされるのである。そして年をとるというのはこういうことか、生きるというのはこういうことか、と知らされる。いつか誰もが抱くにちがいない、けれどなかなか言葉で表しにくいこういう思いをよく表現できたものである。
寄木細工のように綿密でありながらゆるやかに絡み合う描写の連続が見事である。この作者の感性と表現力は高く評価される。深く心に刻まれるような、印象的で忘れられない作品である。
第17回神戸エルマール文学賞 選評 飯田未和
渡谷邦「明るいフジコの旅」(「あるかいど」72号)
候補作の中で、最も心が揺さぶられた作品かもしれない。
老人ホームで暮らす主人公のフジコが、四十年前に住んでいたアパートのことばかり考えるようになり、こっそりと老人ホームを抜け出す。バスと電車とバスを乗り継ぎ、アパートに辿り着き住んでいた部屋を訪ねると、若い男女が住んでいた。二人に誘われ、フジコは海に行く。
フジコの頭はぼんやりとしている。なので、作品にもわからない部分は多い。それでも、海面に揺らめく陽光のごとく、フジコの記憶が揺らめき、煙めく瞬間がある。四十年前、何があったのかはわからない。家を、荷物を、洋服を、着飾ることをも手放したフジコが、どうしても手放せなかった家族への思いに胸が熱くなった。
第17回神戸エルマール文学賞 選評 野元正
渡谷邦「明るいフジコの旅」(「あるかいど」72号)
400字詰め原稿用紙33枚弱の散文詩のような小品だが、失われた良き昭和のレトロや原爆に遭った被爆者の深い哀しみを感じさせる秀逸な作品だと思う。
フジコは毎日、40年前住んでいた海辺の古いアパートのことを思い出しながら老人ホームで暮らしている。そのアパートは夫が勤める会社の社宅だった。雑貨屋前のバス停で降りて県道を歩き、松林の間の切り通しの道を上がったところにあった。アパートの先は砂原が広がっていてその向こうに海があるようだ。フジコのふたりの子どもたちは海へ行きたがったが、内職に忙しいフジコは連れて行かなかった。子どもたちは仕方なく帰りにアイスが食べられる学校のプールに行ったり、プールに行かないときは、ふたりは代わる代わるフジコが父からもらった双眼鏡で砂原を眺めたりした。ただ一度だけ一家4人で海へ行った記憶がある。一枚の写真もあったが、老人ホームでなくした。
この情景はあとでフジコが老人ホームを抜け出してこのアパートの地を訪れたときと繋がる。切り通しの果てにそのアパートも、その向こうの砂原も残っていた。そこに住む若い男女が住む部屋に通され、その部屋の様子に郷愁を感じるフジコ。やがて3人は砂原の果ての海をめざして歩く。途中、足がもつれたフジコは男に負ぶってもらい、海辺で女の作ってくれた握り飯を食べたあと、男女は沖へと泳ぎ出して見えなくなった。もう辺りには誰もいない。フジコは海につかって空を眺め、やがてしなやかに泳ぎ続けた。
この男女はフジコの子どもたちが成長した姿とも重なる。現実と幻想が織りなす不思議な作品だった。評者は赤子であったが、被服敏近くの比治山のお陰でこの命をもらったと思っている。それゆえ、ひしひしと作者の重い思いを感じる作品だが、少し分かりにくいので読み手によって評価が分かれると思う。
文芸思潮89号 「全国同人雑誌評」 五十嵐勉
「あるかいど」は世代交代が進んだのか、以前の地道な作風から瀟洒な垢抜けした雰囲気が目立つようになっている。その中で特にその色が強く抽象的な作風が成功しているように見えたのは渡谷邦氏の「水路」である。水路に自分と似た女がいる、と言われたことから、物語は滑り出し、その女性のところを訪れるにまで発展する。その女性は自分と反対に、夫婦仲が悪く、危うい生活に追い詰められている。夫から逃げるために一時主人公の「わたし」の家に避難する形で同居する。しかし、結局出ていき、水路に水死体となって浮かぶ。日常の抽象性に徹底したところがよく、幸福な生活の底に見える危うさが浮き彫りになる。最後にもうひと工夫あって反転させるような仕掛けがあれば、恐怖を呼んでさらに深淵を覗かせてくれたかもしれないが、ここまででも、奇妙な読後感は残る。不思議な象徴性を宿している。優秀作としたい。この誌には力のある書き手が揃っている。
これまでにあった反響
これまでにあった反響の一覧です。「○○号への反響全文」をクリックすれば、反響の全文をお読みいただけます。
75号 (2023年11月3日発行)
- 「昏がりの果て」渡辺庸子
- ・樹林 第40回小説同人誌評 細見和之
- 「答えは 風の中」泉ふみお
- ・樹林 第40回小説同人誌評 細見和之
74号(2023年 5月30日発行)
- 「水路」渡谷邦
- ・文芸思潮89号 「全国同人雑誌評」 五十嵐勉
・樹林 第38回小説同人誌評 細見和之 - 「鼻ぐり塚で待つ-夏-」西田恵理子
- ・神戸新聞 2023年9月23日付 同人誌評 葉山ほずみ
・樹林 第38回小説同人誌評 細見和之 - 「崋山先生の画帖第一画 母の面影」住田真理子
- ・樹林 第38回小説同人誌評 細見和之
- 「雑踏の中にいる」切塗よしを
- ・季刊文科 93号 同人雑誌評 河中郁男
- 「オレンジ色のスカート」渡辺庸子
- ・民主文学 2023年9月号 支部誌・同人誌評 松田繁郎
73号(2022年11月2日発行)
- 「長い写真」久里しえ
- ・三田文學 2023年春季号 新同人雑誌評 加藤有佳織
・季刊文科90号 同人雑誌評 谷村順一 - 「その週末」渡谷邦
- ・三田文學 2023年春季号 新同人雑誌評 佐々木義登
・季刊文科90号 同人雑誌評 谷村順一 - 「レッスン」切塗よしを
- ・樹林第36回小説同人誌評 細見和之
- 「白いシーツは翻る」西田恵理子
- ・民主文学 2023年3月号 支部誌・同人誌評 岩淵剛
- 「あぐねる」高原あふち
- ・神戸新聞 2023年1月27日付 同人誌評 葉山ほずみ
72号(2022年5月17日発行)
- 「鳩を捨てる」住田真理子
- ・文芸思潮86号 全国同人雑誌評 殿芝知恵
・三田文學 2022年秋季号 新同人雑誌評 佐々木義登
・季刊文科89号 同人雑誌評 谷村順一
・神戸新聞 2022年7月22日 同人誌評 葉山ほずみ
- 「面会時間」切塗よしを
- ・文芸思潮86号 全国同人雑誌評 殿芝知恵
・樹林第34回小説同人誌評 細見和之
・民主文学 2022年9月号 支部誌・同人誌評 草彅秀一
- 「オーロラ」池誠
- ・文芸思潮86号 全国同人雑誌評 殿芝知恵
- 「明るいフジコの旅」渡谷邦
- ・三田文學 2022年秋季号 新同人雑誌評 佐々木義登
・第17回神戸エルマール文学賞「島京子特別賞」受賞
71号(2021年11月1日発行)
- 「ラストデイのような日」渡谷邦
- ・三田文學 2022年春季号 新同人雑誌評 藤有佳織
・三田文學 2022年春季号 新同人雑誌評 佐々木義登
・季刊文科87号 同人雑誌評 河中郁男
- 「海には遠い」切塗よしを
- ・神戸新聞 2021年12月24日 同人誌評 葉山ほずみ
・季刊文科87号 同人雑誌評 谷村順一
- 「降っても晴れても」高原あふち
- ・神戸新聞 2021年12月24日 同人誌評 葉山ほずみ
・季刊文科87号 同人雑誌評 河中郁男
- 「塀の外の空襲」住田真理子
- ・季刊文科87号 同人雑誌評 谷村順一
- 「紅い破片」渡辺庸子
- ・季刊文科87号 同人雑誌評 谷村順一