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1582年(天正10年)5月、織田信長が明智光秀に饗応(接待役)を命じ、武田勝頼討伐に功をなした徳川家康や穴山梅雪を安土城にもてなした時の饗応メニューを展示しています。
※館内での展示は、五月十五日の「おちつき膳」「晩御膳」のみになります。
(十五日おちつき膳)
当時のおもてなしは料理が一度に並べられるので、配膳される際の華やかさが強調されました。さらに膳の演出として様々な飾りをします。
献立に「をけ金」「きそく(亀足)金」「かわたて(甲立)」などと書かれていますが、料理をより華やかにし、膳の雰囲気を豪華に演出するものです。「をけ金」とは料理を盛りつける皿の下の台を金や銀で塗り、絵をほどこしたものです。
それから「きそく(亀足)」とは料理にさされた串のことをいい、これも金色にほどこされ膳を華やかにします。「かわたて(甲立)」は金箔の紙を皿に敷いたもので、盛りつけた料理がこぼれることを防ぎ、また料理を引き立てるデザインとして機能しています。また、「から花」は造花で、膳のアクセントとして、まさに料理に花をそえます。こうした飾りは中世の様式を踏襲した「本膳料理」の特徴でもあります。
室町時代以降、美味な鳥・魚を「三鳥五魚」と定め料理に用い、珍重しました。
三鳥とはツル・キジ・ガンをさします。この他にも献立をみますとヒバリ・シギ・サギなど多くの野鳥・水鳥が食されていたことがわかります。ツルは秋に日本に飛来し、その種類のほとんどが食用とされていたようですが、江戸時代には乱獲のためか、すでに貴重品となり格式ある儀礼献立にしか用いられなくなります。ヒバリなどは丸焼きにし、頭も骨ごと食されたようです。
五魚とはコイ・タイ・スズキ・カレイ・フカをさします。中世の料理書『四條流庖丁書』には「コイを一番としその次にタイなどだすべし」とありますが、江戸時代にはコイよりもタイを尊ぶようになります。また、同書には「サシ味之事」としてコイはワサビ酢、タイはショウガ酢、スズキならタデ酢など魚の種類により使う調味料まで規定されています。
※各お膳の内容は以下の項目をクリックしてご覧ください。 ※館内での展示は、五月十五日の「おちつき膳」「晩御膳」のみになります。