ぷくぷく温泉
今の子供たちは川で遊ぶことは少ない。少し川が大きくなると、危険区域だといって遊べない。
昔よく遊んだ川へ行ってみると、「よい子はここで遊ばない」といった立て札があったりする。立て札越しに川を見ると、子供たちには見せたくないような汚れようだ。榊原では毎年、美しい川運動を展開して、住民の手で川掃除をしているが、次から次への汚れには勝てない。
私の子供のころ、大きいと思っていた川も、今見ていると、よくこんな狭いところで水浴びをしていたものだと思う。自分が大きくなると、川が小さくなるのだろうか。それはタイムマシンの世界になってしまったようだ。
それぞれの地区で、子供たちの遊ぶ場所は決まっていた。いつも水浴びに飽きると、上流に移動する。所々にぷくぷくと温泉が湧(わ)いて、湯ノ花がゆらいでいる。川沿いに旅館が三軒あったが、汚れもあまり気になるほどでもなく、そのあたりの川で遊んでいた。
榊原の温泉も昔の温泉は涸(か)れているが、別の場所からボーリングして湧かしている。昭和の初めころであるが、昔からの泉源から、東方300メートルほどの所を、石炭発掘のためボーリングをしたら、温泉が出てしまった。それを新温泉として浴場をつくり、村外からも多くの入浴客が訪れ、にぎわったものだ。現在は温泉法があって、やたらとボーリングできないと聞くが、泉源を守るには大切なことだろう。
ずっと昔の人は、泉源を守るのに神に頼ることが多かった。榊原も千年以上も昔に神社を建て、温泉の神をまつってきた。その神が4百年前に、北の山から現在の場所に遷(うつ)ったとき、山のふもとから湧いていた温泉が、神社の裏から湧くようになったと伝えられ、村人は宮の湯と呼んできた。
それぞれ昔の温泉の面影はないが、そんな場所があったということを知っているのも、話のものだねだろう。
山のふもとに湧いていた温泉は、都で「ななくりの湯」として多くの和歌などにその名が見られ、古い書物では枕草子が有名である。
(ななくりの湯=榊原の古い地名からこの名がつき、夫木和歌抄に「一志なるななくりの湯も君が為 恋しやまずと聞けば物うし」と、一志・榊原の温泉を指している)
また、神社の裏手に湧いていたころは、江戸時代の湯治場ブームと重なって、神社をその一角に取り入れ、大きな湯治場をつくり、かなりのにぎわいをみせていた。
今のようにボーリングして、ポンプで汲み上げるまでは、自然湧出(ゆうしゅつ)で、そのあたりの河原から、いつもぷくぷくと温泉が湧いていたようだ。
古老が教えてくれた童歌にこんなのがある。
「ホータルこーい じゅーれんぼ(幽霊さん)
じゅー(湯=温泉)はタンバ(谷間)の橋の下」
また、温泉が川の水と混ざらないように囲って、洗濯場にしていた跡などは、今でも残っている。
新緑がまばゆいころ、田にも水が入り、榊原の温泉も一年中で一番豊富なときである。
きれいな河原から、ぷくぷく湧く温泉をもう一度見たいものだ。
(中日新聞・みえ随想 平成6年5月2日掲載)
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