ランチタイム
さきごろ名古屋で古いハム(アマチュア無線家)仲間の集まりがあった。戦後、アマチュア無線が再開されたのが、昭和27年だったので、そのころから電波を通じて、未知の友を求めてCQ、CQとマイクを握っていた仲間たちである。東海4県から67人が集まり、まるで同窓会のようだった。
30数年ぶりの再会。懐かしかった上、会場の一角には昔よく使った真空管が展示されていた。それを懐かしい友と、1本1本見ていると、それぞれに思い出がよみがえってくる。
オレは「807」を使う前は「42」だった。オレの「2E26」は全然パワーが入らなかった−。これは当時、自作の送信機に使っていた真空管の名称である。
私が「2E26」というと、「42」の友達が思いだしたように、「その真空管だっただろう、オレが受信して、君がその2E26で呼んだことがあったな」。その「42」の友達は、津市片田町で私と同じ日に、無線局の検査を受け、免許をもらった稲垣君だ。稲垣君とは毎日のように無線で話をしていた。
36年前のある日、稲垣君が28メガ(周波数帯)に、アメリカのハムがたくさん出ているという。だけど彼は受信だけ、私は送信機を先に作っていたので、送信だけしかできない。そこで、彼が二人三脚の提案。彼がアメリカを受信して私に伝えてくれる。私はそれを聞いてアメリカを呼ぶ、というわけだ。
彼の号令で、「CQアメリカ、こちらはニッポン」と呼ぶと、彼から「おーい、呼んできたぞ、サンフランシスコのボブ」だという。自分で直接受信していないので勝手が違うが、「三重県のシンだ、そちらの信号は良好、サヨナラ」くらいは言ったような気がする。とにかく何とか、海外初めての交信を終えた。
そして1週間後、私も28メガの受信機が完成したので、稲垣君に「聞いていろよ、今からアメリカを呼んでみるからな」とマイクに向かい、「CQアメリカ」と叫んだ。
この日も電波の状態がよく、「ジャパンのシン、こちらはシアトルのジョウだ、ドウゾ」ときた。
「応答ありがとう、ジョウ、コンディション(電波状態)も良く、感度良好−」。海外交信のサンプル通り、カタカナでしゃべったのはいいが、ジョウはもともと早口なのか、マイペースといった感じで、ペラペラとしゃべってくる。
「すまん、ジョウ、もう一度ゆっくりしゃべってくれないか」と頼むと、ジョウは少しゆっくりにはなったけど、すぐ元に戻る。
そういえば私は、いくらゆっくりしゃべってもらっても、もともと英語なんか分かるはずがない。電波の状態が悪ければ、それを理由に、サヨナラと言えるのだが、こんなに電波状態がよいと....。
時計を見ると、ちょうど正午を指している。とっさに頭に浮かんだのが昼食だった。「ランチタイム、ランチタイム、またの機会を、ジョウ」。こう言って、スイッチを切った。
笑ったのは稲垣君。英語が分からないばかりに、ジョウには悪いことをした。しかし、自作の無線機と、屋根すれすれに張った5メートルのビニール線で、アメリカと交信できたことは、今思い出しても興奮する。
しかし同時に、恥ずかしいことまで思い出すので困る。
(中日新聞・みえ随想 平成6年5月30日掲載)
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