挨 拶
若いころ街で、反対側の歩道を歩いている友を見かけたので、手を挙げて挨拶(あいさつ)をした。それに気づいた友も手を振ってくれた。 車道をはさんでの挨拶だから、声は届かないが「そこの喫茶店で話さないか」と伝えようと思ったら、手を挙げている友のそばにタクシーが止まり、友はその中に消えていった。よほど急いでいたのだろう。 後で会ったとき、その友に聞いたら、呼びもしないのにタクシーが止まり、ドアーが開いた。あたりには誰もいないので自分かなと思い、乗ってしまったという。 ![]() 挨拶を辞書で引いてみると、「人と会ったときや分かれるときにやりとりする、社交的な言葉や動作」とある。やはり、言葉と動作なのである。 私は郵便局で仕事をしているが、昨年、道路の拡張工事で、すぐ近くではあるが移転した。旧の郵便局は、中からは直接、道路は見えず、車や人の往来がシルエットで見える程度だから、郵便局の中にいると、道行く人と目を合わすことはなかった。 しかし、新しい郵便局は道路側に、透明のガラスがはめてあるので、すべてが見えている。 机の書類から目を上げると、道路が見える。そして、誰かが歩いている。一日に何度かあることだが、偶然に目が合う。歩いている人は手を振ってくれる。ホッと一息ついたところだから、私も思いっきり手を振る。楽しい挨拶である。 挨拶は人と人との、もっとも短時間であるが、最大のコミュニケーションだと思う。と言っても、虫や動物だって、挨拶をすることは知られている。血の通った生き物だけかと思うとそうでもない。コンピュータだって挨拶している。 10年ばかり前に、全国24,000の郵便局が一つの大きなコンピュータと結ばれた。郵貯オンラインというのであるが、各郵便局には端末機という、小さなコンピュータを組み込んだ機械がある。毎朝、決められた時間までに、その端末機のスイッチを入れることになっているが、忘れると電話がかかってくる。 なぜ判るかというと、大きなコンピュータから毎朝、24,000の端末機に「おはよう」と挨拶しているのだそうだ。それなのに、挨拶が返ってこなかったから、寝坊していると思い電話したという。電話の相手は人間だった。 でもやっぱり挨拶は、人間同士の方が温かみがあっていい。たまにはタクシーも止まるが、挨拶で親しくなったり、友達になったりする。言葉が判らなくても、挨拶だけは通じるから楽しいものだ。 私の「ずいそう」もこれが最後。どこの国の人にも通じる挨拶で、ありがとう。さようなら。
(中日新聞・みえ随想 平成6年6月27日掲載) |
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