マイコンの出現  
マイコンから始まったパソコン

マイコンの出現


1980年正月に郵便局ロビーで活躍したCOMPO/BS-80

 アマチュア無線に没頭しているころ、ニキシー管による周波数カウンターなどを手がけていた友達に興味を持ちながらも少しでも太いアンテナ用同軸ケーブルがほしいなど資金確保にもあまり余裕がなかったので、ついついデジタル回路作りに溝が出来てしまった。
 その内にNECがマイコンキットTK-80が発売され、プリント基板に16進が使える、いわゆるテンキーと数字とアルファベットが表示できるLEDが付いただけの電子計算機を作ったと、友達から連絡があった。「何が出来る?」と聞くと「人工衛星の軌道計算がうんと早くできるようになった」という。電卓の親玉みたいなもの。「で、どうやって対話するの?」と聞くと「マシン語や」という。いわゆる機械語で人にはまったく判りづらい。
 多少は関心があるもののデジタルにはうとい。マシン語もさっぱり判らない。このころから雑誌などでは「マイコン」という名でアメリカの製品などが紹介されており、アップルllなどを「かっこいい」と思ったけど、手も足も出ない。でも無性にやりたい。
 その内にNECがTK-80にベーシック・ボードを搭載し、キーボードと保存するためのカセットテープ・デッキが一体になったCOMPO/BS-80というのが発売された。高かった。追っかけ、あのPC-8001がNECから発売されNベーシックが世に出たのですが、これまた高い。本体とキーボードだけのPC-8001、モニターとデータデコーダ(カセットデッキ)が必要で、揃えるとなると大変な金額。
 しばらく指をくわえていたら名古屋アメ横にCOMPO/BS-80の出物が....、モニタ付きで14万か5万。今から思うと、スゴイ、買ってしまった。昭和55年(1980)正月のことだった。ベーシックといってもモニターに表示させる命令が「print」ではなく「P.」。ごく簡単なベーシック言語...と言えるのかな?。そのころはやったインベーターゲームやもぐら叩きはすべてマシン語に頼らなければならなかった。マイコンの雑誌には数ページにわたって細かくマシン語が紹介されていたので、一つづつ手入力をして何日かをついやしてそのプログラムが動くといったもの。誤入力のチェックにはマシン語ひとかたまりごとにチェックサムで確認できるようになっていた。
 そのころ世の中はNだとか、Sだとか、Fだとか、メーカーによって会社の頭文字をつけたベーシックが独自で開発されていった。そのためにベーシックの換算表のような冊子も出されていた。COMPO/BS-80の「P.」や「L.」(L.はlist表示)では話にならず、「よーし、買うぞ」と決意し、機種選択となった。東芝、富士通、シャープ、日立、NECなどあったが、好みもあってのことか、シャープとNECを比べることになった。
 シャープは「早い」という評判があってMZシリーズが人気機種。でもモデルを替えるたびにこれまで作ったデータは使えず、作り直す必要があった。NECのPCシリーズは遅いと言われるのには理由があった。資産継承というのだろうか、NベーシックからN88ベーシックになってもそのまま使える。PC-8001で作ったデータがPC-8801で使えるということだ。これから仕事をさせようと思うと、MZよりPCがいいと私はビジネス用としてすでに発売になっているPC-8801を選択。ある人の紹介で30%OFFで本体・モニター・データレコーダ合わせて311,850円で購入。正価だと445,500円ということだ。すごい買い物をしたのが昭和58年(1983)4月。こでれフロッピーなど使おうと思えば100万円に手が届きそう。趣味って恐ろしいものだ。当時は漢字は使えず1年後には漢字ROMを購入、かな漢字変換はなくJISコードでプログラムに書き込んでいくものだった。

BASICで作ったプログラム一例


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