マイコンから始まったパソコン
1996年
今も現役 Power Mac 8500
パソコンもグラフィック機能が充実してくると画像を扱ったり、レイアウトなどディスプレーを見ながら編集作業が出来たらいいな、という欲望も出てきた。
残念ながウインドウスにはまだそこまでの機能が盛り込まれておらず、マックに頼らざるを得なかった。マックは高い。なじみがなく1から勉強...。迷っているころ、友人がさかんにマックの魅力を語る。当時彼は、カラークラシックというコンパクトなマックを持っていたので見に行った。
パソコンではこれまで見たこともない木目の細かい写真や簡単な操作。画面上で編集など出来るかの問いに、起動してくれたのがたぶんレイアウトソフトだったのだろう、写真の横にテキストで書かれた原稿を流し込むと、写真を避けて文字が取り込まれた。写真に「回り込み」の機能を付けてあったようだ。
そのとき、すでにマックを使うと決めていた。でも初めてのOSだし難しくないか?と聞くと、彼は「こうやったら出来るだろう」感覚で操作できるよ、と答えるのみ。当時パソコンを買うと、操作マニュアルがどさっと付いており、それを読んで覚えたものだ。でもマックは操作マニュアルなし。どうするの?と聞けば、ヘルプがあるという。あとでやってみてすごいと思った。作業の途中に、わからなくなってヘルプすると、それからの操作を誘導してくれる。メニューをクリックしなさい、びろーんとメニューが表示されて次ぎクリックする箇所を赤鉛筆でくるっと丸をしてくれる。これがマックの常識だった。
ウインドウス95で越年した1996年、これが私のマック元年となった。1月だったか2月だったか、まだ寒い時期だった。早速パソコンショップへ。パフォーマという入門機もあったが、画像をやる、グラフィックだ、という目標があったからPower Macintosh 7600を買ってしまった。モニターは17インチで。
画面のデスクトップにはハードディスクのアイコンと、ゴミ箱だけだった。ハードディスクのアイコンをクリックすると、マックの中身が全部ここにある。文字通りのガラス張りだ。目で見ながら操作するので、すぐになじむことが出来た。
1976年からサイドビジネスで、2,600部で年間6回発行の機関誌の編集を担当していたので、これにマックを充てるといいな。原稿だけはワープロで書いていたけど、これにレイアウト機能を加えれば、わが家が編集室になってしまう。いわゆるDTP(Desk Top Publishing)が出来る。またパソコンで夢が広がった。
DTPの三種の神器といわれた、写真などのビットマップとドロー系のソフトとレイアウトソフトがほしい。これらを揃えるとパソコン本体よりも高い。またスキャナーもどうしてもほしくなる。これで商売するのでなければ、かなりの覚悟がいることになる。とうとうグラフィックと共に、マックにはまりこんでしまった。娘が7600を狙っていたので、翌年ミニタワーのPower Mac 8500(写真)を入れてDTPを楽しんでいたが、時代もすすみCPUをG3に入れ替え現役で働いている。
おかげで画像処理が少し出来るようになって、1998年からのホームページ・コンテンツの部品作りに役立っている。今ではマックで出来ることはほとんどウインドウスでも出来るので、特にマックを選ぶ必要もなくなった。でもいまだにウインドウスに復帰できない落ちこぼれは続いている。
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