マイコンから始まったパソコン
1990年
8ビットのノートパソコンPC-8201
Windows3.0が1990年に開発されたものの、翌年の1991年にMS-DOS5.0が出てDOS SHELLがとっても使い勝手がよく、なじみのあるMS-DOSの方がWindowsより使いやすかった。
このころマックは漢字トーク7が登場して32ビット化、4GBのメモリ空間のサポート、Quick Timeによるマルチメディアなどが盛り込まれ、Mac OSの基となっている。
Windowsが日本で急速に普及した3.1は1992年に、その3.1を搭載したウインドウス機が店頭に並ぶようになった。せっかくのデスクトップを見せようとしない機種もあった。NECの98シリーズに登載したWindowsは、起動すると98ランチというメニューが画面をおおった。
またパソコンではかなりのシェアをもっていたNECの98シリーズが崩れ始めた。いわゆるDOS/V機が強力なライバルとなった。NEC独自の98とIBMのドスブイだ。エプソンが98互換機を出していたが、NEC以外の他のメーカーがすべてDOS/Vとなった。
98になじんできたので、たとえば、98ならドライブAをハードディスク、ドライブBにFDDと設定できたのに、DOS/V機はハードディスクは必ずドライブC、FDDはAと位置づけられている。変更できないか、と聞くと、世界の常識だそうだ。でもこれは現在のウインドウスにそのまま引き継がれている。このように、世界の常識にならざるを得なく、メーカーを問わずウインドウスでは、これが常識となった。
鳴り物入りで登場したWindows95は、アメリカで1995年8月に、日本では少し遅れて11月に発売され、その宣伝文句から誰もが飛びついた。パソコンもよく売れた。
私も1994年にウインドウス体験をラップトップ(膝上で操作できる、いわゆるノート)で始め、翌95年には大きな期待でWindows95を導入。しかし私にとっては期待はずれ。あまりにも約束事の多いウインドウスなら、まだ進化したMS-DOS6.3の方がうんと早くて使いよかった。
遊ぶつもりで始めたパソコンが、途中で仕事に変わり10年余。もういいだろう。ワープロ、表計算から解放されたい。これからはパソコンを遊びの道具に復帰しよう。もっともっと可能性を広げたい。コンピュータ・グラフィックなんか興味がある。今思うと、ウインドウスの落ちこぼれが基で、こんなことを思うようになったのだろう。
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