マイコンから始まったパソコン
1985年
5インチのフロッピーディスク
LOTUS1-2-3の導入で我がパソコンもだんだんと忙しくなってきた。少しずつ可能性がはっきりした形で現れてきた。
OSはMS-DOS3.1でフロッピーディスク1枚に納まるコンパクトなもので、アプリケーションソフトも同様に、LOTUS1-2-3もワープロの松も一太郎も1枚のフロッピーでことが足りた。それもカナ漢字変換機能(松茸やATOK)を含めてのことだ。
マイクロソフトはMS-DOSと平行してウインドウスを開発した。1988年にWindows1.0を出したのも、マイクロソフト社がアップル社のソフト開発をしていた経験を生かして、MS-DOS上で動作する方式を採ったのはいいが、働かすソフトもなく実用にはほど遠かった。
翌年にはMS-DOSも3.3になり、わが家に中古のPC-9801VX2が入った。フロッピーディスクは5インチのドライブが2個内蔵されている。年を数えるごとに3.5インチのFDドライブが加わったり、夢にまで見たハードディスクが20MBで10万円を割った、それっと、名古屋の大須へ走った時代だった。
Windowsが手に入った。と、友人から連絡がありVX2で働かそうという提案があった。でもメモリーが足りない。これまた中古のメモリーボードとマウスを購入、32MBでも数万円したと記憶している。何枚かのWindowsのFDをインストールして起動させると、しばらく待たされた後に、デスクトップの壁紙が現れた。「Windows」のロゴだったように覚えている。メニューを見るとゲームがある。そこをクリックしても、まだなにもアプリケーションは入っていない。ただ眺めるのみだった。
やはり本命はMS-DOS。
BASICは自分でプログラムを書いて、起動(当時はRUNだった)させると自分の言いなりになる忠実な僕(しもべ)として楽しませてもらったが、MS-DOSはもう一クラス上になったようで、複雑なプログラム開発が求められるアプリケーションソフトには手が出ないものの、config.sysのファイルを書き換えることで、自分好みのソフトに操れるとか、ディレクトリー(DIR)で少しは遊べることも出来た。
このころはコピーツールが出回ったり、ウイザードなるソフトを重宝がった人も少なくないだろう。ゲームソフトも数多くで始めて、わからないままにこのころは面白かった。
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