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みつおの独り言
[2001.1.7.〜12.21.まで]

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12月21日どうする?阪神タイガース
 プロ野球チームで、一番ファンが多いのは読売巨人ジャイアンツだろうと思う。これは解る。その次は阪神タイガースではないだろうか? ならばこれはちょっと解り難い。何しろ1992年にセ・リーグで2位になって以来Aクラスは一度もなく、最下位は今年で4年 連続を含めて6回ある。それでも今年こそ・・今年こそ・・・と叶わぬ願いにめげずに応援を続けるファンの心情は、浪花節的でもある。 3年前に優勝経験のある名将野村克也氏をヤクルト退団と同時に、阪神の監督に迎え入れて何とか最下位脱出を・・・との熱い思いも空しく、 契約の任期3年間最下位を脱出出来ずじまいに終わってしまった。その後野村監督夫人の沙知代さんの脱税騒ぎのあおりを受けて、阪神の監督辞任に追い込ま れてしまった後任に、中日ドラゴンズの前監督の星野仙一氏を野村前監督を迎えた時と同じような手法で新監督に要請して就任が決まった。

 「何でやね!」「どうして同じようなパターンでしか対応できないのや?」と思ったファンは多かったのではないだろうか? ヤクルトを優勝に導いたから野村氏を、中日を優勝させたから星野氏をと、優勝したチームの監督さえ引き抜けば阪神も直ぐ優勝出来 るとでも思っているのだろうか? そのような急場しのぎの対応で事足れりとする阪神球団の体質は、以前から多くのファン からも疑問視され続けている。野球はチームプレーで選手が対戦するものです。監督一人の力でそう簡単に勝てるものじゃない。 そんな事ぐらいは誰でも解っていることです。選手の補強や養成を長期戦略に基づいてサポートし、強い・上手な選手をどうして たくさん揃えるかである。走・攻・守のバランスの取れたチーム造りをどう進めるかに懸かっている。
 その為の戦略として、以前ミスタータイガースと呼ばれた田淵幸一氏(55)をチーフ打撃コーチとして就任させ、日本ハムから FA宣言していた片岡篤史内野手(32)の入団も発表された。これは戦力アップになるだろう。しかし問題は長打力だろう。いつも 宝くじを買うようなリスクの多い外人助っ人を頼りにしては裏切られてきた。外人をあてにするのではなく、もしうまく当たれば 儲けものぐらいの気持ちで、基本的にはチーム内の戦力強化対策だろう。
 外部から野次馬根性でとやかく言っているのは簡単なことで、現場の当事者の人達は必死で頑張っていることだろうとは思うが、 何となくピントが外れているよな対応策に思えてならない。勝負ごとは、結果が全てです。でも偶然ばかりではロングランのシリーズ で良い結果が出る訳がない。良い結果にはその原因と対策がある筈である。「・・たら、・・れば」の言い訳は通じない世界です。 私も小学校時代からの阪神ファンだけにやきもきしている。来期こそは、何とか最下位だけは脱出して欲しいと切望している。 「燃える男・星野に期待」「猛虎復活へ仙闘魂注入!」「頼むで!男・仙一」など星野新監督に期待するスポーツ紙の見出しが 賑やかではあるが、そのバックのフロントの対応にもっと期待したいところです。とにかく「阪神タイガース 何とかしろ! 頑張れ!!」 と応援しているのだ。

12月11日年寄りって?

 ある程度年を取ってくると、「じじ・ばば」とか「おじん・おばん」と呼ばれたり、もう少し上品な言い方になると「年配者」と か「高齢者」と呼ばれたりする。それに敬意を表して「長老」とか「老師」などと呼ばれたりもする。一般的に優しさを表現して 呼んでいるのが、「おじいちゃん・おばあちゃん」で、その一方で「老いぼれ」と卑下されたりもする。「老人」とか「年寄り」扱い される年齢層については、20年前に厚生省がその名称について公募し、「熟年」と呼ぶのがよいと報告されている。
 現在では、統計や老人対策の必要性から、65歳以上を老齢者とし、65歳以上の占める割合が7%以上の老齢人口比率の社会を 「高齢化社会」と呼ばれている。高齢者と呼ばれる熟年になってくると、身体的には視力などの五官の機能低下、皮膚などの 変化、運動能力・行動力・瞬発力・抵抗力などが衰えてくる。そのことから家に閉じこもったり、行動範囲や交際範囲を狭くして しまっている。

 このようにいろいろな体力の衰えは、心理的にも変化をきたし、短気で怒りやすくなったり、自我が強くなって融通性が効かなくなったり、 自制心や協調性が無くなったりしてくる。そうなってくると社会や家庭から孤立を招き、若い世代からも敬遠される原因ともなってくる。
 こうした高齢者の心理の変化によって、生活パターンにもいろいろな行動様式が出てきて、大別して4つのパターンに分類される と言われている。

  1. 成熟型 : 円熟した望ましい姿
  2. 自適型 : あきらめの生活
  3. 憤慨型 : 怒り、不平不満ばかり
  4. 自己嫌悪型 : 自分はもう駄目だと思っている
誰しも自分の職業、経験、苦労、努力や生活習慣などによって人生観も違い、老後の生活パターンも様々である。でも社会から邪魔者 扱いされるのではなく、家族や世間から愛され、迎合されるような存在の熟年と呼べる年寄りであってほしいと思う。

12月4日2001年度 流行語大賞

 毎年年末になると、その年の世相を反映する話題になった新語や流行語が選ばれ、表彰される。この流行新語だけでも、その年の 代表的な世相の動きを振り返る事が出来るので、いつも楽しみにしている。
年間大賞
・米百俵
・聖域なき改革
・恐れず、ひるまず、とらわれず
・骨太の方針
・ワイドショー内閣
・改革の「痛み」
トップテン
・明日があるさ
・e-ポリティックス
・狂牛病
・塩爺(しおじい)
・ショー・ザ・フラッグ
・生物兵器(BC兵器)
・抵抗勢力
・ドメスティックバイオレンス
・ブロードバンド
・ヤだねったら、ヤだね
語録賞
・人間て、なかなか死なないもんだ(武智三繁氏)
・ファンの皆さま、本当に日本一おめでとうございます(若松勉監督)
今年は、小泉首相の構造改革政策の話題がダントツで、ニューヨークの同時多発テロやアフガン問題についての流行新語は少なかった。 芸能関係やスポーツ関係の新語ももう少しあっても良かったのではないかなあ・・。
 流行新語は、上記のような言葉が選ばれたが、今年の印象に残った出来事では、雅子さまの女の子ご出産、アメリカでの同時多発テロ事件、 マリナーズ・イチロー選手の大活躍、狂牛病事件、巨人・長嶋監督引退などがトップ5というところらしい。来年は、どんな話題が飛び出し、 流行語が生まれてくるのか・・?楽しみだ。毎年新しい言葉が生まれ、そして忘れ去られていく。世の中も栄枯盛衰なら言葉も 栄枯盛衰。時代は、常に新しいものを求めて模索しているのです。

11月30日禁煙感謝の日

 日本は世界一の長寿国にはなったが、世界での健康志向は目覚ましく進んでいる。その内でもタバコに対する嫌煙志向は凄まじいと 言えるほど問題視されている。もはやタバコを吸う人間の行き場が無いほど追いつめられている感がする。それもその筈、今さら ここでその弊害を書くに及ばないが、タバコには、肺ガン・喉頭ガン・胃潰瘍・動脈硬化・肺気腫・クモ膜下出血などからだ全身の あらゆる機能に悪影響を及ぼしている有害物質を200種類も含んでいるという。その代表選手が、ニコチン・タール・一酸化炭素 と言うことですね。
 タバコは、税収源としては大きな貢献者であったり、喫煙が「たばこ依存症」とか「ニコチン依存症」と定義され、一つの疾病に 分類されたり、単なる嗜好品としてコーヒー・紅茶と同等に扱われたり、その論議はいたって賑やかである。しかし一般的に男性社会 では禁煙指向に、女性社会ではダイエット指向が主流のような感じがする。禁煙もダイエットも、その実行性の難しさは東西両横綱 といっても過言ではないだろうか?

 私は、今から約20年程前にダイエットに挑戦し、3ヶ月半で12Kgの減量に成功した実績がある。上背は小さく体重65Kgは 余りにも重過ぎたので、その65Kgの体重を約100日で53Kgにダイエットすることは、1日平均120gの減量だから、 そりゃ結構大変でした。でもその実績の自信と精神力を持っていながら、禁煙には過去3回挑戦し3回とも挫折してしまいました。 タバコ呑みの禁煙の難しさを痛烈に感じています。
 その困難な禁煙にもう一度挑戦しょうと決意し、絶煙を始めたのが、11月23日の勤労感謝の日で、私はその日を「禁煙感謝の日」 と名付けて、今日まで1週間我慢しました。その間病院で禁煙外来の禁煙指導を1回受け、こと細かくいろいろな禁煙ノウハウの指導を得ましたが、 結局は自分でそれを実行するかどうかの問題です。一番つらいと思われる禁煙開始後2〜3週間の「離脱症状」をどう乗り越えるか? が成功か否かのポイントだろうと思います。私は、これからがその苦しいポイントに立ち向かって行かねばならない時期になりました。 私は、この「みつおの独り言」で約束することによって、禁煙達成を成功させたいと思っております。皆さん応援して下さいね。 11月23日が名実ともに「禁煙感謝の日」と言える日が来るように・・・・。みつおの勝手な「独り言」じゃろ? と思っているのでしょうが、 勝手な独り言ではなく、禁煙決意表明です。ほんとです。「頑張りまっせ!!!」

11月17日びわ湖の水位

 大津市を主会場に開催された第9回世界湖沼会議が、去る11日から6日間の日程でその会期が終了された。世界中の71カ国から 3,650人の参加と約900の事例や研究成果が発表されて、最後に「琵琶湖宣言2001」を採択して、2003年に京滋で開かれる 第三回世界水フォーラムへのステップとして踏み出した。
 水問題には、さまざまな根の深い問題点があり、そうは簡単に解決出来ない複雑性を抱えている。その為全世界中で河川・湖沼の 保全や水資源問題に多くの関心が寄せられている。その内の一つ、びわ湖の水位について触れてみよう。

 びわ湖の水は、27,500,000,000,000Kg・・・ ? 「どう読むの?」0を3つはずしてトンに換算すると、 275億トンということになる。びわ湖の周囲は235Km、最も深い所で104m、水位が1p分でも670万トンに相当するそうです。 昨日(11/16)の水位がマイナス37pだから2億5000万トン程少なくなっていることになる。この数字は、滋賀県内の年間使用量 の1億9800万トン(県生活衛生課調べ)の1年3ヶ月分も水位が下がっていることになる。水位最低の記録は、1995年の マイナス123pだから、まだそう深刻な状態ではなさそうです。
 びわ湖の水位は、大津市南郷の瀬田川洗堰(あらいぜき)で調節されていて、冬期(10月〜翌年6月)は、夏の渇水や農業の かんがい期に備えてプラス30pに、夏期の洪水期(6〜10月)は、マイナス20〜30pに下げるように調節されている。しかし この水位には、びわ湖の下流に当たる宇治川、淀川水系の京都、大阪、神戸との利害が対立し、大雨時にどんどん放流すれば、びわ湖 の水位は下がり滋賀県の洪水の危険性は減るが、下流地域にはその危険性が高まる。逆に渇水期にも、水不足に悩む下流地域との 利害が対立して問題化している。このような治水や利水問題だけではなく、急激な水位変動は、湖岸の浜辺を削り取られたり、夏の 大渇水が起きると、シジミが干上がって死滅し、水位が戻っても貝は数年間回復しない。魚の産卵期の6月に水位を低く調節されると、 稚魚が育たず生態系が崩れる。水の浄化作用に大きな効果をもたらすヨシ地も、その水位によって新芽の成長や保全に影響を及ぼす。

 びわ湖の水位は、本来自然のまんまに任せるものなのだろうが、10年程前に、国がびわ湖の水位の規則を作り、瀬田川洗堰(あらいぜき) のゲートを操作する琵琶湖工事事務所は、淀川水系全体を調節する淀川統合管理所(枚方市)の指揮下に置かれている。確かに 水問題は、治水、利水のみならず生態系、漁業、環境保全などにからまって上下流地域との利害対立もあり複雑な問題を抱えている。 自然が自然のまんまではなく、自然を人間が管理している世の中になってしまっている。出来るだけ自然を自然のまんまに保全する 知恵を出し合って、協力しようじゃありませんか。

11月2日首相の靖国神社参拝

 今年8月の小泉首相の靖国神社参拝は、信教の自由や政教分離の原則に反するとして、昨日(11月1日)関西を中心とした639人が 大阪地裁に、四国では65人が松山地裁に提訴した。またそれに続いて九州地方を中心211人が福岡地裁にも提訴した。その他にも、 東京、千葉両地裁への提訴の準備も進められているらしい。
 提訴内容は、小泉首相は8月13日、靖国神社参拝に参拝した際、往復に公用車を使い、国の公務として行動した。また拝殿で 「内閣総理大臣 小泉純一郎」という肩書きを使うなど公的参拝であることは明らかである。「靖国神社は天皇制や軍国主義の象徴 で、参拝は憲法20条に反する上、神社にまつられるA級戦犯に敬意を表すことになる」また「靖国参拝は、国が靖国神社を特別に 保護しているとの認識を与え、憲法が禁止している宗教活動に当たる」としている。

 そもそも靖国神社は、明治2年、戌辰戦争で殉死した人々を祀るために東京招魂社として創設され、その後明治12年に別格官幣社 に列せられ、陸・海軍の管理下に置かれていた。今は、明治維新前後の戦争、日新戦争、日露戦争、それ以後の世界大戦などで戦死・ 殉職した軍人・軍属・従軍看護婦・民間人など国難に殉じた250万柱が祭神として祀られている。
 靖国神社は、これまで国家護持を目的とした靖国神社法案が出され、法的に神社の宗教性を取り除き、信教の自由への国家の干渉 になりかねないということから廃案になった経緯や、A級戦犯が合祀されている理由で、過去に植民地支配をしていた近隣諸国の国民 感情も絡まり、閣僚の公式参拝には幾多の論争が繰り返されてきた。

 今アメリカの同時多発テロ事件以来、アフガニスタンでの報復戦争やイスラエルのパレスチナ武力衝突など、人類の武力戦争の 悲惨さをまざまざと見せつけられている時、日本国憲法の前文、戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認を定めた憲法第9条、 信教の自由・国の宗教活動の禁止を定めた憲法第20条に対する条文解釈ですったもんだの論争が繰り広げられている。

 宗教問題と戦争は、世界の歴史史上幾多の紛争が繰り返されている。何とかならないものだろうか? 戦争を否認し、平和を願う 心情は、全世界の人々の永久に変わる事のない気持ちだろう。なのにその意図とは違う方向にばかり進んでいる。小泉首相も靖国 参拝は、戦没者に対する追悼・慰霊のために誠を捧げるためであって、決して戦争を美化するものではないと明言していることに、 不信感を持つものではない。なのに政教分離原則に反すると言って、宗教問題に絡むと大騒動になり控訴事件にまで発展してしまう。
 戦没者を追悼・慰霊することは、きわめて自然なことであり、大切なことだと思う。人間として当然の気持ちを、何のわだかまりもなく 公然と表現し行動できるように出来ないものだろうか? 戦争では、戦地だけでなく、原爆や空襲などで命を落とされた方もあり、 そのご遺族の気持ちを考えれば、国民皆んなが納得し、国民こぞっていつでも戦没者慰霊ができる体制を造りあげて欲しいものです。

10月22日イスラム教とキリスト教

 世界の三大宗教と言われるイスラム教、キリスト教、仏教の中で、今最も注目されているのがイスラム教であろう。別名マホメット教、 回教、フイフイ教などとも呼ばれている。最近のアメリカ同時多発テロ事件以来、特にイスラム原理主義だの急進派だの穏健派だの といろいろと取りざたされているが、もともとイスラム教とは、受胎告知の絵でおなじみのマリアに神の子を宿したと言った大天使 ガブリエルを信じるか?と問いかけている。その他に六信といってアッラー、ムハンマド、コーラン、天国、神のお定めを信じる ことを信者に求めている。
 アブラハムが100歳の時、子どもを授かると告げられ、イサクが生まれる。そのため既に彼女との間に生まれていたイシュマエル をアラビアの地へ追放する。ムハンマドは、その末裔(まつえい)だとコーランはいう。即ちアブラハムの血は、モーゼやソロモン、 イエスと同じようにムハンマドにも流れていることになる。このように見てみると、イスラム教はキリスト教(ユダヤ教)とその ルーツは同じだということになり、両教ともその聖地がエルサレムということである。

 それなのに、どうして中東で対立し合っているのだろう? もともと中近東は世界に誇る文明を持っていたが、約1,000年程 前の十字軍の殺戮(さつりく)、400年ほど前のトルコ軍による虐殺が、民族の血として相互不信と恐怖感が根底にあり、近代国家 成立過程の中で経済のグローバル化と言いながら、欧米諸国との格差に対するねたみ、恨みが怒りに転じ不信感に発展してしまったのでは ないだろうか?アラブ人とユダヤ人との民族対立やイスラエルの独立国家建設に伴うあつれき等複雑な民族対立の歴史が原因で、 イスラム教対キリスト教という宗教対立がメインではないと思う。そしてその根底にあるのは、「貧困」ではないだろうか。

 テロ根絶のためといってアフガニスタンで戦渦が広がっているが、世界中の国々の人々に貧困の格差が是正され、豊かなよりよい 生活がもたらされ、永続的な繁栄が期待されるようになれば、ねたみも恨みももっと軽減されて、テロも無くなるのではないだろうか。 時と場所と対象を選ばないテロは、絶対に許されるものではないことは、誰しも異論はないだろう。では何故テロを起こそうとする 気持ちになるのか? その原因と動機を検証し、その根源にメスを入れなければ永久にテロ根絶は果たせないように思う。アメリカの 同時多発テロに続いて、炭疽菌事件が続発しているが、生物、化学兵器テロなど次々と趣向を凝らした事件が起こりうる可能性は まだまだ続きそうな気がする。テロリズム根絶のためには、「弱き者に手を差し延べる」ための経済市場開放と自由貿易を拡大し、 貧困や格差を解消するように、全世界が協力し合うことが大切なことだと思う。もう民族や宗教などの対立の垣根を越えて、全世界が 平和と平等の民主主義の21世紀の到来を希求したい。

10月12日戦争は人類滅亡の導火線

 アメリカの同時多発テロ事件が起こってから1ヶ月が経ちました。連日連夜アフガニスタンへの空爆のニュースばかりで、世界中が 戦々恐々としてその報道に注視している。と同時に被災地ニューヨークでは、崩壊されたビルの残骸の撤去や不明者の捜査に、連日 徹夜続きの作業が続いている。ところがマンハッタン周辺には、その為にたくさんの粉塵がちらばり眼や鼻に悪影響を与えて います。またこの粉塵の中にはアスベストなど健康に悪影響を及ぼす鉱物性繊維や化学物質も含まれている為、防塵マスクを着けての 作業を強いられています。又アフガニスタン国内で今後考えられる地上戦が展開されれば、民間人の被害続出のみならず、自然破壊 も益々進みます。

 1960年代に起こったベトナム戦争では、猛毒のダイオキシンの含んだ枯れ葉剤をまき散らし、ベトナムの森林を破壊して しまっただけに留まらず、その影響で奇形児や流産やガン患者を続出させ、ベトナム国民の健康に多大な被害を与えてしまった。 その後遺症は、今なお続いていてベトナム国民の被害は計り知れない結果を生みだしてしまっています。
 そして1991年の湾岸戦争では、油田の流出でペルシャ湾が汚染されたり、油田の炎上で大気が汚染されたり、イラク国内の 自然もことごとく壊滅されてしまった。
 今地球の温暖化防止対策にとって、自然破壊はもっとも重要な要件であるにも拘わらず、また同じ過ちを犯そうとしている。 当然国際社会全体で、そんなことは充分解っていて、テロ撲滅対策との整合性のないことは承知の上ではあるが、どうも世界の 流れは思いとは逆の方向ばかり進んでいるようで、危惧せざるを得ない。テロや戦争は、人を破壊し、物を破壊し、経済を破壊し、 そして自然をも破壊してしまいます。このようなことが続けば、人類滅亡、地球滅亡の危機に陥ってしまうことは否めない。 今のテロ撲滅作戦の起因の裏には、さまざまな複雑な原因と理由があってのこと位は、充分理解してはいますが、もっと大きな 視野でものを考えた時、取りうる選択肢は、他にあるのではないかと思います。国際的に充分議論を交わして、人類滅亡への導火線 にならないように熟慮して欲しいと思っています。

9月18日元気になって欲しい

 去る9月11日 世界中の誰もが思いもよらなかったアメリカの中枢同時テロ事件の発生で、5,000人にも及ぶ死者、行方不明者が 出る大惨事になってしまった。経済、金融、証券市場、通信、交通、スポーツにまで大きな影響を及ぼし、アメリカ国内にみならず、 世界中が大混乱に陥ってしまった。ヒト・カネ・モノ全てに大打撃を与えてしまったその中で、最も悲惨な事は、5,000人と いう多数の犠牲者とその遺族の方達が出たことです。当然のことながら、世界中の至る所で犠牲者に対する追悼の式典で、 そのご冥福をお祈りしています。私も及ばずながら、ひそかにお悔やみを申し上げたいと思います。

 しかし事件は終わり、その気の毒な犠牲者は、もう帰ってきません。奈落の底に落とされたご遺族の方達の心中は、計り知れない 悲しみに落ち込んでおられることと思います。そんな時、どんな手を差し伸べてあげたらいいのだろう・・・・。
 人間がつらく悲しい時、どうすれば元気になれるのだろう? 辞書を見てみると、「元気」とは、「心身の活動の源になる力」と 書いてある。そんな時、京都市山科青少年活動センターが発行している「元気のネタ」という小冊子に「人の親切に出合った時」 「一生懸命に何かをしている人達と一緒にいる時」「ふとした時の友達のやさしい語りかけ」の時に勇気づけられたり、元気になったり すると体験談が記されている。人間が元気になれる方程式やマニュアルがある訳がない。チョットした人と人との心の結びつきで 自然と「ありがとう!」と言いたくなる時、「心身の活動の源になる力」が湧いてくるのだろう。
 阪神淡路大震災では、「生きる」という文字が復興の支えとなり、被災者達は懸命に立ち向かった。今回の同時多発テロの犠牲者 のご遺族の方達は、「元気になろう!」というテーマで立ち直っていただきたいし、その為に全世界の人達、特に交流のある近隣の 人達の温かい優しさと友情で、「元気」を取り戻さてあげて欲しい。何げない親切と優しさが人を救い、勇気を与える愛情であると 思います。

9月10日歯は健康の原点

 マウスを使った実験で、脳に障害のあるマウスを止まり木のあるケースで飼育し、止まり木に到達する時間を計ってみると、当初は 止まり木まで1分ほどかかっていたのに、一週間後には普通のマウスと同じ数秒で到達するようになる。しかし、このマウスの歯を 削ってエサをうまく噛めないようにすると、一週間たっても止まり木への到達時間は短縮しなかったという実験結果が報告されている。
 寝たきり老人の入れ歯をきちんと噛める入れ歯に治し、よく噛んでゆっくり食事をすることによって、起きあがって食事が出来るように なったり、歩けるようになったり、痴呆気味だった老人の痴呆が改善したりという報告事例もある。
 これらの事例は、脳の記憶の中枢と言われる海馬の情報伝達をになう遺伝子の働きが、噛むという行為によって、脳の機能を活性化 させていると言われている。食べ物をよく噛んだ後のほうが、脳の神経細胞の酸素消費量が多くなり神経細胞の働きが活発化し、 記憶力が向上するとも言われている。その上老化を促進する活性酸素を減らす効果もあるという。よく噛むことによって、唾液と 食べ物がよく混じり、唾液に含まれる酵素によって活性酸素の働きを弱められてしまうからだという。

 では、どのくらい歯があれば十分噛む事が出来るのだろう。
大阪大学医学部公衆衛生学講座の調査
21本以上何でもかむことができる
16本〜20本だいたい食べられる
11本〜15本かめないものがある
6本〜10本余りかめない
5本以下全くかめない
 このような調査結果を参考にして、厚生省は、80歳になっても自分の歯で十分噛むことが出来るように、 そして寝たきり老人をなくすために、自分の歯を20本残すための運動として「8020運動」を推進しています。
 歯をなくす要因は、虫歯と歯周病です。どちらも歯垢や歯石を作らないように、物を食べた後すぐ歯をきれいに磨くことで予防 できることは、誰でもよく解っていることです。歯を健康に保ち、若い容貌を保ち、よくかむことで脳の神経細胞を活性化させ、 記憶力を向上させ、老化を防ぐことがからだの健康の原点であることを、もう一度認識したいものです。
 プリンやゼリー、ハンバーガーやパスタなど噛まなくてもいい食べ物を減らし、小魚や食物繊維の多い食品をよく噛んで食べる ようにしたり、口に入れたら意識的に30回以上噛んでから飲み込むようにする習慣をつけるなど、あごの骨と歯を丈夫にして 義歯や入れ歯のお世話にならないようにしたいものです。丈夫な歯は健康の原点です。

9月6日少年と青年との境は?

 青少年問題が議論される時、少年と青年との分岐年齢がはっきりしていない。はっきり区別しなければならない大きな理由もないが、 人間として成長する過程で精神的に肉体的に成長転換する節目というものはあるはずである。
 まず3歳。「三つ子の魂百まで」と言われるように、親子のふれあいや愛情によって人間としての感受性や判断力を脳細胞の 活性化によって養われます。知性や感情や判断力のベース的なものが3歳までではないだろうか。
 次は12歳。「元服(12〜16歳)」「十三参り(数え13歳の女の子)」「子ども組(亥の子)」「大人料金(公共料金)」 など年齢的な節目。肉体的には、第二次性微のひげ、声変わり、生理、陰毛などがこの時期。人間として社会人としての生き方や 自立、自覚、責任と義務、思いやりの心など巣立ちの時期ではないだろうか。それだけにこの12歳は非常にデリケートで難しい 転換期であると同時に人間形成に大切な時期だと思います。昨今問題の17歳や20歳ではもう遅すぎます。

 青少年問題を論ずる時、この12歳が少年から青年への過渡期と考え、少年期を終え青年に成長しようとする未熟青年を、社会や 家庭で温かく迎え、大人への門出として認めてあげることが大切ではないだろうか。12歳と言えば、小学校5・6年生。立派に 成長し、全ての判断力が備わりつつある時期である。社会的にこの年齢期を重視し、立派な青年として熟成していけるような国民的 認識が必要ではないだろうか。そのための責任と義務感についても明確な法的規制もあって、本人の自覚を促す施策も必要ではないかと 思います。あまり意味もない「成人の日」なんか取りやめ、「12歳の日」という国民の祝日があってもいいのじゃないだろうか。 私は、この12歳を重視しています。

8月22日スポーツと暴力的犯罪

 第83回全国高校野球選手権大会は、今日8月22日西東京代表の日大三高の優勝で幕を閉じた。その決勝戦の相手は、春夏の 甲子園大会を通して、滋賀県勢としては始めての甲子園大会の決勝戦進出を果たした近江高校であった。我が郷土の滋賀県は、 あわや初優勝もあるかも? と県内中で沸き上がったが、結果は5対2で破れ準優勝に終わってしまった。でも「近江高校  良くやった! おめでとう!」と絶賛してあげたい。
 この夏の甲子園大会に限らず、あらゆるスポーツには幾多の感動があり、そのスポーツマンシップとマナーに熱く心を焼き尽く される。スポーツは「心・技・体」と言われ、精神と技術と体力を鍛える教育的な観点からもその効用は、今さらここで述べるに 及ばない。若い青少年の有り余るエネルギーを、一定のルールの中で爆発させ、目標を目指して集中させることによってストレス の拡散にもつながっているのではないだろうか。ところが最近報道される幼児拉致・誘拐・虐待・殺人・死体遺棄、通り魔などの 犯罪や事件は、自然環境を失い、閉鎖的な人間関係や複雑で孤立化を余儀なくされる都市生活の中で「いらいら」や「憂鬱」 「孤独感」などのストレスの発散が、社会的弱者に向けて、許されない暴力の引き金となっているのではないだろうか。

 今人気沸騰のサッカーのルーツは、イギリスでストリート・フットボールとして、死者が出るほどの激しいもので、正にスポーツ ではなく暴力大会のようなものであったそうだ。またラグビーは、イギリスの伝統的なパブリック・スクールの寄宿生活でストレス がたまり、学生間での暴力が絶えなかったので、その暴力行為を一定のルールの枠内で許す事によって、暴力の鎮静化を考えたこと から始まったと言われている。つまり若者の有り余るエネルギーと暴力をルールの範囲内で許されるものとしてスポーツが誕生して きたと言えるのではないだろうか。
 スポーツに暴力は排除され、ルールの枠内でのみエネルギーを発散させ、社会性や身体を規律化することこそ、真のスポーツと して求められるようになってきた。「心・技・体」を鍛えることにその価値観が求められるようになって、若者の暴力は行き場を 失い始めてきた。そこで発生してきたのが、合宿や部活動や寮生活の中で、下級生や弱者に対してのいじめや暴力である。このような ことは断じて許されるものではないが、若者の社会的暴力を鎮静化させるものとして、スポーツのルールを通してその暴力性を抑制 することは必要なことではないだろうか。ルールを守り、マナーをわきまえ、規律ある中で白熱戦に興奮し、憂鬱な心身をいやして くれるのがスポーツの醍醐味だろう。かと言って興奮し過ぎて、選手間や観客どおしで喧嘩や暴力を起こさないよう心がけることは 言うまでもない。
 後を絶たない青少年事件のエネルギーを、スポーツのように一定のルールの枠内で消化し転嫁させるような良い方法はないもの だろうか? 汗と涙の高校野球を観ながら、同年代の青少年事件との対比に割り切れない複雑な心境になって、考え込んでしまった。

8月11日夏バテにご注意!

 今年の夏の暑さは、ほんとうにすごい。「暑いなあ!」だけでない。「だるい!」「食欲がない!」「疲れる!」など、からだが しゃきっとしない。このような夏バテと思える症状は、汗をかいて体温調節をしようとしても、外気温が高く放熱出来ずに、全身の 自律神経が変調を来す。暑いからと言って冷房を効かしすぎて、外気温との温度差が10度以上にもなると、よけいに自律神経が適応 出来なくなって、血圧や胃腸の働きが悪くなり食欲がなくなります。
 このような夏バテの対処として次のような飲食物に気を配りましょう。
  • 脱水症状を防ぐために、適度な水分を摂る。
  • 発汗で失う糖分や塩分も適度に補給し、血流を良くする酢や梅干しからクエン酸を摂る。
  • タンパク質を摂るために、大豆食品(豆腐、納豆、大豆油など)、魚貝類を食べる。
  • ビタミンB1(うなぎ、はいが精米、ごま、落花生など),B2(牛・豚レバー、干し椎茸、アーモンドなど),E(ほうれん草、こまつ菜、 バターなど)を摂る。
  • 緑黄色野菜を摂る。特にビタミンA,C,ミネラルの豊富なトマトは最適。
  • わさび、しょうが、からし、さんしょなどの香辛料は、発汗促進を促し食欲を増進させる。
以上のような飲食にも食中毒を起こさないように、鮮度に気をつけることや、夏風邪予防に腹巻きをして寝るなど、体力の衰えている ことを自覚して、充分な睡眠をとることも心がけることが必要です。解っていても出来ないのが人間の弱いところ。それを補うのは、 気持ちの持ち方と精神力。体力を気力でカバーして、もうしばらくこの残暑を克服して「夏バテ」しないように頑張りましょう。

8月3日日本の中高生

 日本(東京)、韓国(ソウル)、アメリカ(ニューヨーク)、フランス(パリ)の4カ国の中学2年生と高校2年生を対象に 昨年7月、各国約900〜1,000人、計約3,700人にたいする意識調査が日本青少年研究所によって行われた。その結果
 日本韓国フランスアメリカ
社会に満足しているか9%19%54%72%
21世紀は希望に満ちた社会か34%71%64%86%
必ず結婚しなければならないか20%51%30%79%

という数字が発表された。この比較を見て、他国に比べて日本の子供達の将来に対する気持ちが、如何に悲観的になっているかが 読みとれる。将来に夢や目的をもてないなら、無理して頑張ることもない。今この時を楽しんでさえいればいいんだ!社会もダメ! 将来も見込みがない。だから結婚なんてナンセンスだ!何というのか目的喪失感、閉塞感が蔓延し悲観しきっているように思える。 はたしてこれで良いのだろうか?世間は景気が悪い、不況だと大人達は騒いでいるようだが、子供達は親の甘やかしに苦労知らずで けっこう豊かな生活を甘受しているのではないだろうか?
 塾やレッスンを押しつけられ、強制的な押しつけ教育に対して内心その効用に疑問を持ち、年々増加の一途をたどる離婚率が示す ように、夫婦不仲の結婚生活に魅力を感じず、先行きの見えない日本社会に不安と疑問を抱くぐらいなら、将来を気にせず携帯電話 で友達とのコミュニケーションを楽しんでさえいれば、今の人生はそれで充実しているのだ。ブランド物も通信機器も旅行代も皆親が買ってくれる。小遣いに苦労することもない。当然当面の生活に 苦しむこともないなら、敢えて好んで重圧感のある世界へ振り向くこともない。
 と いうような中高生の意識のように思われる。こんなことで良い訳がない。もっと根本的な教育改革を進めて、子供達が健全な 意識を持てるような希望に満ちた21世紀の創出を願ってやまない。

7月29日エシュロン

 戦争中には軍事スパイ、産業界では産業スパイを使って、競争社会に於いては、常に相手の情報をキャッチして自分にとって有利な 作戦と対策を講じようされてきた。それも今までは人を介して相手の秘密を傍受しようとされてきたが、最近のように情報通信技術 が発達してくると、高速に広域に大量の情報を流通させることが出来るようになってきて、その高度な電子技術を悪用し、世界中の あらゆる情報を傍受盗聴することも可能になってきた。最近最も不気味で恐怖にさらされているのが「エシュロン」と呼ばれる地球的規模 の通信傍受網である。そもそもアメリカとソ連との冷戦時代の1948年に、米国家安全保障局(NSA)が中心になって、 英語圏5カ国で作った通信傍受体制がルーツのようだが、冷戦終結後に傍受の対象が非軍事部門に拡大され、通信衛星を使って 公用、企業、私的個人の通信の分野まで傍受され分析されている疑いが持たれてきた。

 さまざまな嫌疑がかけられているが、実証された例はないとは報告されているが、欧州連合(EU)の欧州議会特別委員会が、 「エシュロンと呼ばれる通信傍受網が存在しているのは、もはや疑いない」とする最終調査報告書を採択した。ほんとうにどうなんだろう? 一説によると、世界11カ所の米軍施設にある大型パラボラアンテナで聞き耳を立てると、会話や電話、FAX、E-mailの傍受が 可能ともうわさされている。立て前としては、テロなどの反社会的行為の未然防止が目的とされているが、傍受された情報が国や 企業、私的秘密事項までもが知らぬ間に傍受されていたとなると、国家機密、産業スパイ活動、人権やプライバシーまでもが思いの ままになる訳である。そうなったらえらいこっちゃ!

 アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージランドの5カ国は、民間通信の傍受は当然のことで、エシュロンの存在 自体も否定しているらしいが、欧州議会特別委員会が採択した報告書は、「5カ国の秘密協定のもとでエシュロンが存在することは もはや疑いない」とし「目的は産業や個人に対する通信傍受である」と報告されている。実体はどうなのか判らないが、とにかく 薄気味悪い不可解な時代になってきたものだなあ・・・と実感する。時代はもう我々凡人にはどうしようもない不気味な世の中に なってしまったと諦めるしかないのだろうか?

7月16日第19回参議院選挙

 去る12日に公示され、7月29日(日)投票日の参議院選挙には、改選議員121名に対して496名の立候補者によって争われることになった。各地の 選挙区では、改選73名に対して292名で競争率4倍、全国区の比例代表では、改選48名に対して204名で競争率4.25倍、 平均で4.1倍になった。今回は、近年になく国民の関心が高く、無党派層の動向が注目の的である。小泉首相の掲げる「聖域なき 構造改革」が論戦の争点になっているが、届け出された14政党・政治団体の内、公示前日の党首討論で、この選挙のキャラクター ネームとして掲げているのが
  • 自民党:米百俵選挙
  • 公明党:構造改革選挙
  • 保守党:新世紀選挙
  • 共産党:日本改革選挙
  • 社民党:反小泉式改革選挙
  • 民主党:神隠し選挙
で、アピールの主役は「改革」である。各党の改革の中身を比較してみても、どうも訳が解らない。どの政党も他党特に自民党の 言葉の揚げ足をつかまえて、いかにも自分の政党の改革論が最も国民主体の政策のように言い回しているが、結局は政党エゴにしか 思えない。各党の改革論の差異を納得のいくように明確に説明出来るほどの説得力はない。
 その根拠は、比例代表の非拘束名簿式が導入され、個人名投票と政党名投票のどちらで投票しても良く、その合計で各党の議席数が 決まり、個人名投票の多い順番に比例代表の当選が決定されるということになった。その為知名度の高いタレント候補者が有利だろう と言うことで、多くの政党が、学者や作家、スポーツ選手、芸能人などマスコミで名前の売れている人をわんさと立候補させ、 その知名度に頼る作戦に出ていることだ。比例代表制がなかった1980年以前の参院選の全国区は、選挙費用や過酷な選挙で 「残酷区」と呼ばれ、批判と改革の標的にさらされ、議論百出したことを忘れて又同じ過ちを繰り返そうとしていることだ。

 先日、経済、労働、学術界などの有識者でつくる「新しい日本をつくる国民会議」が、衆参国会議員全員を対象に実施したアンケート 結果を公表されたが、その中で「国会議員の語る言葉は、信頼されない或いは余り信頼されない」と自ら不信に思っている議員が、 58%も居るということだ。その上「政治家の討論能力は低い」と認識している議員が54%もあるということだ。何とも情けない 数字ではあるが、自らそれを認識し、謙虚に反省しているような格好をしているのだけは、大目に許してあげよう。
 メディアと政治との関係では、新聞とテレビとの影響力の比較では、87%がテレビの影響の大きさを感じているようだ。その為 テレビで顔が売れている有名人を全国区に立候補させれば、政治家としての討論能力はなくても、議席数を稼げるという単純な 計算で、金のかかる「残酷区」に名を連ねているという無責任選挙であるということを見きわめなければならない。
 タレント議員が全て悪いと言っている訳ではない。その人の資質や能力を充分観察し、国民の代表としてふさわしい人かどうかを 見極め、また政党の政策の本質を良く吟味し「改革」の方向を間違わないように検証する参議院選挙にしたいものだ。今度こそ 頼みまっせ!

7月6日温暖化対策

 地球温暖化防止のための京都議定書批准問題で、アメリカのブッシュ大統領が議定書離脱を表明している事に関して、アメリカ、 イギリス、フランス歴訪した小泉純一郎首相が、アメリカとEUとの板挟みになり、その橋渡しに苦慮している。京都議定書は、 地球温暖化防止のための温室効果ガスの国別削減率や基準年や柔軟条項などを規定する国際的な約束である。地球の温暖化については、 地球環境を破局に導きかねない重大な問題であることは、もういまさら無視することは許されない局面に来ている。
 このような地球規模的な対策は、来る16日にボンで開催される地球温暖化防止会議(COP6)や20日のジェノバ・サミット などの国際的な会議に委ねることにして、私達が身近な日常の生活で一人一人が心がけなければならないことがたくさんあるのではないだろうか。

 温暖化の原因とされるCO2の排出を削減する方法として、提言されていることを列挙してみると・・・

  • 冷蔵庫の開け閉めを1日10回少なくすれば一年間でCO2を2s減らす事が出来る。
  • ガスこんろのつけっぱなしを1日5分少なくすれば、一年間でCO2を2s減らす事が出来る。
  • 食器洗いや洗顔時に、水の流しっぱなしを1日に3分少なくすれば、一年間で1.8s減らす事が出来る。
  • 夏の冷房を1日1時間短縮すると、4ヶ月で2s減らすことが出来る。
  • 冷房の設定温度を1度上げれば、4ヶ月で1.8s減らすことが出来る。
  • ゴミを1日1s減らすと、1年間で87.5s減らすことが出来る。
  • アルミ缶を1日1本リサイクルすると、1年間で18.3s減らすことが出来る。
  • スチール缶を1日1本リサイクルすると、1年間で3.7s減らすことが出来る。
  • 瓶を1日1本リサイクルすると、1年間で3.6s減らすことが出来る。
  • 紙パックを1日1本リサイクルすると、1年間で7.2s減らすことが出来る。
  • マイカー通勤を往復10q電車通勤にすると、1日で0.54s減らすことが出来る。
  • マイカー通勤を往復10qバス通勤にすると、1日で0.58s減らすことが出来る。
このようにちょっとした心がけで全国民が取り組めば、ものすごい量のCO2削減が可能なのです。その他テレビ、ステレオ、電灯、 扇風機などのつけっぱなしなどの配慮。そして私が特に気になるのが、車のアイドリングである。駐車場や道ばたでのしばらくの人待ち駐車 ならともかく、暑い夏の昼どきに木陰やガード下で、エンジンをかけっぱなしにして冷房をきかせて長時間昼寝をしているのは、 排ガスと騒音を外にまき散らしておいて、自分だけは車内で快適に眠っていればいいというエゴは許せない気持ちになる。もう少し 公共的マナーを心得て欲しい。このようにお互いがほんの少しの心がけで、地球の温暖化防止につながり、子孫に禍根を残さない ようになるのではないだろうか。

6月23日近江商人と構造改革

 私達の偉大な先人の近江商人は、天秤棒一本で全国を行脚し、国内のみならず海外までも広く交易を広め、巨万の富を築き上げてきました。 今なおこの功績は高く評価され、私達にその精神とノウハウを教えてくれています。その精神の根幹をなすものは、「勤勉」「努力」 「忍耐」「寛容」「始末」「倹約」「陰徳」「善事」の心構えです。全国各地にその地方の情報を収集し伝達する情報ネットワークを 持ち、全国各地に出店し物流の合理化を確立し、資金調達方法や人材の育成に力を入れ、商売の精神で有名な「三方よし」と言われる 「売り手よし、買い手よし、世間によし」の精神で世の中の為に役立ち、社会に貢献出来る商いを目標に頑張って来た手法は、永久に 語り継がれるすばらしい功績だと思います。

 一方今日本で最も注目されているのが、マリナーズのイチローと小泉首相の構造改革じゃないだろうか。イチローのことはさて置き、 長期にわたる景気低迷にうんざりしている国内経済を、どうしたら回復させることができるのか?議論百出している時に、国民支持率 80数%の驚異的な人気で関心を持たれているのが、「構造改革」という政策を掲げる小泉首相です。
 「構造改革」の根幹となる政策である経済財政運営の基本方針が発表された。景気対策、不良債権処理に伴う失業者の雇用対策、 高齢者医療と社会保障問題、道路・港湾などの公共投資の社会資本対策、地方分権を目指す地方財政対策、特殊法人や郵政三事業 の民営化検討など多岐にわたっています。中でも特殊法人については、特殊法人等改革推進本部の会合で74の特殊法人と83の 認可法人の事業見直しの基準とその対策の試案も発表された。それ等の詳細な内容は、全て過去のマンネリを打破し、無駄な出費を 抑制し、成長性の期待出来るジャンルに集中投資して効率を高め、経済回復を図ろうと意図された計画書である。

 「近江商人の精神」も「構造改革の精神」も「三方よしの精神」でなくてはならない。今日本国民全般に求められている心構えは、 近江商人の精神を噛みしめて見習って欲しいと感じます。質素な生活をし、信用を重んじ、利益を先に考えず、おごりを戒め、 仕事を先送りせず、勤勉に努力する、忍耐し人を許す、倹約して後始末をしっかりする、自慢せず隠れた善事で世の為に尽くす。 口先で言ったり、記事として書いたりするのは、至って簡単なことです。しかし以上のような精神を確実に履行するのは、生やさしい 事ではありません。可成りの痛みと苦しみに耐え忍ばなければならない事だと思います。でも日本国民全体の共同責任として、 一人一人が受け止めなければならないことではないだろうか。自分の周りに火の粉が迫ってきたら、必死に払い退け逃れようとするが、 関係のない対岸の火事には見向きもしないような心構えでは、今の日本の再生は難しいのではないだろうか。
 このような時に、滋賀県や滋賀県出身経済人等でつくっている「AKINDO委員会」が、近江商人の精神を生かした新しいビジネスプラン を模索するコンペを高校生や大学生に呼びかけて、将来の有望な経済人育成に乗り出しているのは、非常に結構なことです。近江商人の 精神は、一口では言い尽くせない奥の深い意味合いがあり、近代商法のルーツと言っても過言ではないかと思います。
 構造改革も近江商人の精神を見習って、くじけず実行して欲しいと願っております。どうか小泉さん聖域なき構造改革に、 既得権益を守ろうとする省庁や族議員の抵抗に屈せず、リーダーシップを発揮して頑張って下さい。

6月18日父の日に思う

 6月第3日曜日の昨日(6/17)は、父の日である。朝新聞を見て感じたのは、新聞の隅から隅まで探しても一行も父の日に関する 記事がない。4コママンガに父をひねくる当てつけのストーリーのマンガがあるだけである。母の日に比べて雲泥の差である。 男女平等、男女共同参画社会を謳っている以上、お義理でしょうがなく無理矢理創っている「父の日」の感がする。世の中の父とは 、その程度の存在なんだろうか? でも妻を亡くしている私は、父親しかいない子供達の心づくしで久しぶりに琵琶湖の畔で、 家族みんなでバーベキュを楽しませてもらった。普段からあまりアウトドアーの遊びをしない私に対する、子供達の思いやりのある 暖かい配慮に感謝している。

 父の日と母の日とが、どうしてこんなに世の中の待遇がちがうのだろうか? 子供に対する責任と義務は父も母も同じである。 しかし子を産み育てるという過程では、比較にならない大きな違いがある。女性が妊娠し10ヶ月も重いおなかを抱え、出産の苦しみに 耐え、出産後は一日に何回となく乳房を含ませ、おむつを取り換え、稚児に気遣いながら添い寝をし、夜昼問わず子供の成長を 見守って育ててきた母親は、父親とは比較にならない「子供とのふれあい」のもとに、一生忘れることの出来ない親愛の情が心に 焼き付いているのである。子どもを産み育てる作業は、女性の母親の仕事と言ってもいいのじゃないだろうか。「親は無くても 子は育つ」なんて言葉は、男達が勝手に作ったことわざで、母親の苦労を考えたら、とてもそんな勝手な言葉を吐けるものではない。 子育ては、女性として生涯で一番大変な事業の筈である。
 その子育ては、母胎の時から始まっていて、生まれる数ヶ月前から母親の声を聞きながら育っています。だから生まれたばかりの 赤ちゃんでも、母親が声をかけると安心して眠ります。体力のない赤ちゃんは、夜泣き、風邪、下痢、高熱、あせも、ただれ等々 心配事の連続、病院通いを繰り返しながら子育てをしている苦労を、男親はどれだけ知って協力しているのだろうか?母親は、 こうした苦難の道のりを克服して、ほんとうの愛情がしみついて育っているのです。こう考えると、口先では父親は「責任を持ちます。 義務も果たします」なんて言っていても、母親の何分の1かの手助けしかしていないのです。

 「母親の愛は、山より高く海より深い」と言いますが、正にその通りで、父親の愛の比較にならない重みがあるように思います。 よく子ども達に「誰のお陰で大きくなったと思っているんだ!」と叱りつけるのも、男親の思い上がりである。「母の日」と「父の日」 を比較して、父の日の冷遇に妬みを感じる男親を恥ずかしく思います。男親は、もっと次元の違う責任と義務を負わねばならない。 新聞に記事が無いのも当然で、マンガでひねくられる程度で満足しなければならないのじゃないでしょうか。

6月9日

 温暖な気候と豊かな水資源の琵琶湖を持つ我々滋賀県人は、水の恩恵に気付かずに当たり前のように「水」を使って育ってきた。 年を重ねるに従って、暴風雨や台風での洪水被害や落石被害、地震や火災での水不足、水質汚染による生息魚類の生態系の変化、 電力不足を補うためのダム建設問題、地球温暖化の影響を受けた渇水や洪水など「水問題」に絡む話題が増えるに従って、 水の恩恵と大切さをしみじみと感じるようになって、「母なる琵琶湖」を愛おしく思えるようになってきた。 水はタダで無尽蔵に使え、安全で自由に飲めるものと、勝手に思って育ってきた自分が、大きな間違いであったと気づいたのは、 国内で「・・・・の水」と謳ってペットボトルで売り出された時であった。今から10数年前のことではあるが、 その頃には既に国外では、「ミネラルウオーター」として有料販売されていたようだった。それから以後は、「水」に対する意識と 関心が急速に高まり、水の大切さと恐さを痛切に感じるようになった。ちょっと鈍感でアホな自分が情けなかった。

 琵琶湖では、水質汚染による赤潮の発生やブラックバスやブルーギルなどの外来種の影響で在来小魚の激減、細菌によって魚体 に穴があく冷水病の影響で激減しているアユ対策、内湖の一つ「西の湖」をラムサール条約へ追加登録を目指す取り組みなど 琵琶湖総合開発と合わせて多方面な見地から対策を講じている。一方もっとグローバルな見地から解決策を検討しようとする 「世界水フォーラム」が2003年3月に滋賀、京都、大阪の3府県で開催されることになっていて、その準備会合も先日 3日から3日間国立京都国際会館で開催されている。今年の秋には「世界湖沼会議」が滋賀県で開催されるため、湖沼保全をめぐる 国際会議も頻繁に開催されるそうだ。

 人口の急増や産業開発に伴う水不足や水質汚染、森林の伐採や地球温暖化の影響と思われる枯渇による渇水や洪水、地下水の 低下、その為に伴う食糧不足や伝染病の発生。今や発展途上国では水資源確保と施設整備の遅れから8秒間に一人の割合で、 幼い子供が亡くなっているという。そして病気の8割の原因が水不足や汚染水が原因と言われている。我々のように水に恵まれて いる者には、とうてい考えられないような悲劇が、世界中で多発しているという現実を見過ごしてはならないと思います。

 「水」は人間の生存に不可欠な絶対的な資源です。国連の調査では、このままでは25年先には48カ国が水飢饉になってしまう と推測されている。そのような事態になれば、地球的被害で世界は崩壊する。もう猶予は許されない所まで切迫していることを 痛感しなければならないと思います。その為には我々一人一人が、世界を救う為に人類を存続させるために、何をどうすべきか? もっと真剣に考え取り組まなければならないのではないだろうか。

5月29日男女共同参画社会と女性投手

 昨日(5/28)、東京・神宮球場で東京6大学野球春期リーグ戦、東大対明大2回戦で東大・竹本恵投手と明大・小林千紘投手が先発 投手として投げ合い、6大学リーグ史上初めての歴史的な出来事としてマスコミを賑わわせている。スポーツの世界では一般的にその肉体的 ハンデを公平にするために男女の区別をつけるのが通例である。男女混合ダブルスのテニスや卓球などもあるが、レスリング、柔道、ウエイトリフティング、 ボクシングなど肉体的ハンデに影響のあるものは、ウエイト制でその公平さを維持している。スポーツは体力、技術、記録の向上を目指して、 人間の力の限界に挑戦することにあるとは言うものの、そこに勝敗という名誉と誇りを得るための精神的競争原理があって成り立っている。  野球に男女の肉体的ハンデがあっても公平を維持できるスポーツだろうか?人気取りや話題性、集客目的など興業志向があるのなら アマチュアスポーツではない。最近の男女共同参画社会の理念を、あまりにも拡大解釈し過ぎてはいないだろうか?

 女性が野球をすることには何ら異議がある訳ではない。女性が男性並の体力と技術を持ち合わせていて、実力的にそん色のない 対等の勝負が維持できるのなら、男女共同参画スポーツとして結構なことだ。しかし客観的に広域的、長期的に無理があるのではないだろうか? 男女共同参画社会基本法の基本理念は「男女が互いにその人権を尊重しつつ、責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と 能力を十分に発揮することができる社会」を作ろうというものである。その背景には政治的、経済的、社会的、文化的利益を享受 する事が出来る社会を目指している。もっと具体的には、今までの男女の固定的な役割分担を排除する事。即ち家庭内での家事や育児の分担、 社会での政策・方針決定過程への女性の参画、夫やパートナーの暴力から女性を守るための法整備、企業内での男女間格差の是正、 育児休業制度の整備、保育サービスの整備など女性への弱者救済的取り組みが課題になっている。

 このように趣旨・目的を考えてみると、東京6大学野球への女性参加とは可成り視点がずれているように思える。女性の社会進出や 社会参画は大いに結構で歓迎するが、何でもかんでも女性が男性と対等に勝負できるばかりではない。女性の肉体的ハンデを考慮して、 公平な条件整備を整えてから、社会参画出来るようにすることこそ、男女共同参画社会基本法の本来の趣旨ではなかろうか。今回のことは どうも理解出来ない。 

5月23日人間的な人間

 「お座り! お手! お替わり! 待て! よし!」と言う命令に忠実に従い、嬉しそうに餌を食べる「ビビ」というミニチュア ダックスフントを飼っている。知らない人や不穏な物音には敏感に反応し、大きな鳴き声で番犬としての本能をさらけ出す。ボールが好きで、 投げたボールを無心で拾いに行き、手元まで持ってくる。何度でもくたくたに疲れても、それでも嫌がる様子もなくボールに向かって 走って行きまた戻ってくる。嬉しい時は飛びついて、所かまわずなめまわす。飼い主には絶対噛みつくことはない。口の中に手を 突っ込んでも歯ぐきで歯を丸めて、危害を加えることはしない。こんな愛犬が愛しい。

 それに引き替え、人間の親が我が子をせっかんしたり、食事も与えず餓死させたり、育児が煩わしいからといって我が子を捨てたり、 考えられない残酷な事件の報道を聞くたびに、子育てからしつけ、教育、マナーに至るまでもっと動物から見習う必要があるのではないだろうか。 犬でも人に危害を与えることの愚かさを知っているのですよ。

 人の大脳は、三つの層から構成されていて、一番外側の表面を皮質といって、思考や知能など高度な精神活動をつかさどり、物質的に精神的に 豊かな暮らしをもたらしてくれている。その下の二層、三層は、食欲、性欲など動物的本能の中枢が分布している。だから誰しもこの動物的な 本能を持ち合わせているのだが、「人間は万物の霊長」と言って、自分を勝手にあがめ、他の動物や動物的なことを見下げてはいないだろうか? 人間が人間的である一面に、動物的なものを否定出来ない側面を持っている。「人間的な、あまりにも人間的なものは、たいていは、 確かに動物的である」と芥川龍之介が言っているのは、人間の本質を端的に突いているように思う。私は人間が純粋に動物的であるという言葉に 共感し、愛おしさと親しみを感じる。

 人間と人間、人間と動物、人間と生物、人間と自然とのふれあいを大事にしながら、「人間的な人間って何だろう?」と考えて みたいと思います。犬が純粋に人間との共生に順応し、動物的な可愛らしさを見るにつけ、人間に動物的な純粋さを感じられなくなってきた この頃に淋しさと悲しみを感じて、思いをしたためてみた。どうか「知らない人には近寄らない、話さない」なんて標語が街に貼り出されない ような、そんな世の中になって欲しいと願っている。

5月5日構造改革と倫理法

 小泉純一郎氏が地方自民党員の圧倒的支持によって総理大臣に任命され、マスコミのアンケート調査でも8割の支持と期待を持たれている ことが報道されている。疲弊しきった政治と傲慢過ぎる霞が関の役人どもに業を煮やして、何とか日本の政治、経済、産業などの体質を、 根本的に洗い流して、構造改革を期待している日本国民気質を如実に表明している結果である。派閥と数の論理だけで国民の意思を 度外視した古い自民党体質に対する反感の表れでもある。こうした政治不信と政治無関心が無党派層を創り上げ、みんなあきらめと 挫折感を抱いて、永田町と霞が関にそっぽを向いてしまっている。そもそもその根源は、政・官・業の癒着が不透明な裏取引を生み、 汚職とスキャンダルの渦の中での政治になっているからだと思う。1988年のリクルート事件、1996年の厚生省汚職事件に続いて、 1998年に大蔵省の官僚が金融機関から風俗店やゴルフの接待を受けた大蔵省汚職事件をきっかけに、関連業界とのつきあい方を 規制する国家公務員倫理法が制定された。

 国家公務員は、利害関係者から餞別、祝儀、香典、供花、飲酒・ゴルフ・観劇・旅行の接待、金銭・不動産の貸し付け、 無償のサービス、割り勘でも ダメと規制されている。本省の課長補佐級以上の役人に5,000円以上の贈与を受けた場合には、報告を 義務付けられている。私は、当然のことと大歓迎したい。ところが従来から官・業の癒着にどっぷり漬かって、当然のようにその 図式に慣れ親しんできたお役人達には、窮屈で面白くないだろう。そこで何だかんだとこじつけの理由を並べて、規制緩和と 倫理法の改正と見直しを呼びかけている。その官僚の圧力に屈し、副大臣や閣僚の一部からさえも同調の動きがあるという。 「なんたるチーヤ!」行政改革、政治改革、教育改革を唱って、世の中を改善しようと動きだしたら、大臣様がブレーキをかけようと言うのか? 小泉さん!このような公務員のモラル低下を断じて受理しないでいただきたい。もっともっとお役人様に反省と自覚を促し、政治に対する 責任と義務を認識していただくようカツを入れてください。ましてやKSD事件や総理府機密費事件の批判の声が渦巻いている最中にも 拘わらず、倫理法・倫理規定の見直しとは、とんでもないことだ。一般国民は、お茶、コーヒーだけで情報交換やお付き合いをして、 取引もしているのです。構造改革の第一歩は、霞が関と永田町から手を付けていただきたい。

4月23日医療改革とネット公開

 今年から70歳以上の高齢医療費負担を、従来の一回530円の定額制から、外来、入院とも原則1割の定立制に改革する医療保険制度に 改正された。一昨年の医療費は、28兆5千億円のうち70歳以上の老人医療費が11兆8千億円と約4割を占めるようになり、年々増加の傾向 にある。このような状態では医療保険制度を圧迫し、財政破たんも時間の問題となっている。現在の老人保険制度は、自己負担以外の 医療費の3割を国と地方自治体が負担し、7割を健康保険組合や国民健康保険で拠出している。だから当然老人医療費が増えると、 健康保険組合の財政も圧迫してくる。今年の見通しでは、全体で3,800億円ほどの赤字収支になるのでは・・との健康保険組合連合会(健保連) の予測らしい。このような事態になってくると、その拠出金の負担割合をめぐって言い分が対立するのもやむを得ない。

 そこでIT革命の一環として、登場してきたのがインターネットを利用して病気の標準的な治療法を公開して、治療の質の向上や 無駄な治療を省いたり、薬漬けや検査漬けなどの無駄を少なくして医療費の抑制を図るのが目的であろう。勿論全ての病気を対象にすることは 最初からは、とても無理だろうから、当初は高血圧症、糖尿病、リウマチ、ぜんそく、胃潰瘍、アレルギー性鼻炎など患者数の多い 病気が対象になりそうだ。

 おそらく誰もが経験したり聞いたりしていることだろうが、病院や医師が変わると、病名の説明や治療法や薬が変わって、どの先生の 診断や薬の処方が正しいのか疑わしくなる。患者が臨床試験台に乗せられているような気分で不愉快になったことはありませんか? これは、最近の医学の進歩が速くて、医師も新しい治療法の勉強に付いていけなくなっている。勿論日常の診療に追われて、その時間的 余裕がないことも一つの理由ではあるが、「医科大を卒業しても、10年経てば、ただの人」と言われるほど、医学の進歩は速いそうだ。 進歩した医学の情報をネットに載せて、医師だけでなく患者にも公開する事によって、現在の治療法と最新の治療法とを比較検討して、 より良き方法が知識として得られれば、必要以上の医療費を省くことにもつながるだろう。新しい医療を新しいメディアで活用することこそ IT革命の真髄ではなかろうか。 

4月12日褒め言葉

 私達日本人は、みんなの前で褒めてもらえるのは、一生のうちで結婚式と葬式の時ぐらいで、日常生活や社会生活で褒めてもらったのは、あまり 記憶にないのではないだろうか。どうも日本人は、褒め言葉は不得手でなじまないような感じがする。だから世界でも評判が良く ないし、外交が下手である。何故、日本人は人をほめないのだろうか?いろいろな理由があるのだろうが、歴史と社会環境によって 培われた人間性のような気がする。
  1. 歴史的に上下関係や身分階級があったり、親分・子分の序列が「叱って育てる」とか「愛のむち」という風土が根ざしていること。
  2. 就業では、終身雇用制度の慣習や、職人と弟子という修行と辛抱と忍耐が当然の美徳のように思われてきたこと。
  3. 文化的特性として、「これでよし」というより「まだ、まだ・・」という向上心や、調和・和合を重んずる集団社会が、自我を 捨てる謙虚さが、自分を誇るのは「あさましい」とか「はしたない」ことのように思わせてきた。
 はっきりした根拠は解らないが、「とにかく人を褒めたりしないこと。褒められると知者も寓者も自慢するものである。褒めることは 人を駄目にしてしまう」という考え方が一般社会に根ざしているように思われる。しかしグローバル社会では、褒めることは相手を 認め、自信を持たせ、勇気づけることにつながると考えられている。褒められることの少ない日本人は、褒め方もわからないし、 褒めてもらっても、素直に喜ばない偏屈な感情を持っていた。

 しかし時代と共に、国際感覚を身につけマイホーム主義的な感性を持った若い世代の台頭で、いろいろな価値観も変わり人間関係の変容で、 自分を理解してもらうと同時に相手を認めようとする考え方が芽生えてきたように思う。非常に良い傾向だと思う。相手を認め共感 することには、笑顔で褒めることによって、雰囲気も良くなり、自信を持って行動する積極性も出てくること間違いなしである。 どうか過去のゆがんだ風習や慣例に惑わされることなく、もっと「褒め言葉」を勉強して、世の中を明るくしようじゃないですか。

4月2日年寄り社会に思うこと

 日本の30年前までの出生は、年間200万人以上あったものが、その後次第に減ってきて、近年は120万人までになってしまっている。 日本の人口を維持するには、一所帯当たり2.08人は必要と言われているが、現在は1.34人となっている。これでは50年後には、 日本の人口は約1億人になってしまうと推計されている。この状態が続けば、1000年先には日本人は居なくなってしまい、地球上に日本と言う国が 無くなってしまうと言う馬鹿げた計算をする人もいる。

 年少者が減り、65歳以上の年寄りが人口の14%以上になる場合を「高齢社会」と言うのだが、日本は1995年にこの水準を越えている。 近年の経済不況の影響で、倒産やリストラ、希望退職者などで、高齢就業者が少なくなっていて、国を挙げて高齢者雇用や企業年金の 安定運営、介護保険制度の整備など、その対策にやっきになっているが、なかなか好結果を生み出せないでいる。それどころか 痴呆や知的障害者や弱体者が、悪質な商法にだまされたり、老人虐待の被害になったり、年寄りの犠牲者が増えているのは、 大きな社会問題である。

 一方少子化の影響で年少人口が17%という人口構成では、将来の労働力特に活力ある若年労働人口の弱体化と、年金や医療費の 増大に対する若年者への負担増大から生ずる経済活動の沈滞で、社会の活性化に大きなマイナス影響が危惧されることになる。 その為中教審は「少子化と教育について」の報告書を出していて、男女の未婚化、晩婚化をその原因として捉え、女性の子育て、 家事負担、家事と仕事の両立の難しさ、女性の経済力向上、親への依存期間の長期化など女性対策に重点をおいている。それに 加えて子供の教育についても、幼少期の家庭、保育所、幼稚園、学校や地域での役割分担を明確にすることなど「多子化」のために 社会政策の必要性を提言している。

 このような将来不安については、誰しもが予測できる状況で、その対策も議論百出していて、なかなか具体的な的確な施策が施されていないのが 現状である。一体どうすればいいのだろう? 誰しも将来にたいする不安が先走っていては、全てにネガティブにならざるを得ない。 年寄り社会の到来なら、年寄りになった時の不安を取り除き、安心して自分の老後に光明を見いだせる社会環境こそ、全てにポジティブ にアタックできる気持ちになれるのではないだろうか。

3月12日ブラックバスは有害か?無害か?

 河口湖(山梨県)では、魚釣り愛好家にブラックバス釣りが人気があり、年々その数が増えていることに目を付け、漁協がバスを 釣り資源として公認し、積極的に放流するだけでなく、入漁料を課し駐車場整備などにその資金を充てようとする方針を打ち出した。 しかしブラックバスやブルーギルなどの外来種が、タナゴ類など在来の小魚を好んで補食するため、当地琵琶湖など肉食性の魚がいなかった地域では、 小魚が激減し、従来の生態系が崩れてしまって被害が多発している。その為「駆除か?擁護か?」「有害か?無害か?有益か?」の論争が 社会問題にまで発展している。自然環境への悪影響が懸念される側面と人間の趣味として有益な資源としての側面の両面を併せ持つ 外来種に対する対策には意見が分かれるところである。

 魚類だけではなく、植物にも問題の外来種があり、ハリエンジュ(ニセアカシア)、オオブタクサ、セイタカアワダチソウ、 アレチウリなど群落の勢力が強く在来種を排除したり、窒素を固定し土壌の成分を変化させたり、花粉症を引き起こすなどの 被害の出ている外来植物もあることから、遂に国土交通省の外来種影響・対策研究会(座長・鷲谷いづみ東大大学院教授)は、 地域固有の生き物を脅かす外来種の駆除を含めた対策案を固めた。しかし外来植物も悪影響ばかりではなく、ハリエンジュは 希少なチョウ、コムラサキのすみかになっていたり、アフリカ原産で紙の原料となっている一年草ケナフは、CO2を吸収し地球温暖化 防止の効果もあるとされている。
 国土交通省は、

  1. 外来種がとりわけ猛威を振るう河川での抑制と駆除
  2. 河川周辺の緑化工事で外来植物ではなく在来種の活用
に2001年度以降本格着手するらしい。いづれにしても利害関係がからむ問題には、両者の言い分は真っ向から対立する。だから 水産庁のようなお役所は、ブラックバス釣りを認める水域を限定的に設ける一方、環境被害のある水域では駆除を推進するという 「すみ分け」方式を提案して、両者の言い分を引き分けようとしている。このようなどっちつかずの方法でお茶を濁して、問題解決が 出来る訳がない。外来種の繁殖力を考えたら、将来的にその被害増加は明らかである。従来からの自然環境を取り戻すには、 全面的に完全駆除を推し進める以外に禍根を残さない方法はないように思う。私はそう思う。「ブラックバスとブルーギルに関しては、 完全に有害魚である」と断定したい。

3月5日生活習慣病

 40歳を過ぎると、成人病検診と言って、胸部レントゲン、血圧、血液検査、検尿などを施してスクリーニングで成人病の一次検査が 施行されていた。勿論現在でも健康診断は行われているが、「成人病」と呼ばずに「生活習慣病」と表現されるようになっている。 これは生活環境や習慣、職業によって発生する病気で、日常生活の食事、運動、睡眠、仕事やいろいろな精神的要因が原因で発生する病気 で、子どもでも発生している事例もあり、家族の遺伝性や職場環境によって症状がでるので、年齢に関係なく「生活習慣病」と呼ぶ方が 適切と思われている。

 健康診断の一次検査で異常が見受けられたり、食欲不振、全身の倦怠感、腹部の痛みや張りがあったりする場合には、CT(コンピューター断層映像)、 エコー(超音波検査)、MRI(磁気共鳴映像法)、内視鏡などによる精密検査が必要になってくる。だいたいこの病気は、自分の 精進や心がけで未然に防げる場合が多いが、自己の努力では防げない大気汚染や食品添加物などによって発生する場合もある。日常の 摂生や注意で発病を予防し、もし異常を感じたら早期発見、早期治療を施すのは当然のことながら、生活習慣病の原因と症状を挙げてみよう。

食べ物
好き嫌いの激しい偏った食事は、高血圧、高コレステロール血症で、心筋梗塞、脳卒中。
高血糖は、糖尿病、神経障害、腎不全、心筋梗塞。
レトルトやインスタント食品ばかりでは、アレルギー疾患、肝臓障害。
飲酒
肝臓機能障害全般、肝硬変、肝臓がん。
膵臓機能障害、慢性膵臓炎。
腎臓機能障害、慢性腎臓炎。
精神障害からアルコール依存症。
職業
吸入物質から気管支ぜんそく、慢性気管支炎。
姿勢により腰椎ヘルニア、頸椎(けいつい)症。
長時間のコンピューター使用により視力障害、ストレス神経症。
遺伝性
糖尿病、高血圧。
大気汚染
アレルギー性鼻炎、気管支炎。

2月18日エコノミークラス症候群

 最近の海外旅行は、近隣地区の東南アジアへは一巡して、だんだん遠くの国々へ旅行する人達が増えてきたようです。長距離の飛行機の せまい座席に長時間座っていると、ももや足の血の流れが悪くなり、血栓という小さな血の固まりが出来、空港に着いて席から立ち上がった時に、 肺に達して血管につまり、呼吸困難や胸の痛み、ひどい時には意識不明などの症状に陥る時もあるという。日本では一年間に100人から 150人もの人達が、この症状にかかり、過去8年間に25人も呼吸困難になり病院に運ばれ、死亡しているようです。

 飛行機のエコノミークラスの座席は、せまい上に空気が乾燥しているので、十分に水分を取らないと、脱水状態になり血流も悪く なって血栓が出来易くなる。その上トイレに行きたくないため、飲み物をひかえ、からだも動かさなかったら、より一層危険である。 特に窓側の席に座った時でも、遠慮しないでトイレにも立ち、時々足やからだを動かすことが大事なことです。

 先日のエジプト・トルコ旅行でもイスタンプールまで13時間、流石に退屈した。私は、いつまでもじっとしているのが苦手なので、 時々トイレ行きでなくても座席を立ってうろうろ動き回っていたため、そのような症状にはならなかったが、おとなしい女の人達は、 よくそれだけじっとしていられるなあ?と思うほど静かに座っておられる。このような人達が危険なのだと思います。航空会社の 採算性を重視した詰め込み運行も解らないこともないが、これからはもっと健康や快適性も配慮した座席のセッティングをして欲しい ものだと思います。お金を出して、ファーストクラスに乗れば、いくらかは楽だろうが、我々お金のない庶民にも、会社の合理化や 企業努力で顧客サービスも充実させて欲しいと願っております。

2月6日エジプト・トルコ旅行

 エジプトと言えば、吉村作治先生がその考古学の権威で、時々テレビなどで解説されている話をよく聞くことがある。でも「百聞は一見にしかず」 のことわざの通り、実際に自分の眼でエジプトを観ると、イメージはかなり違っている。紀元前3000年頃の古代エジプト文明の壮大な 歴史にびっくりする遺跡の数々。とにかく「大したものだなあ・・・」と感嘆するばかりだった。矢張りその一番手は、カイロのギザ地区の 三大ピラミッド。高さ146bのクフ王の第一ピラミッド、第二のカフラー王と第三のメンカウラー王のピラミッドは一見の値打ちはある。 有名なスフィンクスは、顔はカフラー王、からだはライオンの人面獣身で石灰岩製で長さ57b、高さ20bの奇抜なもので、紀元前3000年 も昔のものとはとても思えない。次いでエジプト考古学博物館のツタンカーメン王のミイラがかぶっていた黄金のマスクを始めとする 黄金の棺や金箔の玉座などの黄金の品々。古代エジプト文明をしのばせる遺品や美術品は、その時代を考えるとびっくりする。

 紀元前4世紀に、アレキサンダー大王の命によって造られたという地中海に面したアレキサンドリアでは、グレコ・ローマン博物館、 高さ30bの一枚石のポンペイの柱、コム・エル・シュカファのカタコンペと呼ばれる地下墓地、アッバース・ムルシ・モスク(イスラム教の礼拝場)、 など歴史と文化の偉大さを感じられる物ばかりだった。

 エジプトでどうしても気になるのが、男性の70〜80%の人が、口ひげを蓄えていることである。遠くから見ると皆同じような顔に 見えてしまう。理由を聞いてみると、昔からの習慣で、男の強さを強調するためだそうだ。


 トルコでびっくりするのは、流通通貨である。1$(ドル)が65〜70万TL(トルコリラ)、1,000,000(100万)TL(トルコリラ)で 170円〜180円位の換算になる。だから枕チップでも500,000(50万)TL、トイレを使うと250,000(25万)TLのチップ、紙幣に 10000000と0が並ぶと、いくらなのか面食らってしまう。計算能力のないアホでは生活出来ない。だから0を4つ取って2倍する。 1,000,000TLなら100×2=200円 の1割引きの180円と思え、と教えられた。とにかく見たこともない大きな数字の通貨である。タバコを買うと100万TLから70万TL 位で、すごく高いタバコを買ったような錯覚をしてしまうから面白い。

 人口は日本の半分の6000万人位だが、国土面積は日本の倍ほどあるので、観光地はたくさんあるが、移動に時間がかかりすぎる。 カイセリの近くのカッパドキア地区のギョレメの谷、きのこのような形をした巨大石の並んだ風景、キリスト教の修道士達が掘って 造った岩窟教会群の地下都市のカイマクル、岩を掘って造った岩穴の家。コンヤ(12〜13世紀にセルチュクトルコの首都であった古都) の近くのパムッカレは、トルコ語で「綿の城」という意味で、石灰分を含んだ温泉湯が流れて出来た石灰棚で、一面真っ白の見事な 風景である。その近くにヒエラポリスの遺跡もある。

 トルコ最大の都市イスタンプールは、ヨーロッパとアジアを共有する街で、ブルーモスク(スルタンアフメット・モスク)、アヤソフィア博物館、 トプカプ宮殿、ドルマバフチェ宮殿、グランド・バザールなどが見所だった。唯一男を楽しませてくれるのが、ちょっとお色気もある ベリーダンスのディナーショーである。黒海とマルマラ海とをつなぐボスフォラス海峡は、アジアとヨーロッパとを分けている30q ほどの海峡で、美しい風景を観ながらのクルーズは、旅の疲れを癒してくれ、のんびりしたひとときを過ごさせてくれる。
 トルコ人は、顔立ちは欧州人だが眼は黒く、髪の毛も黒い。男は男前、女は皆美人、特に幼児や子ども達はすごく可愛い。性格も 穏和で優しく、良く働く民族のような印象をもった。私は、中近東の旅は始めてだったが、見応えのあるすばらしい観光旅行を満喫させてもらった。

1月19日還暦って何?

   還暦って聞くと、数え年61歳(満60歳)に赤いちゃんちゃんこ(袖なしの羽織)を着て、お祝いをする老人式を思い出す。 最近の61歳(満60歳)の人達は、若々しくてとても老人なんて印象を抱かせない。非常に結構なことだが、暦の上では年が 一巡し、元の生まれたときの干支(えと)に戻った、とみなして赤ちゃんの「赤」い色の羽織を着て、子ども達に祝ってもらう習慣がある。  その「干支」について調べてみた。簡単に説明すると、その干支の「干」は十干(じっかん)即ち甲・乙・丙・丁・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・ 壬(じん)・癸(き)のことで、「支」とは十二支即ち子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥のことであり、その 組み合わせは、右表のように60組となり、十干、十二支に五行(木・火・土・金・水)を加え、これに兄(え)と弟(と) を組み合わせて干支は出来上がる。

 最初が十干の「甲」と十二支の「子」を組み合わせて「甲子」(かっし)。五行でいえば「甲」が「木」の兄、それに「子」 だから「甲子」は「きのえね」と読む。このように次は「乙丑」(いっちゅう)、「丙寅」(へいいん)、「丁卯」(ていぼう)、 「戊辰」(ぼしん)、「己巳」(きし)、「庚午」(こうご)、「辛未」(しんび)、「壬申」(じんしん)、「癸酉」(きゆう) と続いて、ここで十干が終わるので、最初の甲に戻り「甲戌」(こうじゅつ)、「乙亥」(いつがい)となり、丙以降に十二支 が続いていく。最後が「癸亥」(きがい)で60組の干支が出来る。次の61番目が、最初の「甲子」になる年に戻り、即ち数え 61歳が還暦ということになります。ちなみに今年(平成13年)は、「辛巳」(かのとみ)の年ということになります。
 還暦というのもなかなかややこしい暦の組み合わせから由来している訳ですが、別に60歳のことを「耳順」(じじゅん)の歳 とも言います。「耳順」とは、「論語」の孔子の言葉に「六十にして耳順(みみしたがう)」から来ているのですが、60歳とも なると、何を聞いても素直に理解できるようになった、という年齢を指し、人間形成の熟成期でもあるのです。どうか若い人達は、 人生経験の豊富な耳順の歳の還暦を迎えた熟年者を敬い、慕ってほしいものです。

 1月8日にも書いたが、深谷市に続いて8日の成人式には、高知市や高松市などでも新成人の人達が式典で騒いで、マスコミの 話題になったが、彼等も還暦を迎える頃には、耳順の歳と認められるような立派な人間に成長し、21世紀の日本を支えて欲しいと 願うばかりです。

1月8日新世紀新成人

 今日8日の成人の日に先がけて、6日に埼玉県深谷市で行われた成人式で、新井家光深谷市長が注意しても、会場のざわめきが 収まらないことに腹をたて、「ルールを守れない人間が成人といえるのか。敢えておめでとうと言わない。30分の静寂も守れないのか」 と用意した式辞を書いた紙を壇上から投げ捨て、式辞を読むのをやめてしまったというニュースを耳にした。司会者や周囲のスタッフ等が 気を遣って、そんなハプニングにならないように出来なかったものだろうか? 注意しても会場を走り回ったり、携帯電話で大声で 話すなどして、周囲の迷惑を省みない新成人に、この新世紀を担ってもらわなくてはならないようなことでは、日本の将来が危ぶまれる。 確かに一部の若者には、混んでいる電車の座席で二人分ほどのスペースを独り占めにして座ったり、自分の目の前にひ弱ななお年寄りが 立っていても譲るどころか、詰め合おうとさえしない。他人の迷惑を省みずにグループで騒ぎ続けるといった独りよがりや自分勝手な 光景をよく見ることがある。新井深谷市長は、このような事例の先入観が、この成人式をけじめに、大人としての自覚と責任感を持って いただこうと思い、襟を正して式辞を読もうとしていたのだろうと思う。どちらが間違っていたか、良く考えてみようじゃないですか。

 20世紀は、大量生産、大量消費、大量廃棄物を造り出し、地球の温暖化に拍車をかけ、自然環境を破壊し、一部発展途上国では、 人口増加で食料危機に陥り、飢餓や貧困にあえぎ、感染症が深刻な社会不安を増幅させている。日本国内に目を向ければ、超高齢化と少子化が 進み生産人口のバランスが崩れ、福祉政策や社会保障の先行きが不透明になって、将来不安が渦巻いている。国家財政は、気の遠くなる ような赤字国債で世界一の借金国家になってしまい、そのつけが新成人にのしかかろうとしている。何とか立て直そうとして、IT革命、 生命科学や人口知能の開発で、科学技術で克服しようと模索している。このような新世紀を迎えた21世紀初年の成人式の若者達は、 新しい文明を創造する使命をもった張本人である筈である。

 経済環境も深刻で不況風の吹き荒れる昨今であることも、重々解っているにも拘わらず、将来の対策や展望の議論をすることなく、 自分勝手な行動は、社会からの孤立化を招き、自分自身の陥没に陥ってしまうのではないだろうか。親しい仲間どうしでは、居心地が 良く、他人や社会とは前向きに付き合おうとしない姿勢では、新世紀を担うにふさわしい人間性や人格形成は期待出来ない。願わくば もっとグローバルな視野を持ち、積極的な自己主張で社会に目を向けていただきたいと思う。新成人式を迎えて、20歳の新大人の気概を 希求したい。

1月7日ごちそう

 七草粥を食べた人はどれぐらいいるだろうか?今年は七草の温室産のセット物が売り出され、益々季節感がなくなってきた。正月も 7日頃になると、さすがにおせち料理の食べ残しはなくなってきているだろう。おせち料理や七草粥はおいしかっただろうか?
 豪華で美しく盛りつけられたおせち料理も、ただ何の会話もなくもくもくと食べていたのでは、おいしさは半減するだろう。いわんや どこかのスーパーやデパートでセットにして売られているおせち料理を、そのまま食卓に並べられていたのでは、家庭的な雰囲気を 味わうこともない。家庭料理には画一的な味ではなく、おふくろや家族の真心のこもった手料理に、その味わいの尊さと家族だんらんの 会話と笑い声がおいしさを引き立たせてくれる。

 ファーストフード店やファミリーレストランで食事を楽しむことも、決して否定するものではないが、ファーストフードは、若者達が 独りで空腹を満たすだけの食事。ファミリーレストランは、台所仕事から解放するだけの便利店だったら、いかにも寂しすぎるのではない だろうか。そこに親子兄弟の会話があって楽しく食事しているのなら、家族の絆も保たれ、それなりに意味のあることだろう。
 しかし、いつも家族と一緒に食事をしている子どもでも、非行に走ってしまっている少年に聞いてみると、「毎日家族と一緒に食事を しているが、いつもお父さんは、説教ばかりで難しいから、お父さんなんかいない方が、食事もおいしいよ」と言っている。また一般社会でも パーティーや宴会などで、立派なホテルやレストランや高級料亭で、盛りたくさんの料理が出ても、お客さんや上司に気を遣ったり、難しい 話題や説教じみた話ばかりだったら、少しもおいしくはないだろう。

 家庭の食事には、家族の座る位置が決まっていて、家族が食器や料理を運んだり、並べたり、たまに誤ってひっくり返したり、家族の 心が団らんの雰囲気をかもし出していて、子どもがうるさいほど良くしゃべる。そしてみんなが笑いながら楽しく食事をしてこそ、 ほんとうの「ごちそう」ではないだろうか。親や大人が子どもより多弁だったり、何のおしゃべりもなく沈黙の食卓など、すこしも おいしくない。何よりも笑いが「ごちそう」だ。料理の味が少しぐらいまずくても、笑いが味を引き立たせてくれる。笑いのある食事こそ ほんとうの「ごちそう」だと思う。楽しく満足感を持って「ごちそうさま!」を言いたい。 




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