〔 2004.1.17〜12.5まで分 〕
〔 2003.1.7〜12.27まで分 〕
〔 2001.1.7〜12.21まで分 〕
〔 2000.1.8〜12.31まで分 〕
〔 1999.1.7〜12.28まで分 〕
〔 1998.8.3〜12.31まで分 〕
12月30日 | お年玉 |
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ひと頃は、正月にもらっているお年玉が、小学生や中学生の平均が数万円で、中には数十万円ももらう子どももいて、自分があげている金額の低さに恥ずかしさや申し訳なさを感じて、小さくなっていた。でもお正月という新年のご祝儀という気持ちから生まれたお年玉に、まだ小さな子どもにこんな大きな金額を持たせる意味が何処にあるのだろう? と疑問に感じていた人は居なかったのだろうか? おそらく親の虚栄や付き合い上のつじつま合わせという大人の都合主義からエスカレートしていったのではなかろうか。世の中がバブルの全盛期で、お年玉までがバブルの泡の中で踊っていたのではなかろうか。当然親達が「貯金してあげるからね」と言って取り上げていた人達もたくさん居られたとは思いますが、自分の子どもがもらったから、相当金額をお返しにあげるといった循環現象でもあったとも思われる。 バブルが崩壊して10年、お年玉も影響を受けデフレ不況になってきた。来年のお年玉の心づもりも、幼稚園児以下では1,900円、大学生で9,500円位の平均だそうだ。近年毎年のようにその平均金額もダウン傾向になり、お歳暮やお中元と同じように平均単価が下落してきているようです。お年玉に限らず、年末の正月用予算も45,000円と15,000円減、正月3日間の予算も49,000円と20,000円減と節約せざるをえないようです。デフレスパイラルの流れは、止まるところを知らずに、庶民の生活を脅かしている。他人事ではない、自分の財布の中身を見て、この正月のお年玉をどうしょうか? と思い悩んでいる。子どもは成長して大きくなっているのに、お年玉は少なくせざるを得ない。苦しい言い訳をどうするのか?正月なんて来て欲しくない。でも待ったなしに後2日で元旦がやってくる。デフレ不況の波は、自分の足元に覆いかぶさってきた。今さらどうにもならないが、来年はもう少し何とか楽にして欲しい。 |
12月25日 | マイナスイオン |
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空気中には、プラスイオンとマイナスイオンがあり、我々の健康を維持するには、その両方のバランスを保つことが大切だと言われています。ところが地球温暖化や大気汚染、家電製品やOA機器などから出る電磁波などの影響で、そのバランスがくずれ、最近ではマイナスイオンが減少しているらしく、健康に様々な影響を及ぼしていると案じられてるいます。山や渓谷や滝など森林や水辺では、空気がおいしく感じられ気持ちが良くなります。これはマイナスイオン効果で我々の生活に大切な意味を持っていると言うことです。 マイナスイオンは、からだの酸化を防ぎ、炎症と酸化によるアトピー性皮膚炎や花粉症のかゆみを和らげる効果があり、ぜんそくにも有効、血流を促進し副交感神経の働きを助成するので、ストレスをいやし、リラックスさせてくれます。免疫機能を向上させ、家庭内ではダニも減り健康維持に大きな効用をもたらしてくれます。 マイナスイオン効果が見直されてきたことに便乗して、衣料品や電化製品や健康機器にマイナスイオン効果を謳った製品がたくさん出回ってきましたが、その実効果はまだもうチョット不明瞭で不確定要素を含んでいるようです。自然の森や滝周辺にはまだまだ及ばないのでは? と言われています。矢張り室内や庭に自然の木々を沢山植え、緑の中で生活するに越したことはありません。科学の進歩は確かにめざましいのですが、自然の力には及ばないのでは・・・と思います。街の空気は汚れています。出来るだけ自然の中へ出かけるように致しましょう。私は、そんな理屈を口実にゴルフ場でマイナスイオンを吸収するようにしています。 |
12月15日 | 今年の漢字 |
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日本漢字検定協会が毎年「今年の漢字」として、話題性の高かった漢字一字を公募しているのを、興味深く見ている。今年は、「帰」が選ばれたが、1995年から始められた過去を振り返ってみると、その歴史の流れが如実に表れていて面白い。
こうして見てみると「乱」が毎年皆出席していて、「怒」「失」「震」が3回ずつと暗いイメージの漢字ばかり並んでいる。この表の漢字から充分察せられるように、バブル崩壊後は 「今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃあーござんせんか・・・」と言いたくなるような殺伐とした世相が続いている近年ですが、今年は「帰」「愛」「蹴」「賞」など 例年より少し明るい話題が混じるようになってきました。何でも良い、少しでも明るい話題が出てくると人々は救われる。トンネルばかりじゃ やり切れない。何とか来年は、もっと興奮するような明るい見通しのつく話題性のある漢字が選ばれて欲しい。日本国民が願っていることは皆同じだと思う。 |
12月10日 | 年賀状 |
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例年今頃になると「喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます」のはがきが来て、「そうだ!年賀状を書かなくちゃ!」なんて思い出す始末で、慌ててその段取りをし始めるような状態です。でも何で年賀状を書かなくてはならないのだろう? 昔からの習慣で・・・とか、世間の一般的な風習だから・・・とか、日頃ご無沙汰しているので、そのお詫びとご機嫌伺いを兼ねて・・・とか、新年に新たな心意気を伝えるため・・・とか、日頃お世話になっているお礼と変わらぬ交誼をお願いするため・・・とか、その他いろいろな意味合いを総合的に含めて、一人一人、一軒一軒お伺いして新年のご挨拶回り出来ないので、一枚のはがきに託して「年賀状」という形で代行しているのだろうと思います。ならばその関係は一人一人異なっていて、そのご挨拶の内容も何処か違う筈です。だから以前は、手書きで相手先によってその文面が異なり、人柄なり人格が汲み取れ、一枚のはがきに誠意が感じられたものでした。しかし最近は、皆同じ文面の印刷で、その人柄や思いやりを感じることなく、流し読みしてしまっているのではないだろうか。
交友関係が多くて、とても全て手書きで書けない人達は沢山居ますので、印刷に頼る事情は理解出来ますが、ならば、その中には頻繁に会っている近所、友人、知人、親戚、取引関係者やお付き合いしている人達は省いて、頻繁にお逢いしているのだから、お逢いした時にご挨拶をする。平素お逢い出来ない人達には、その人なりに簡単なメッセージを付け加えて、自分の気持ちを伝えるようにしてはどうだろう? 最近の年賀状は、形式化したり、商業化したり、ある種のお遊び化しているように思えてならない。それもパソコンが普及して、気軽に自分で年賀状を作れるし、そのソフトも沢山売り出されているし、ネットで作成代行してくれるサイトも沢山あり、そのデザイン、絵柄、文章、作成手法も自由自在に多様化されている。一方E-Mailで年賀状の代行をする人達も増えているという。 時代が変われば、手法も考え方も変わる。でも人間の気持ちは不変です。たった一枚の年賀状ではありますが、相手を思う気持ちや感謝の気持ちや思いやりがあるならば、そこに何らかの自分の気持ちを伝える工夫をしてこそ、感じてもらえるものがあるのではないでしょうか?「お元気ですか?」「お変わりないですか?」「また立ち寄って下さいね」「困っていることないですか?」「健康で元気ですよ!ご安心下さい」など何でも良い。相手によって簡単なメッセージを書き加えることによって、誠意が通じ交友関係も深まるのではないだろうか。私も全部ではないが、出来る限り簡単な文章を書き加えるようにしている。「たかが50円、されど50円のはがき」を大切にしたいですね。そんな面倒くさいことしてられないよ!・・・と思っておられるなら、もう年賀状を出さない方が節約になります。相手には誠意が伝わっておりません。無駄使いは止めましょう! なんて言うと郵政事業庁に叱られるかな? 一人平均60枚、全国で約40億枚、2,000億円のはがき代が動いているのだから・・・。 |
11月29日 | 眼を大切に |
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テレビの見過ぎ、パソコンのやり過ぎ、本の読み過ぎなど眼を使い過ぎると、目がちかちかしたり、しょぼついたり、目が重かったり、頭がぼけてくるような症状になってくるのは、目の不調が脳に影響を及ぼし、肩こり、頭痛、いらいら感の原因になってくる。だいたいその原因の4割は、めがねやコンタクトレンズの不具合、5割がドライアイという涙の基礎分泌の減少、残りの1割は白内障、緑内障、糖尿病網膜症などの疾患が原因と思われている。 部屋の明るさ、空気の乾燥状態、睡眠不足、ストレスなどが誘因になるが、直接的には長時間の目の使い過ぎなので、やはり目をいたわってやることが大切ですね。その心がけには、お酒は利尿作用があるので、水分のバランスを崩してドライアイになることも知っておく必要があります。本を読んだりテレビを見る姿勢も、首や肩こりの原因にならないように寝転がって見ないように。パソコンの画面も目線より少し下向きに。長時間同じ距離で目を使ったら、時々遠い所を見たり目を動かして毛様筋(水晶体を動かす筋肉)を運動させるなどして目を休ませることが大切です。
その他目元を冷やしやり、逆に5分間ほど蒸しタオルで温めるのも効果がありますが、ツボのマッサージをやってみよう。 |
11月23日 | 年齢と実力 |
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近年の日本の経済状況の悪化が続いて、その打開策のために気付き始めた弊害の根拠の一端に「終身雇用制度」と「年功序列制度」がある。今日まで世の中に「長きを以て貴しとする」という考え方が根ざしていて、加齢に比例して昇進、昇格して、生涯の生活保障が雇用制度に盛り込まれていれば、実力があろうが、なかろうが、いたって都合の良い居心地の良い社会であった。今なおこの制度というか風習が残っていて、それが弊害になっていることに気付かないで、成長や発展のブレーキになっている所が沢山残っている。民間企業もさることながら、公官庁の風習は旧態依然のように思われる。 人間の実力を評価するメルクマークの要素は、年齢の長さだけでなく「長さ×深さ=量」が実力ということにならなければならない。ここで言う「深さ」とは、単なる平穏な時間経過だけを意味するのではなく、筆舌に尽きない超人的な努力の積み重ねの「深さ」であって、始めて「深さ=長さ」となり、「長きを以て貴しとする」という考え方が意味をなしてくるのです。私は、今までの制度は「年功序列=非合理性」の図式と考えている。「量×長さ」即ち「実力×年功=評価」であり、「評価=待遇」でなけらばならないと思っている。 ここでお断りしておきたいのは、加齢即ち年寄りを否定しているのではない。人並み以上の努力を積み重ねてこられた人達の中には、「長さ×深さ=量=評価=待遇」という立派な方もたくさんいらっしゃいます。だから「年齢=実力」という評価のできる人達ばかりだったら、何も問題はないのです。しかし現実は、そうとは限りません。人間の実力の評価は難しいですが、年齢に関係なく「評価=待遇」になれば、もっと努力を惜しまなくなるのではないでしょうか。何とか年齢相応の実力を身につけ、その実力相応の評価と待遇を得られるような世の中であって欲しいと思います。 |
11月11日 | 日本の産業の行くへは? |
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戦後の日本の経済の発展は目覚ましいものがあった。国際交易で先進国に打ち勝つために、マスプロと言う大量生産のノウハウを確率し、コストを下げ国際貿易で勝利を獲得した。そして国内では、その大量生産された商品を如何に大量消費させるかというマスセールのノウハウをも確立させた。そして最後はお祭り騒ぎのような経済環境の泡の中で、自分を見失ってしまって、確かな行く手も目標をも判らなくなって、日本中が路頭に迷ってむちゃくちゃな世の中になってしまった。いわゆるバブルの崩壊から早や14年も経っている。その間その原因究明や打開策でてんやわんやの大騒ぎである。それ行政改革だ、金融改革だ、教育改革だ、老齢福祉改革だ、政治改革だとか騒ぎ立てて、遂に小泉さんの構造改革というとてつもない大手術で現状打破を計ろうとしている。これ全て日本国民全員の責任と言っても良いのではないだろうか?今さら誰が悪いと言って、その責任云々を言い出して解決出来るような簡単な状況では無くなってしまっている。その為に政府は、不良債権処理を主目的とした金融改革を実効性のあるようにするための産業再生機構を創設し、簡単に言えば、今後その企業が再生復活出来るのか?出来ないのか?を精査し、可能性がなければつぶしてしまおう・・・というものだ。 産業再生機構は、官民の共同出資で立ち上げ、企業が抱える不良債権を金融機関から買い取って、その企業を再生させるのか?又は整理回収機構に回して淘汰させてしまうのかを選別しようという訳である。非常に難しい選別基準をどうするのか?大変な大仕事であろうと思われる。本来企業の発展や淘汰は、市場の流れの中の企業間競争で決まるものなのだが、国がその勝敗存亡に口をはさむことなど、全く支離滅裂である。そんな非常識なことを公然としなければならないほど、今の日本の経済環境は非常事態と言わざるを得ないのであろう。 そんな構造改革だ、産業再生だという大それた改革は、我々下々の庶民には雲の上の大仕事で、ちょっと手に負えないことである。そもそも日本は、マスプロ→マスセール、そして合併、統合、多角化、他店舗チェーン化と規模の拡大化の道を歩んできている。その為管理の不徹底さと精度を悪くして、顧客離れを起こしてきたのではないだろうか。ならば、スケールメリットを求めるのではなく、専門性、特殊性、洗練性、個性を生かしたスモールメリットへの道を模索すれば如何なものだろうか?大規模のマニュアル化から個人のキャラクター化への転身を提言したい。如何なものでしょうか? |
11月2日 | 起承転結 |
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手紙の書き方にもその書式や用語の使い方に一般的な基準として、冒頭語・前文・主文・末文・結語・あとがきというような順序があるように、話の組み立て方にもその基準となるものの例が「起承転結」である。ルーツは、中国の漢詩・絶句を作る際に、その四句を起承転結で組み立てようしたことから始まったとされている。その代表的なものとして五字で一句となっている五言絶句が孟浩然の春暁(しゅんぎょう)であろう。[起] 春眠不覚暁 (春眠暁を覚えず)先ず「起」で風格と非凡な着想を示し、「承」で起句を受けて発展させ、「転」では状況を転換させる奇抜さや意表にでるもので、注目させる。最後の「結」では全体を収束し、余韻を残して閉めるようにする。 日本流の七五調で有名なのが、 [起] 京の三条の糸屋の娘この「転」では「えっ!」と驚かせるところが絶妙で、「結」で「なるほど!」とユーモアーをもって余韻を残して納得させる。 また「都々逸」で面白いのが、 [起] 嚊(かかあ)天下とこれも実に絶妙なユーモアーがあって面白い。 何かの挨拶やスピーチなどで、このような起承転結を活用して、短い言葉で印象良く、ユーモアーを含ませた話し方が出来れば良いのになあ・・・と思っている。 |
10月25日 | おいしい安全な水って? |
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水が生物特に人間に不可欠な資源であることは、今さら言うに及ばないことです。でもその水に有害な成分が含まれていて、知らずに毎日呑んでいたら・・・・と思うと、ぞーっとしますね。ところが私達の地元の滋賀県の守山市と野洲町の上水道水源地で、発ガン性の疑いを持たれている四塩化炭素が、国の環境基準の5倍から22倍の高濃度で検出されたという。 この四塩化炭素は、自然界に存在しない有機塩素系化合物なので、どこかの工場からの廃棄、漏出以外に考えられないことである。一旦廃棄された汚染物質が土壌に浸透して地下水脈に流入されてしまうと、地下水は複雑に入り組んでいる為、どこからどのように流れ込んできたのか? その調査や浄化対策は非常に難しいことは、誰でも判ることである。その汚染された地下水や土壌が自然浄化されるためには数10年から100年位かかるのではないかと言われている。ならば10年から100年も水を飲むな! っと言うのか? と言いたくなる。例のイタイイタイ病や土呂久鉱山ヒ素中毒事件のような産業公害の責任をどう追及すればいいのだろう? 当然地下水脈の調査や浄化対策は、行政の責任である。でも行政は、責任逃れや言い訳ばかりで、いつもはっきり情報開示しないのがお役所仕事である。
滋賀県は、大きな琵琶湖という水資源の恩恵を受けて恵めれている。でもその水質が、生活排水や工場廃水、化学肥料、酸性雨などによって汚染され、深刻な問題として対策に真剣に取り組みされていることは結構なことである。でも山や渓谷に行って自然の水を飲んで比較すると、やはりおいしさが違う。何故違うのだろう? 考えられることは、
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10月16日 | 木を見ず森を見ろ |
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日本の国土の67%が森林で、その約4割は人口林で1,000万ヘクタールを超えると言う。その人工林の大部分は、日本の木造住宅には適した杉や桧であるが、そんな住宅用資源だけではなく、森林は、多くの動植物の生息・生育の住みかであり、土砂崩れや洪水の災害を防止し、水質を浄化したり、木々の葉が音を吸収し騒音を和らげ、汚染物質を吸着して空気をきれいにしたり、緑が目を休ませストレスを解消させ、景観にも大きな貢献をしてくれる。 そしてそれ以外に今最も関心を持たれ議論の注目になっている事は、温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)問題であろう。樹木の一枚一枚の葉が、太陽の光エネルギーを利用して炭酸ガスと水から炭水化物を作り、酸素を放出する光合成によって木は生長し森林になっていく。1ヘクタールの森林で、40〜80人が呼吸するのに必要な酸素を供給してくれるという。
その一方炭酸ガスは、太陽光線を受けて地球からの赤外線を吸収し、放熱を防ぐ温度調節の役割を持っているため、多くの炭酸ガスを放出し地球を被うと、地球の温室効果が増加し、気温が上昇し、その為に気候の変動、砂漠化の進行、海面の水位の上昇など、地球の環境変化による様々な生態系の弊害が動植物にも影響し、地球規模の大きな問題となってきている。その原因のほとんどは、人間のエネルギー使用に起因しているのだから、当然人間の責任において改善しなければならない。20世紀始め頃は、その排出量が5億3400万トン位だったのが、100後の今は65億9000万トンと約12倍にも増えていて、地上の気温は平均して0.6度も上昇しているという。その為昨年(2001年)の夏にボンで地球温暖化防止対策会議が行われ、世界中の国々が、この炭酸ガスを吸収し貯蔵する機能を持つ森林の育成・整備と炭酸ガス排出抑制対策について議論されてきた。 日本もCO2の排出量とその吸収割当量が 今年6月の京都議定書によって義務付けられていて、平成12年度の温室効果ガスの総排出量は13億3200万トンですが、平成20年から24年の間に基準年とされている平成2年の排出量12億3300万トンの6%減、平成12年度の14%減にまで削減しなければならないことになっている。その為2001年度の「森林・林業白書」でもいろいろな角度から森林の重要性を掲げ、その対策について指摘している。今後は、杉や桧などの単一植林から広葉樹林帯の育成、バイオマス(生物エネルギー)発電の研究開発、フィントンチッド(他の生物の生活に影響を与える活性物質)の拡大活用対策など森林の有効性を見直し、この地球を安心で豊かな環境に改善出来るような対策を講じていただきたいなあ・・・と念じている。一本一本の木からではあるが、地球全体の森林対策という大きな視野で森を見て欲しいと思っている。 |
10月6日 | 罪と罰 |
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法律は、国民の生命、財産を安全に守るためにある。もし法律による規制がなかったら、一体どうなるのだろう?
でもその法律が絶対間違いなく正しい・・とは断言出来ない。人によって考え方、判断の基準が異なるからいろいろな解釈の差異が生じてくるだろう。だからそこに一定の基準を設けてルール化されたものが法律として規制されている。その法律に違反した者が罪を犯した者として罰せられることになっているのが法治国家の仕組みである。 人間は、罰せられるから罪を犯さないように法律の枠内で行動しているのだろうか? 本来罰せられなくてもルールを守ることの出来る人間でありたいとは思うのですが、なかなかそれは難しい事のようですね。今までいろいろな法改正を見てみると、罰則が厳しくなると、仕方なく罪を犯す人が少なくなる。罰則の規制が緩やかだと、罪を犯す頻度や程度が悪化してくる。何とも情けない人間の性(さが)なのでしょうか。
今年6月に法改正された道路交通法は、酒酔い運転は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金、酒気帯び運転には、1年以下の懲役又は30万円以下の罰金が科されることになった。すると極端にお酒を飲んで運転する人が減少したそうです。その影響をまともに受けているのが、お酒を扱うスナック、キャバレー、居酒屋、飲食店などやその近隣の駐車場営業所は、売り上げが大幅に落ち込んだようです。世の中うまく出来ていて、落ち込んだ業界が出てくる反面、好影響を受けているのが、タクシーや運転代行業者などである。運転代行業者は、どんどん増車して営業拡張を目指していると言う。栄枯盛衰世の倣いというものでしょう。 |
9月25日 | 少子化対策と有給休暇 |
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日本の少子・高齢化社会の到来については、各方面からいろいろな提案がされ、その対策について議論が重ねられているが、一向にその成果が見られない。一般に人口を維持するには、出生率は2.1%以上の水準が必要と言われているが、日本の2000年度の出生率は1.36% 2001年度は1.33% と年々落ち込んでいる。日本だけに限らずヨーロッパ諸国でも1.5%を割り込んでいて、特にイタリア、ドイツが低い水準だという。 当然少子・高齢化社会は、労働を担う生産人口が減少し、福祉や社会保障に対する若年層の負担を増幅させ、国の経済力を弱体化させてしまうことになる。では何故子どもを作ろうとしないのだろうか? その一番の原因と理由は、子どもを産んでも育てられない、育てにくい社会の環境に起因すると思う。核家族化が進んでいるにも拘わらず、育児のための休暇が取りにくい。育児休暇を取っている女性は、99年度で56.4% 男性はわずか0.4%に過ぎないという。これでは子どもを作っても育てられないの当然であろう。女性は勿論 男性にも育児有給休暇を当然のように取得出来る、いや取得させる社会の環境や制度が整わないと、安心して子どもは作れないだろうと思う。
育児休暇どころか年次有給休暇の取得率でも、労働基準法で定められている勤労者の当然の権利として、最低でも年10日、年々加算され20日を限度に取得出来るにも拘わらず、2000年度では49.5%しか取得していないような現状である。経済情勢は悪く、給料は減額され、失業率も高く、将来に対する不安を抱えながら、当然の権利とは言え有給休暇をとって休めば、代替え社員もなく仕事が溜まって、返って自分の負担として跳ね返ってくるという現状では有給休暇どころではないのが実状だろう。 |
9月20日 | シャッフリング・ベビー症候群 |
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誰しも我が子や孫など小さな赤ちゃんは可愛いものです。首がすわってきてにこっと笑ったりすると、たまらなく可愛くなって、抱きしめたり、「高い、高い」をしたり、勢い余って上へ放り挙げて抱きとめたり、寝転がって足の上に乗せて揺らせたり、軽い赤ちゃんをもて遊んだりして可愛がったりするものです。ところがこのような可愛がり方が、大きな危険を伴っていることが指摘されています。 赤ちゃんが成長する際、生後数ヶ月位から、頭蓋骨の方が脳より成長が早く、頭蓋骨と脳との間にすき間が出来、その時期に激しく頭を揺さぶるようなことをすると、脳が頭蓋骨にぶつかって、脳に損傷を起こしたり、頭蓋内出血を起こしたり、意識障害や後遺症を引き起こしてしまう危険を誘発してしまう事もあるという。これを揺さぶられっ子症候群(シャッフリング・ベビー症候群)というそうです。 誕生を迎える頃になれば、大分しっかり成長してくるようになってきますが、特に生後6ヶ月ぐらいまでは大変危険な状態なので、絶対「高い、高い」や上にほうり上げるようなことは慎むべきです。可愛い赤ちゃんとのスキンシップは大切なことですが、度の過ぎた可愛がり方は逆効果で、赤ちゃんからすれば虐待に似た行為になってしまうことを留意したいものです。もっと極端に配慮すべきは、悪い道路でのドライブや人混みで泣かないように、いつまでも揺さぶり続けるようなことも慎んだ方がよさそうです。可愛い赤ちゃんならばこそ、静かに優しくあやして、シャッフリング・ベビー症候群にならないように気を付けましょう。 |
9月9日 | 外で遊べ |
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大人になって、楽しかった想い出や印象に残っている事は、ほとんど子どもの頃の外での遊び事である。その頃は、室内で一人で遊ぶことや一人で遊ぶ方法も思いつかなかった。しかし1970年代の中頃から、豊かな生活になり豊かな情報化社会が形成されて来るに従って、子ども達の外での遊びが減少し、バーチャルな世界の室内の一人遊びが増えてきた。その為に社会性の欠如や言語能力の未発達など様々な弊害が出てきて、教育界で議論の標的になってきた。その代表的なものが、テレビゲーム、ファミコン、携帯電話の普及などが原因であろう。
では子どもが室内で一人で遊ぶより、外で友達との遊びにはどのような効用が考れるのだろう?
このような効用によって生活体験が豊かになり、集団生活にもなじみやすくなり、学校生活にも適応しやすくなり、学力が向上し知能ものびる。だが一人遊びでは、人と人との交流もなく言語能力の発達も遅れ社会性が欠如すると、学校生活に適応出来なくなり、いじめや学力低下の原因になることも考えられる。 |
8月31日 | 未来予測 |
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いろいろな占いが人気を呼んでいる。誰しも自分の将来が気になるし、もしそれが判れば必要以上の心配をすることもなく、不安が払拭されると同時に、対策も事前に考える事も出来て安心である。自分で判断や決断の出来ない人達が、誰かの助言を頼りに自分の将来に対して希望を見いだそうとして、占いに頼っているのだと思う。しかしそれは保証の裏付けのない気休めにしか過ぎない。でももしそんな予測が当たれば、こんな嬉しく楽しいことはない。この世の中予測合戦で、その先見性によって勝敗が左右する難しい時代になってきたようだ。 20世紀の始めに「20世紀の予言」という記事が当時の報知新聞に掲載されていて、可成りその予言が当たっていたそうだ。「20世紀の予言」が当たっていたかどうかは、この21世紀になってやっと判断できたことで、その当時はお遊び気分や半信半疑で軽く受け流していた記事だったと思うが、100年後に脚光を浴びてきたことになる。というのも電気、自動車、写真、空調、医学、生活環境、軍備、兵器など全部で23項目に渡って予言していて、20世紀の技術開発のすばらしさを予測して、それがほとんど的中していたというから驚きである。むろん、当たっていない予言もあり、「サハラ砂漠の沃野化」とか「人と動物との会話」とか「暴風を大砲で予防する」「人間の身長を大きく出来る」とかなど自然を対象にした技術については、期待外れに終わったようだった。 それでは、「21世紀の予言」は出来るのだろうか? 例えば今脚光を浴びているパソコンはどうなると予想できるだろう。今出た新製品は、来年には中古品になり、再来年には廃棄物同然の時代遅れ物になっている。テレビもオーディオ製品も然りである。だから企業の生産計画や販売戦略は、せいぜい3〜5年の範囲内でしか考えられないでいる。そんなスピードの時間の流れで、或いはそれ以上のスピードで時間が加速されたら、現在の延長で将来を予測することなど、全くナンセンスなことになってしまう。ナンセンスどころか完全に不可能なことである。占いの先生方は如何予測されるのでしょうね? 当然私達は100年先には生存していない訳だから、100年先の未来を自分の責任範囲と考える必要性もないことではあるが、未来予測の可能性のある時間距離はどれくらいだろうか? 非常に難しいことではあるが、そんな未来予測をしてみる時間的余裕も欲しいものです。 |
8月23日 | いのち |
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最近の若いお母さんに母性愛が薄れてきている人が増えてきているらしい。赤ちゃんを育てる事が出来ずに、育児ノイローゼになり、我が子に愛情を持てなくなって、せっかんしたり、虐待を繰り返したり、食事を与えなくなったり、最悪の事態には餓死させてしまうなど、昔では考えられないことである。 以前の出産は、一般にいう産婆さんという助産婦さんの助けを借りて、自分の家で出産したものでした。最近は、産婦人科の病院で、中には今や高級ホテル並の立派な設備の整った病室で出産している。出産も非常に恵まれた環境で、出産の苦しみも軽減されているように思う。その為に我が子に対する愛着も薄れてきているのではないだろうか? 一方人生の末期には、昔は家族みんなで食事を運び、身体を拭いたり、薬を飲ませたりして、お年寄りのお世話をして、毎日の生活の中で人生の終焉を味わったものでした。しかし最近は、近代医療機器の整った病院で、近代医学の最高の治療方法を駆使してもらって人生を全うされる人がほとんどである。
戦後の日本は、農業国家から工業国家に変遷してきて、地方から都会へ、二世帯生活から核家族へ、そして共稼ぎ家庭へと生活環境が変わって来るに従って、以前のような自分の家での出産や最期の見取りは難しくなってきていることは確かなことです。 |
8月16日 | 白か黒か? |
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「白か黒かはっきりしろ!」「No か Yes かどっちなんだ!」と結論を急ぐ表現を求める場合がたくさんある。一方大阪弁で「まあ ぼちぼちでんなあ・・」「まあ まあ ですわ・・」「いやあ・・何とも言えまへんなあ・・」など中途半端ないい加減な表現がたくさんある。さてどちらが正しいのでしょうか? それもどちらが正しいのか「何とも言えまへんなあ・・」 世の中の事例で、あの容疑者は白か黒か? この食品は何々に効くのか効かないのか? などと詰め寄られても、その情報が怪しげで落とし穴がありそうに思った時は「その容疑者は黒だ」ではなく「白だとは断定できない」であって、それ以上は「何とも言えまへんな・・」である。効く効かないも同じことで、保証されない不確定さがあれば、「効くとは言えない」それ以上は「何とも言えまへんなあ・・」である。
特に薬や医療方法の効用については、人の生命に関わる大事なことなので慎重に判断されなくてはならない。最近の中国のダイエット食品事件のように、はっきりした裏付けや保証のない宣伝や体験談で「効く、効かない」を断定するのは危険である。 |
8月8日 | 鉄は鉄 |
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ほんとうのところよく判らないのですが、この地球が出来て40数億年、地球に生命が宿って約30億年、人類が生まれて数100万年ぐらいだろうと言われている。これまでは、この世の中はこの自然の成り行きのまま推移し、全ての生物もこの自然に順応して生きてきた筈である。 ところが近代文明は、科学の進歩によってこの自然に打ち勝つことが出来る、自然を変えることが出来ると考えるようになってしまいました。過去30〜40億年の歴史のある地球の自然を、たったの100〜200年の間に、とんでもない世の中に変身させてしまい、自然を破壊してしまいました。だから、この自然から自然に歯向かった罰として、地球に戒めのシグナルばかり送り続けている。大きな問題として地球温暖化問題、環境ホルモン、河川・湖沼の水質汚濁、国内の身近な問題では、脱ダム問題、有明海のり問題、空港・高速道路整備問題等々・・自然環境破壊にからむテーマばかりである。 なるほど、近代文明の発達によって、我々はものすごい利便を得て、豊かで文化的な暮らしをさせていただけるようになりました。でもこれは全て人間の知恵で加工し、自然を作り替えて、人間にとって都合の良いように工夫して出来た世の中なのです。英語で自然は「nature」ですが、「of itself」という自然、即ち「ひとりでに・・・」「勝手に・・・」という自然ではないのです。いわゆる鉄をメッキして金に見せかけているだけなのです。メッキは必ず剥げる時がくるのです。はげて見苦しいからと言って、上塗りだけはやめてほしいのです。「鉄は鉄」のままで良いのです。鉄をメッキして金に見せかけたのは人間です。剥げることが解っていながら、剥げてきて慌てていては、自然が笑っています。ほんとうに利口な人間なら「nature」を「of itself」に解放するべきだと思います。しかしこの問題と責任は、地球人全員の責任として、一人一人が自覚して、自分自らを戒めながら取り組んでいかなければ、改善の方向には向かっていかないと思います。人工的な生活に慣れ親しんで育った人類を、自然尊重志向に転換させるのは、大変な教育と努力が必要になってきます。今人類は地球存続のための試練に立たされている時だと思います。全世界中のテーマとして地球人の責任としてよく考えなければならないのではないでしょうか。 |
7月31日 | 初心忘るべからず |
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「0から出直す」「1からのスタートです」「初心に戻れ!」など良く聞く言葉です。そのような気持ちを代表するような言葉が「初心忘るべからず」(初心不忘)という言葉です。これは中国の世阿弥の著書の一節に3行の辞句がある。
是非の初心忘るべからず先ず「是非の初心」とは、若いときの成功と失敗である。誰しも若いが為にうまくいって成功することもある反面、若さゆえに経験や知識も乏しく、うまくいかず失敗することも多い。いずれにしても高度なテクニックを駆使したものでなく、若さの勢いのせいである。だから成功も失敗もその区別をしっかりわきまえておくことであるということである。 次いで「時々の初心」とは、中年から壮年期に対する戒めで、三十代は三十代の、四十代は四十代のそれなりの活力がある。自分の年齢を意識して、おごることなく、年齢相応の魅力を発揮して記憶に留めておくことである。 「老後の初心」は、50歳を過ぎてくると、自然の活力は薄れてくる。だから言葉や行動に活力を補う工夫が必要になってくる。そういう工夫と努力を積み重ねてこそ、自然の活力が身に付き、それなりの結果が伴ってくる。いわゆる「老醜を見せない」工夫と努力を必要とするだけに、「老後の初心」が最も大事な心構えであるということである。 世阿弥は、人生を花に例えて、つぼみから満開になりそして朽ちていく生涯ではあるが、初心にもそれなりの魅力と活力がある世代としてわきまえて「忘るべからず」と説いている。 |
7月24日 | ケチは美徳? |
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ひと頃前、日本の経済力が華やかしい時、「消費は美徳なり」と言って消費を推進することによって、日本の経済力を高めようと使い捨てを奨励する時代があった。そんな無駄使いを奨めてきた罰として、今の経済不況が続いているのではないだろうか?そんな贅沢を戒めるように、最近では省エネ、省力化、資源リサイクル、リストラというような言葉の洪水で、無駄を省く思考が巾をきかせて節約運動が盛んになってきた。 テレビの番組でも、ケチケチ家庭やケチケチ人間の凄まじい生活ぶりが、結構人気を博している。1円でも安い買い方、1秒でも節約する節電法、1滴でも節約する水道代、とにかく出費を1円でも少なくするための生活術には、驚きと共にすさまじさを感じてしまう。マイホームを買う為とか、子ども達の教育資金作りの為とか、生活のある1点に目標を定めている場合もあるが、本当に収入が少なくてやむを得なく、知恵とからだを使って頑張っている場合もあったり、中には節約生活自体が生きる目的そのものという人達もいて、非常にクリエイティブなエネルギーが沸騰していて、世間体や見栄もなく一生懸命なのが爽快に感じる。私も本来「節約は美徳なり」という考え方には賛成である。 では、ケチと節約はどう違うのか? 節約と倹約との差は? 倹約と節減との違いは? 節減と始末とはどう違うのか? など言葉の表現には、いろいろあって、その意味を説明すると、微妙にニュアンスの異なる意味合いがあるが、小難しい理屈を抜きにして、結局は「無駄を省くこと」ではないだろうか。
一般に節約や倹約をしているのに、それをケチと呼び、自分のことはケチだとは思っていないので、他人のケチには批判的で寛大でない。だから他人のケチぶりの話になるとすぐ盛り上がる。そしてケチな人は、お金や物にケチなのではなく、根性や気持ちがケチなので、人のための配慮もなく情も薄いと言って好意的に思わない。そしてちょっとでもお金持ちだとすると、ケチだから金持ちになるし、金持ちほどケチが多いのだという話に落ち着いてしまう。 |
7月8日 | 屁も平気 |
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「屁」は、大腸で消化されずに残った食べ物が、分解される時に出るガスと、食べ物と一緒に飲み込んだ空気とが混じって出来るので、消化能力が衰えてくる老人には、どうしてもたくさん出てしまう。腸内に溜まっているガスは、立ったり座ったりする拍子に出たり、歩いている時や物を持ったはずみに出たりもする。私がお付き合いしている年輩の方からも良く「プッ!」と聞かされる。しかし室外や広い所では、さほどの実害はない。風のフォローの場合は、すぐ拡散してしまうから問題はないのだが、エレベーターの中などの狭い密室では、被害者は続出する。でも一番の被害者は、一発放った人の、聞かれたくない音を聞かれたという困惑感と、恥ずかしい気持ちに打ちのめされる当人自身ではなかろうか。だから、そのコンプレックスからどのように解放されるかが問題であろう。
よく”「ご免なさい」と「有り難う」には税金はかからない ”という言葉を耳にする。「有り難う」は、この場合には関係ないが、「ご免なさい」を気楽に言えるようになれば・・・半分以上は気が楽になるはずだ。 |
6月26日 | 人生いろいろ |
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世の中には、金持ちも居れば貧乏人も居る。しかし金持ちと言うのは、一体どれくらいのお金や資産を持っている人を言うのだろう?
人によってその評価基準も様々だろうし、そしてそのような資産状態になるまでの人生も様々だろうと思う。 藤本義一氏の修行時代に師事された映画監督の川嶋雄三氏は、才人とも奇人とも言われた特異な人だったようだが、彼の映画作成 のためのシナリオは、その登場人物一人一人の履歴書作りから始まり、生年月日、本籍地、現住所,氏名、続柄、職業、学歴、職歴、 特技、資格の有無、趣味まで考えた架空人物作成をして、登場人物一人一人に、それに修正を加えてからシナリオの構成(筋立)と 一緒に最後に性格を設定する。このようなシナリオ作りに、第一稿、第二稿、改訂稿、決定稿と進むのに40日から長くて2ヶ月の 時間を掛けてから映画作成に取りかかるという段取りだったようだ。 性格を設定するに当たって、登場人物の人生観を分類すると、
私の知っている人達にも様々な人生を歩んで来られた人ばかりで、2人とも同じ人生の人は居ない。他人の人生の善し悪しを決める ことは出来ないし「人生いろいろ」だが、私にはAタイプはとても無理なので、せめてBタイプを目指して、後悔のない人生でありたい と思っている。 |
6月17日 | パンツまる見え |
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サッカーのワールドカップで日本がチュニジアを敗って、決勝トーナメントへ進出することが決まった後、日本全国が沸騰した。
その時大阪では、道頓堀川に飛び込んで喜びを爆発させている若者が数100人いて、大騒ぎになっていた。その中に若い女性が、
スカートのまま道頓堀川に飛び込んで、群衆の前でパンツまる見えでも平気だったようだ。その光景を見て、以前に東京の白木屋の
火災現場で陰部を見られるのを恥ずかしがって、墜落死したという「白木屋ズロース伝説」と言われる事件を思い出しながら対比し
てみた。 女性の下着を「パンツ」と言うが、一時前までは「パンティー」と呼ばれていた。そのもう少し前は「ズロース」とも呼ばれて いた。時代と共に形やデザインも変わっては来ているが、何故呼び方まで変わってきたのかは良く解らない。70〜80年前までは 、和装が中心で「いまき」と呼ばれる正絹の下着で、今でいうパンツらしき下着ははいていなかったようだ。だから小便も大きな 開口部の便器にお尻をまくって、中腰にしゃがんでしていた時代があった。時には、道ばたの溝や田んぼでも用をたしている光景も 見受けられた。(これを立ちションではなく、しゃがションと言う?)おそらくその当時は、そのような時代環境だった為に、 女性が陰部を見られることに、今ほどの抵抗もなく羞恥心も薄かったのではないかと思う。そのような光景が至るところで常に 見受けられると、男性も何の興味も示さず当然のことのように平然と見送っていた。
人間の好奇心は、見えないものを見たいと思う気持ちであり、羞恥心は見えないものなので見られたくない気持ちだろうと思う。
だから堂々と見せられているものには、見たい気持ちは起こってこない。隠しているから見たい好奇心が湧いてくる。その心理を
ひもといていくと、戦後欧米文化が渡来し、着る物も洋装になり、女性はスカートをはくようになった。着物とは異なるファッション
に洋風文化を取り入れて、ズロースをはくようになってきたと思われる。ロングスカートの時代からミニスカートの時代に移るに
つけ、ズロースも身体にフィットするパンティへと変わり、今でいうパンツに変遷してきた。女性達は、羞恥心によってパンツを
はくようになったというより、パンツをはく文化の到来によって羞恥心が大きくなってきたのではないだろうか。 |
6月9日 | 幸せ家族 |
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人が「幸せ」を感じるのはどんな時だろうか? 誰しも不幸を目指して生きているわけではない。夫婦の幸せ、子どもの幸せ、
家族の幸せ、社会が幸せであることを求めて生きているのであろう。その為に母は子育てに懸命になり、父は仕事に精を出し理解
ある親として経済力を高めようと頑張っている。それを幸せ家族のための環境作りと思い、一生懸命に努力している。いや信じて
頑張っていると言っても良いのではないだろうか。にも拘わらず、ある引きこもりの少年は「ウチは仮面家族です」という。
そして少年院に来る子ども達は、経済的にも豊かな普通の家庭の子どもでありながら「団らんのない家庭」だと告発している事例が
多いらしい。
日本における青少年の教育問題の一般的な課題は、学力と心、つまり脳が優先されているのである。知育・徳育・体育と言うが、
体育を主と考えている人は少ないだろう。いくつかの学科の内のほんの一つが体育であって、知育・徳育・体育を三分の一ずつ
に配分を分けたら、親たちは猛反対をするだろう。いわんや徳育なんてほとんど眼中にないのではないだろうか。だから知育だけが
教育なのである。子ども達がそう思っているのではなく、親たち即ち大人達がそう思っているのである。進学のための受験をどう
するのかとか、塾をどうするのかばかり考えて、朝ご飯を家族で食べることや、子どもが一人で食事をする「個食」を気にかけること
など、問題外のような家庭環境が多いのではないだろうか。
ひととき昔の家庭は、家族揃って夕食をとり、しょうもない会話をして大声で笑ったり、時には気に入らないことがあると、
いきなりちゃぶ台をひっくり返す横暴な父がいたり、近所には、雷親父(おやじ)がいて、ちょっと悪さをすると、よその子を
どなり散らす「恐いおっさん」もたくさんいた。標語に「叱ってください うちの子も」っていうのもあるが、最近は、よその子を
叱っている大人を見かけることもほとんどなくなった。電車の中で騒ぐ子どもを叱ったりすると、親ににらまれ、周囲から冷ややか
な視線を投げかけられる。子どもの教育は、親だけの権利だとでも思っているのだろうか。 |
6月3日 | 韓日ワールドカップ開催 |
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第17回ワールドカップが5月31日ソウルでの開会式をもって遂に開幕した。6年前の1996年5月31日に史上初の韓国と
日本の2カ国共催が決まって以来、ようやくと言うか早やと言うか、いろいろな問題点を克服しての開催である。と言うのも韓国と
日本は、過去の植民地時代の怨恨や戦後補償など様々な課題を抱える「近くて遠い国」と言われながらの2カ国共同開催だからである。
ネーミング一つとってみても、「日韓」と言えば、何で日が先なのか?韓が先で「韓日」だろう・・と韓国からクレームがつく。
FIFA WORLD CUP JAPAN KOREA と書けば何でJAPAN が先なんや?KOREAが先でKOREA JAPANだろうが・・と韓国から
クレームがつく。開会式はどちらでするのか?決勝戦は何処でするのか?などいろいろと主張が別れる。これまでも小泉首相の靖国
神社参拝問題や歴史教科書問題、軍人慰安婦問題などことごとく意見が対立し、なかなか両国の融和が計れずに今日まで引きずって
きた。しかし1988年のソウルオリンピック以来、日本では韓国人気がブームとなり、若者の交流も盛んになるにつけ、韓国でも
日本文化の開放が徐々に認められるようになってきたのは非常に結構なことである。
私的に言えば「日韓」であろうと「韓日」であろうと「JAPAN KOREA」であろうと「KOREA JAPAN」であろうと、そんなこと
はどうでもいいことである。「世界の言葉」と言われるように、世界中何処でも一番人気もあり、盛んで親しまれている球技と言われ
るサッカーのワールドカップが韓国と日本で共催され、両国とも大きな問題もなく、盛況で成功を収めたら、後は両国の心の壁も
ベルリンの壁のように自然崩壊してくれることを期待している。 |
5月25日 | 平和と戦争 |
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世界中が平和を望んでいるから、日本には攻め込んで来ないだろう、と信じている日本人は多いだろうと思う。世界中が平和を
望んでいるのは間違いないだろう。しかしそれは客観的希望で、もしどこかの国が攻め込んで来たら、どうするのか?自国を守るために
戦わざるを得ないだろう。しかし日本国憲法では第9条で、永久に「戦争の放棄」と「戦力及び交戦権の否認」を明記している。
でも戦争はしないが、自衛は許されている。だからその為の自衛隊を持ち、日米安全保証条約も結ばれ、米軍基地を造り万が一に
備えている。 誰でも事ある時のための保全を考えるのは当然だろう。貯金もそうだが、生命保険、損害保険、火災保険、健康保険、年金保険、 自動車保険など緊急時のためにお金を使うのは当たり前である。ところが軍備に国家予算の30%も40%もお金を使っている国も あるのに、日本は戦後から軍備にそう沢山のお金を使わずに来たから、今日の繁栄があることを見落としてはならない。PKOや 今国会で論戦されている有事法制をどう判断したら良いのだろう。危機感を持って考えたら、日本の緊急時の保険は何なのだろう? 平和な暮らしを願うのは当然だが、その平和が脅かされる事態になれば、我が国は、そして自分はどうなるのだろう?と自問して、 明快な解決策が考えられるだろうか。非常に難しい課題が残されているように思う。 近年の不況続きで、経済環境は決して良くはないけれども、大きな混乱もなく平和に安全に生活出来ているこの時に、今を感謝し 将来のより良き平和と安全の持続のために、何らかの保険つなぎを検討する必要はあると思う。日本人は教養もあり、立派な高い 能力を持ち合わせている国民だから、みんなの英気と見識をもってより良き法整備を考えて欲しいと期待している。 |
5月18日 | いづれそのうちに・・ |
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人生の希望や目標は、人それぞれいろいろあるだろう。でも何か面倒くさいこと、つらいこと、時間的にそう急がなくてもいいことなどを理由に、ついつい先送りしていることが多いのではないだろうか。相田みつをさんの詩にこんな詩がある。
そのうち お金がたまったら
この詩を読んで、今まで自分がやってきたことは何だったのだろうか?と我にかえる。「何も今日しなくても明日があるさ」「今こんなことをしなくても、又の機会があるさ」と勝手に自分に都合の良い解釈や判断をして、折角のチャンスを取り逃してばかりしてきたように思う。 |
5月9日 | 過保護は過失 |
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人間の行動は、脳の伝達命令によって行われる。脳と行動、脳と心とのメカニズムの研究は、可成り高度な水準まで進んでいて、人口知能やロボットの開発の水準を見ても、驚くほどの高度な技術水準だと思います。このような脳科学の進展のなかで、近年の少年犯罪の多発の原因は、一体何が大きな原因なのだろうか? と推察すると、矢張りその少年の脳機能の発育過程に問題点が残されていると言われている。 よく例に挙げられる動物実験で、生まれたての子猫の片目に眼帯をかけて数週間覆うと、失明してしまうという。また、縦じまのゴーグルをかけて、縦じましか見えない状態で育てた子猫は、縦線は見えるが、横線が見えなくなると言われている。 この実験は、右目と左目からの視覚信号を処理する大脳皮質は、入り込んだ微細な神経構造になっていて、両目からバランスのとれた入力刺激が入らないと、正しい神経回路が形成されないためだと言われている。一方ゴーグルの例の実験の方は、縦線からだけの入力刺激では、横線を処理する神経回路が形成されないからという。
このような子猫の実験は、神経回路の発達段階にある赤ちゃんや幼児にとって、大切な示唆を与えていると思います。過保護と言うのは、例えば、赤ちゃんが「はいはい」して全身から脳に入力刺激を取り込んで神経回路を造っているのに、無理やり手を差し延べて早く立ち上がらせようとしたり、赤ちゃんが食べ物を自分の手で口に持っていって食べようとしているのに、汚すから・・・とか、まどろっこしい・・とか言ってスプーンで食べさせてやったり、足が冷たいだろうと思ってはかせるソックスも、足の裏や足先への刺激を覆ってしまうことになり、脳の神経科学から見れば、子猫への目隠しと同じ働きになるのではないだろうか。 |
5月2日 | エネルギー開発を・・ |
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イギリスの南極観測局が今年3月19日に、3,250平方キロもあり、重さでは約7,200億トンもの南極の棚氷(たなごおり)が崩れてしまったのを見つけました。1995年には、5,430平方キロに及ぶ巨大氷山が南極大陸から漂流し始めているのも確認されている。また南米アンデスの氷河も縮小が進行しているし、ヒマラヤ山脈にあるたくさんの氷河湖で氾濫の危険があると国連環境計画(UNEP)が警告しています。それ以外にも高山植物の枯渇問題や自然動物の生態系の異変など、これらの現象は全て地球温暖化現象の影響と考えられています。その最大の原因は、石油に依存しているエネルギーシステムでCO2の発生によるものと言われています。
人間の生活に必要なエネルギー源は、石炭や石油などいずれ無くなってしまう有限資源に依存してきました。しかしいつまでも有限資源に頼ってばかりではいられないため開発されたのが原子力です。原子力エネルギーは、今日世界中で大きな資源として活用され貢献しています。でも一方その危険性は、一つ間違えれば地球破壊にもつながる脅威を秘めているし、発電所の廃棄費用や放射性物質の長期保存の必要性という経済性の面から考えても、安全かつ効率的とも思えません。 |
4月21日 | 愛犬 |
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この頃 我が家の愛犬のご主人様である娘の仕事の事情から、私が愛犬の散歩に出かけることが多くなってきた。その時必ずと言って
いいほど何処かのお家のペット犬とお出会いする。犬の散歩という共通の行為で、何となく親しみを感じながら会釈して、犬のケンカ
を避けるためロープを引っ張り合いながらすれ違って行く。その時犬は大きな声で吠えながら向かい合って行こうとする。でもお互いに
そんなに抵抗なくすれ違うことが出来る。それもどちらもミニチュワ犬同士だからである。最近はチワワ、スピッツ、シーズー、
ミニチュワ・ダックスフンドなど小型犬に人気が集中しているようだ。しかし欧米では、シェパードやレトリバーのような大型犬に人気が
あるようで、日本と居住環境が異なるからだろう。すれ違う時、もし大型犬同士で、子どもやご婦人やお年寄りだったら、えらいこと
になりそうだが、その辺はうまく出来ていて犬同士のケンカは避けられているようだ。 我が家の愛犬は、ミニチュア・ダックスフンドで名前を「ビビ」という。もう一人の娘の家の愛犬は、雑種で名前を「ゴン」と言う。 散歩でお出会いする愛犬の名前もチチ、ココ、ナナ、ピッチー、ラッキーなど呼びやすい2〜3文字の名前が多いようだ。中に 権左衛門、太郎右衛門など古風な名前をつけて、楽しんでおられるお家もあってほほえましい。
最近のペットブームで、「わんわん天国」のような犬のテーマパークも出来たり、ペットショップも大型化したり、ペット関連
売り場も広いスペースを取って、ペット関連産業は万々歳である。犬舎やドッグフードは勿論のこと服飾やケア用品も何でも揃って
いる。シャンプー、ヘアーカット、爪切り、入浴など犬の美容も至れり尽くせりである。また一部の地域では、ペット犬を連れて
一緒に入れる喫茶店やホームセンターもできたり、そうゆう社会環境のお陰で、獣医やペットの葬儀社やお墓まで、関連産業花盛り
と言って良いのではないだろうか。 |
4月13日 | 腹芸 |
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近年の国際化の流れで、日本にもたくさんの外国人が居住するようになり、日本の文化や日本人の考え方や生きざまが議論される
ことも多くなってきた。その中でも日本人の「義理」と「ハラゲイ」の真の意味がどうも理解し難いようだ。特に「ハラゲイ」に
ついてその認識程度を洞察してみると、外国人どころか日本人でも特に若い人達は、その意味の正しい解釈には乏しいようだ。
そこで辞書で「腹芸」を調べてみると、
日本人のNo・Yesをはっきり言わない「あいまいさ」を微妙に活用するこの言葉は、複雑な人間関係を有利に展開するだけの 論理性と柔軟性がなければ、成り立たない手法である。このように素直になれない作為より、言葉通りにストレートに解釈する 今の若い世代の方が誤解なく解りやすいのではないだろうか。どうも日本語は難しい表現が多くて、特に外国人には気の毒である。 私も営業で「腹芸」を使って誤解を受け、その言い訳に苦労した経験があって、反省と共に正しい解釈を理解して欲しい気持ちから 取り上げてみた。 |
4月8日 | みんな・・・ |
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子ども達がよく「みんながしているから・・」とか「みんなが持っているから・・」と言って「わたしも・・」「僕も・・」と言って
親にねだったり、自分のしていることに同調させようとすることが多い。日本人の「みんなと同じ」「みんなと一緒」という意識は
「赤信号 みんなで渡れば こわくない」という言葉に代表されるように、悪いことでもグループで行動したり、集団の中にいることで
協調性があると解釈されるものと誤解しているものだと思う。 女性がトイレに行く時に、数人で一緒に行こうとするのも「何でやね?」と思いませんか? 人間誰しも個性というものがあって、 人と違う考え方や欲望があって当然です。みんながゲームボーイやファミコン遊びをしているから、自分もしなければならない訳は ない。みんなが携帯電話を持っているから、自分も携帯電話を持たなければならない理由はない。ファッション、食べ物、スポーツ、 芸能など何でも付和雷同して、集団心理に傾倒しているように思えてならない。今の時代は、キャラクターを重視される時代で、 その人のアイディンティティが大切だと思います。
子どもから「みんなが持っているから・・」とせがまれても「そんなもの必要ない!」と断る親は、〔理解のない親〕〔分かって
くれない親〕〔頑固な親〕と言われて、子どもから嫌われるから、ついつい子どもの要望を受け入れてしまう親が多いのではないだろうか。
そして「みんな・・」という横並びの考え方が、個性のない主体性のない人間を造ってしまうのではないだろうか。 |
3月30日 | 人付き合い |
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私は、どうも人付き合いが下手である。どうすれば社交性がつくのか、人の話を聞いたり、いろいろな書物を読んで、自分に言い
聞かせながら反省ばかりしている。ある書物に次のような教えが書いてあったので、参考にしながら教訓にしたいと思う。
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3月22日 | 人の寿命 |
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来年の4月から健康保険での診療報酬の患者負担が3割になるという。この不況下で生活も苦しいのに、まだ弱い者いじめを
するのか・・・といろいろ批判の声もあがっている。だがここで一歩下がって考えてみよう。 人間のからだの細胞の核には染色体があり、その染色体の端にテロメアという寿命を担うものがある。細胞は分裂を繰り返せば いつまでも生きられるはずだが、分裂の度にテロメアが短くなっていくという。このテロメアの長さは、生まれたときに既に決 まっていて、細胞の寿命が人間の寿命だから、テロメアの長さで人間の寿命は決まっているということになる。 ところがテロメアを使い切って天寿を全うした人はまずいない。その理由と原因は、生活習慣病がその人の本来の寿命を切り裂い てしまっているからである。自らの不摂生で弱い体にしてしまって、弱い者いじめをするのか? と責任転化をするぐらいなら、 自分の努力で病院の診療負担をしなくてもよいからだにすれば良いのではないだろうか。要は医者の世話になるなということである。
生活習慣病もいろいろあるが、その代表は、がん、心疾患、脳血管疾患だろう。この疾患の原因は、高血圧、糖尿病、肥満、
喫煙、高脂血症である。 このような行動は、人は全て心から出発しているのですから、自分の心の持ち方で生活習慣病を未然に予防し、医者や薬の世話に ならないようにすれば、いくら診療費が上がっても心配する事はないはずです。健康保険財政を健全にし、患者が少なくて、病院や医者が 困るぐらいみんなが健康なからだを造り、自分の寿命を延ばす努力をしよう。 |
3月15日 | オーガニック認定 |
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前回は牛肉の表示問題について書きましたが、農産物にも以前には有機肥料をかけただけで「有機〇○」と表示していた食品が
たくさん出回っていた。その為消費者には紛らわしく問題が表面化して、平成13年4月からは「オーガニック」又は「有機」の
表示には認定制度が実施されるようになった。オーガニック(有機)認定とは、
欧米では既にこのような認定制度、確認制度が実施されているが、ようやく日本でも追随し食品の有機表示に信ぴょう性が高まり つつある。勿論偽装表示には罰則規定もあり、消費者の信用確保に努めている段階である。にも拘わらず牛肉偽装表示問題がクローズアップ されて、オーガニックにまでそのとばっちりを受けそうな雰囲気である。一つの不信感が全ての不信感につながるのは、怖い話である。 一部の悪徳業者が多くの善良な業者を駆逐するってのは絶対許されないことである。 |
3月9日 | 食品表示 |
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狂牛病騒ぎがあって、雪印食品の輸入牛のニセ国産牛表示問題以来、様々な偽装表示が明るみになり、牛肉のみならず豚肉、
鶏肉にまで、でたらめなニセ表示工作が世間を騒がせている。こうなってくると消費者は、食品表示を信用出来なくなり、食生活
即ち健康管理に不安を感じるようになって来るのは当然である。今日までにも食品の添加物でチクロ(cyclohexyl sulfamic natrium)、
サッカリン(saccharin)、赤色2号、ビフェニールなど甘味料、防腐剤、漂白剤などの添加物で、その安全性が疑問視される問題が
たくさんあって規制され改善されてきた。それに加えて科学研究の進歩や衛生環境の改善、医学・薬学の進歩などで、日本人は
長足の延命効果が発揮され、世界一の長寿国家になったことは喜ばしい限りである。 そのような全国民的な健康志向の流れを知りながら、自社の利益だけのために、法の網の目をかいくぐって消費者を裏切る行為は 断じて許されない。しかし日本語のあいまいさから、その表示が解りにくく間違った判断をしかねない表現もたくさんある。 例えば今問題の牛肉で言えば、「和牛すきやき用(国産)」「和牛しゃぶしゃぶ用(輸入)」「黒毛和種(輸入)」と表示されて いたらどう解釈したらいいんでしょうか? ほとんどの人は、正しい判断が出来ないと思います。 和牛とは、品種の一種でジャージーやホルスタインなどと同様の牛の種類の一つなので、必ずしも国産牛とは限らないということ ですから、当然輸入牛もあるということになります。「和牛すきやき用(国産)」は国内産、「和牛しゃぶしゃぶ用(輸入)」は和牛 という牛の輸入牛、「黒毛和種(輸入)」は黒毛和牛を外国で育てて国内で精肉したものということになります。こんなややこしい 表示で消費者に判断させて、間違わない方がおかしいのと違いますか? どう思います? 製造月日、賞味期限、消費期限でも、かなり古い製造の原材料でも、それを発砲スチロールやパックにリパックした日が製造月日 で、その日からの賞味期限を表示したり、正しい温度管理(常温・冷蔵)もせずに腐敗テストもせずに適当に賞味期限や消費期限を 表示して販売している商品など、疑いだしたらきりがないほど氾濫している。もう少し消費者に解りやすく、信用できる表示方法を 指導していただいて、食品表示の信頼性を高めていただきたい。行政の奮起を希求します。 |
3月2日 | 百聞は一見に如(し)かず |
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昔からのことわざは、ほんとうによく実体を表現していると思う。100回人から聞くよりも、一度自分の目で見て確かめた方が
良く解る。人の表現や情報の伝達方法は、いろいろな方法があるが、テレビやパソコンは、目で見るという最も確かな情報確認方法
が出来るからこそ、こんなに普及しているのだと思う。 我々の日常生活では、五感といって(五官ともいう)目で見る、耳で聞く、鼻で嗅ぐ、舌で味わう、皮膚で触れるという五つの感覚 があるが、その内でも視聴覚という言葉が一番よく使われる。人間の五感の中で、「見る」「聞く」の比率が94%だと言われている。 見る83%、聞く11%、触れる3%、味わう2%、嗅ぐ1%だそうな。この比率を見ても「見る」「聞く」のウエイトの高さが 良く解る。 一方漢和辞典で調べてみると、「みる」と読む漢字は217文字あり、「きく」は24文字、「ふれる」は37文字、「かぐ」は 5文字、「あじわう」は4文字で、漢字の数も五感の比率とほぼ合致している。ほんとうに面白いものだなあと思う。 しかし感度の最も鋭いのは「触感」で、触・圧覚の2点弁別閾(皮膚の2点に加えられた刺激を、2点と感じる最小の距離)は、 手指で2〜3ミリだと言われている。だから小さな物は、目で見るより手で触れた方が精度が高いようだ。その点では「百見は一触に如かず」 とも言えるかも知れない。情報は目で見て、耳で聞いて確かめる。小さな形の物は、手で触って確かめるのが正解のようだ。女性には どちらが良いのだろうか? そうだなあ・・・これだけは個人差があるようなので決めつけられないらしいよ。 |
2月24日 | 死刑の是非 |
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最近の判決で死刑の判決が多いように感じる。世界の先進国でも、アメリカと日本以外は、ほとんど死刑が廃止されている。
それだけに死刑の執行の是非については、賛否の意見の分かれるのは当然である。反対意見としては、死刑に凶悪犯罪の再発抑止
効果はなく、人が人を裁いて死刑にするのは、人権を無視した殺人行為に等しい。中には死刑執行後に、えん罪であることが判明し、
無罪になった時、取り返しがつかないではないか等の理由をあげている。 一方賛成派の意見としては、死刑で凶悪犯罪の抑止効果はないというのではなく、犯した犯罪の罰(ペナルティー)として死刑が あり、殺人などの凶悪犯罪などは、被害者の人権を無視した行為で、他人の人権を無視した人に、人権を尊重する必要はない、と言う 理由である。 航空機ハイジャックの爆破事件やオウム真理教のサリン事件のように、罪のない人達を何10人いや何100人殺しても、その 罪で死刑されなかったら、被害者の遺族はどんな思いで許せるのだろうか? もしその被害者が、自分の愛する家族だったら・・・ どう思うのだろう? このような被害者心理や感情に明快な解決方法が出てきた時、死刑廃止の正当な理由付けがなされるだろう。 しかし、まずそんな名案はほとんど無理である。ならば永久に死刑判決と執行は、無くならないということであろう。 |
2月17日 | スポーツのスピード |
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シドニーオリンピックで、いろいろな競技の次々に更新される世界記録に驚いていたが、今開催されているソルトレークシティ
冬期オリンピックは、正にスピードの競演である。陸上競技以上に各種目にいろいろな用具を使っての氷上、雪上競技だけに、
人間の目ではとても判定出来るようなものではない競技が次々に出てきて、びっくりしている。スピード競技の判定機器も開発が
進み、2000分の1秒までの写真判定や、1000分の1秒差を競う競技もある。しかしほんとうの強さとは何なのか?
道具を使う競技では、道具の性能や規制の程度や気象状況による運・不運など、個人の実力以外の様々な要因によって勝敗が分かれ
ている。でもその道具をどう使いこなすかによって上手・下手に分かれ結果に差が出ている。 ちなみに各種目のスピード比較をしてみると、
このようなスピードを見てみると、これがスポーツ競技なのか?と疑問視したくなる。オリンピックの精神の「より速く、より高く、 より遠く」の記録更新こそ、その目的であるならば、人間の力の限界やスピードの限界は、一体どこまで行くのだろう? もうこの 記録は永久に破られないだろう・・・と言われていても、必ず誰か記録更新してくる人が出てくるから驚きである。スポーツとは 一体何なのか?と考えるだけでも結論の出ない不思議な世界である。 |
2月4日 | 無は有の原点 |
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青々と生い茂っていた木々も今は淋しく枯れ木になっている。しかしもうしばらくすると、何もなかった枝の先端だけが動き出し、
新芽が出てどんどん枯れ木の形や色までも変えてしまい、青い葉が茂り、実が成り、やがて紅葉し、落葉し、若木の姿も変貌し、
元々の枯れ木の姿までも微妙にその形を変えてしまう。何も無かった所に勝手に何かが育って又無くなってしまうって、神秘的で
おもしろい。
今日(2/4)宇宙開発事業団が、国産ロケットH2Aの2号機を種子島宇宙センター(鹿児島県)から打ち上げに成功したらしい。
いま地球の回りには、数100個の人口衛星が飛び回っている。しかしその将来は、ただの宇宙ゴミとなってしまうという。
何もなかった宇宙に人工的にゴミをまき散らしてしまったことは、枯れ木に青葉が茂るのとは大きな違いがあるのではないだろうか。
その宇宙ゴミが我々地球人に悪影響を及ぼし、対策困難な存在になってしまわないだろうか?
もう一つ気になることがある。それは近代医学・医療の進歩で病気治療の目的を飛び越えて、人間がどのように生まれ、どのように
生きて、どのように死んでゆくのか・・・という人間生命の根幹が変わるかも知れないということである。
もう一つ臓器移植の進展も「死」や「生命」の概念を変えようとしている。臓器移植は、生命に対する尊厳や、人間の善意や
良心があろうが無かろうが、臓器からその人の個性や自我を捨て去り、交換をするための「モノ」という存在にしてしまう。
人間は死ぬ、しかしその人の臓器だけは他人の生命に宿っている。という生命の在り方は、今まで無かったことだが、もう存在する
時代になってしまった。でもただ一つ救いの手が残されているのは、自分の意志で、他人には臓器提供を拒否することも出来る
という選択肢もあるということです。「私は臓器を提供しません」とドナーカードに記入することによって、自分の肉体を自分で
独占するのに、生きている間に断っておくということです。こんなこと今まで考えたことありましたか? |
1月25日 | 笑い |
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世界情勢も国内情勢も、とかくこの頃は、あまり楽しいうれしい話が少ない。けれども人間は笑えるようになりたいものである。
冗談を言ったり、ユーモアーで笑顔を作ったりして、何とかその場を和やかな雰囲気にしようとする。しかし人の笑いにも
いろいろあって、大げさな笑いや鼻先にかけた笑いは、バカにされているように思うし、ヘラヘラ笑いには軽薄さを感じるものである。
またニヤニヤ笑いには下心を察知するし、薄笑いには不気味さを感じる。そうかと言って高笑いは下品で、独り笑いは妄想にとり
つかれているように思える。お愛想笑いであっても可愛い美人の笑顔は悪い気はしない。でもほんとうの心からの笑いが
自然で一番うつくしい。感極まっての笑いには笑顔ではなくうれし涙にむせぶ泣き顔になってしまう。
長びく不況で、みんな疲弊しきっている。何とか冷めた心を癒し笑いを取り戻したい。そんな気持ちからバラエティ番組や喜劇、
漫才、落語などを観て、むりやり笑ってでも楽しみたいということで、お笑い番組に人気がある。それもいいこっちゃ、とにかく悲しんだり、
嘆いたり、怒ったり、悩んだりしている顔より笑っている顔の方がずーーーと気持ちが良い。 |
1月12日 | グローバリゼーション |
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世界グローバル化の流れの一つとして、欧州連合(EU)加盟15カ国のうちイギリスなど3カ国を除く12カ国の欧州ユーロ圏の
単一通貨ユーロの紙幣と硬貨が、この新年から流通し始めた。戦乱に明け暮れた20世紀から脱皮し、平和と統合を願う欧州の人々の
強い気持ちの表れだろう。ユーロという統一通貨の流通で、資金調達、企業再編、競争激化、経済の活性化が進み加盟国の構造改革も
促進されることだろう。ヨーロッパは、世界の人口の約6%ですが、現在世界の富の20%を保有し、世界貿易の40%のシェアを占めているが、
今後その力を拡大しようと目論んでいる。 一方アメリカは、世界の人口の約6%と欧州と同じ位でも、世界の富の約60%を持っている。欧州とアメリカで80%の富を 独占していることになる。しかしその裏に残された世界の人口の80%の人々は、標準以下の居住環境に住み、70%の人々は、 字が読めず、50%の人々は、栄養失調で生死の境をさまよっているという。ということは、まさしく、ごく一握りの人間が繁栄を 謳歌しているに過ぎないという不平等が現実です。
世界のグローバル化と言っても、このような数値のバランスを考えても、アメリカが世界の中心になって、アメリカ主導型の
グローバル化であり、アメリカ人にとってのグローバル化というのは、世界中をアメリカナイズすることではないかと思われる。
そのような一国集中主義の偏見と羨望と不平等の矛盾の中から、同時多発テロが起こった根源が潜んでいるのではないだろうか? |
1月6日 | どうなる?平成14年 |
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平成不況と言われるように、バブル崩壊後の平成時代になって、あの頃は良かったなあ・・・と思える年はあっただろうか?
毎年、日本漢字能力検定協会(京都市)が公募で選ぶ「今年の漢字」を振り返ってみても、平成7年は「震」(阪神大震災)、
8年は「食」(O-157食中毒)、9年は「倒」(会社倒産続出)、10年は「毒」(和歌山毒入りカレー事件)、11年は「末」
(世紀末、世も末)、12年は「金」(シドニー五輪金メダル)、去年13年は「戦」(アフガン戦争)であった。たった漢字一字だけでも
その年の世相を反映している最も適当な字が選ばれている。去年の場合、「戦」に続く漢字として2位が「狂」3位「乱」4位
「恐」5位「命」6位「壊」7位「爆」8位「新」9位「崩」10位「牛」がベスト?10であった。どの漢字を見ても殺伐として
希望の持てるイメージが湧いてこない。「戦」をむりやり良い方に拡大解釈して、マリナーズのイチロー選手の戦いや、小泉首相の
構造改革に対する取り組みの戦いも含ませたい気持ちにもなる。
しかし生きることへの戦いに敗れ、自らその命を絶った人達が去年も年間3万人を超え、過去4年連続の3万人オーバーを記録
しているとのことだ。その自殺者の6割は50歳代以上で、原因は健康問題がトップではあるが、経済や生活に起因していることは
否めない。リストラや減給で経済的、精神的に追い込まれ、健康の衰えに追い打ちをかけられてうつ症状になり、行き場を失って自殺
してしまっているのではないだろうか。 |
〔 2004.1.17〜12.5まで分 〕
〔 2003.1.7〜12.27まで分 〕
〔 2001.1.7〜12.21まで分 〕
〔 2000.1.8〜12.31まで分 〕
〔 1999.1.7〜12.28まで分 〕
〔 1998.8.3〜12.31まで分 〕